彦島本村町 高天原説  根拠


数年前、ネットで次のサイトを見た。
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古田史学会報
葦牙彦舅は彦島(下関市) の初現神
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou97/kai09706.html
「 三六代孝徳帝。 帝はその白雉改元の詔で “我親神祖之所知穴戸國” と述べ賜わっている。 」

穴戸の麻山 (をのやま)
私は記紀・万葉の地名場所を和名抄の国名で考えていない。 「穴門」 「穴戸」 という地名場所が “絶対に” 関門海峡または山口県西部「長門国」 であるとはいえない。 「穴門」 「穴戸」 の場所を既定・所定とせず、本当のその場所はどこか、西日本全域を探してきた。

私は10年間、福岡県、山口県、その他各地の地方史料を調べたが、次の2つの本に彦島の老(おい)の山で麻が栽培されていた記述があることを最近見つけた。

『 門司郷土叢書 』  島めぐり 長門彦島
老の山について、麻植山が転じて老(おい) の山になった説が載る。
黄紺川(おこんがわ) という小川がある。
「おこん」 の意味は麻の苧麻らしい。

『 ひこしま発展誌 』  巻末年表 P156




私見の彦島本村町=高天原説 の物的証拠として辰岩がある。
辰岩(たついわ) の伝説 は龍なので、「辰」 は「龍」 の訓読みだろうか。

それとも古朝鮮にあった「辰国」 = 天 だろうか。
朝鮮系の遺物が出るのは彦島ではなく綾羅木川流域である。
万葉集より、倭国の文化は中国の南朝系である。 倭人は太伯の末裔ともいう。
人骨は出土してないが、推理すれば彦島は東シナ海の河童系、綾羅木川沿いは朝鮮系で人種が違っていたのかもしれない。

辰岩の「龍が吠えていた」 話は「咆哮」 の地であり、水神、金印の蛇紐を想起させる。 水神は雷神でもあるし火神にも通じる。

辰岩
『 ひこしま昔ばなし 』 の著者が辰岩について語る
「 辰岩は水成岩であり、元から山にあった岩ではなく人間が海から運んできた岩である。

墓地の表側から見たら岩の大きさは3メートル程度だが、市営住宅側に埋まっていると思われるものを含めると10メートル近くある。 人間たちが海から岩の下に丸太を並べて運んできて設置した人工的なものである。

市営住宅を建てる時、建設会社の大林組がこの巨岩を調べて取り壊しをやめた経緯がある。

辰岩は両側に岩を置いてその上に巨岩を載せ、中央の窪みにお供え物をする形である。

辰岩の下に財宝が埋まっている伝説がある。
江戸時代、小倉の者がその財宝を掘ろうとしたら即亡くなり、辰岩の傍にその者の墓がある。 」


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私の見解  辰岩こそが天の磐座(いわくら) である。


辰岩が人工的な構造物なら方位が良いはずだ。

辰岩からの方位
「辰」 の方角は東から南へ30度
冬至の日の出 夏至線  風師山の山頂 ・・・ 角度は27度

冬至の日没  西山の舞子島 光格殿 「サイ上り」 

辰岩から夏至の日の出
丸山町の日和山 早鞆の瀬戸 下関側の壇之浦の岸

真東  門司 庄司町の貴船神社
真西  彦島迫町の打石遺跡

栗本慎一郎が説く「聖方位」 ・・・ 真北から20度西に傾く
  老山の東の頂 ― 辰岩 ― 彦島南公園の山「日和山」


郷土史本 『 彦島あれこれ 』  1975年
裏表紙に「天平の絵図」 があり、彦島南公園の山を「日和山」 と記している。


地名
小瀬戸は「川」、彦島の海士郷は「ノ浦」 とも呼ばれた。