岡垣町  敏馬浦 三里松原  神代の場所  豊国は元松原の安楽院で宇佐の八幡神


翰苑
邪めに伊都に届き、傍ら斯馬に連なる
倭国の都 ・・・・ 下関市安岡・吉母
伊都 ・・・・ 岡垣町 とくに波津
斯馬 ・・・・ 蓋井島

馬ならば日向の駒 ・・・・ 岡垣町波津の湯川にあった牧。 小字「馬駈原」
ただし万葉集の敏馬浦は砂浜なので波津ではない。

敏馬浦は岡垣町の三里松原である。
三里松原の松は後世に植林されたもので、古い時代にはなかった。
厳島神社は蒔﨑(まいさき) にある。
蒔﨑の古名を厩﨑というらしい。


福岡県の地名  平凡社 日本歴史地名大系
海蔵寺 岡垣町内蔵
P151上
村の南東、内村境の石亀に高さ3尺前後の亀石とよばれる2つの石があった。これは内浦山山に住した猿楽師石太夫の由縁の石といわれ(続風土記拾遺)
神功皇后の鎮懐石を想起させる。
平山は淡海国の比良浦を想起させる。

淡路の加太浦もここか?

また村の北の岡松原(三里松原) には塩を煮出したという塩屋後がある(地理全誌)。
万葉集の為間(すま) の塩焼きだろう。 原に小字「塩屋」 がある。

住吉大社神代記の筑紫大神は大己貴命とも考えられる。
穴門の山田村は下関市有冨のハンドウ山と思える。 『ふるさと散歩みち』 という川中の郷土史本に有冨に「畜犬」(合成字) 王田 たきおうでん と書かれた小字がある。 これは小字「八幡ノ前」 あたりか、または大年溜池の山側かだ。

岡垣町は熊鰐の地であるが、事代主神は熊鰐に乗って三嶋溝樴姫あるいは玉櫛姫のもとに通っていた。


青丹吉 平山を越えて
上畑の荒平神社は大山祇神を祀り、比良野宮といい宗像大宮司家の崇敬社だった。 元は上畑南部の「山上」(やまがみ) にあったが天正の頃に山上に移った。 陶器が出る場所があって唐人山といい、文禄・慶長の役の時に朝鮮から連れて来られた陶工か。

手野の雨乞山に誰が築いたか不明な城跡がある。
元松原の浄土院安楽寺は碁石浜、高浜と呼ばれた砂丘の高所
内浦の若宮大明神は宗像三女神(仁徳天皇とも) を祀る。
江戸時代、波津では潜水によるアワビが獲られていた。 大蛤も獲られていた。
波津の地形は下関市室津と似て、防風の地形である。


安楽院  碁石原 高浜
http://44051510.at.webry.info/201201/article_59.html
福岡県の地名  平凡社 日本歴史地名大系
P149下 
浄土宗安楽院はもと法相宗で、谷阿の開山と書かれてある。


淡海国
原-内浦-手野-三吉 の入海。 大型のうつろ貝を産出した。

野間は沼だったので万葉集の「隠り沼」 だろう。

豊国の位置は 岡垣町 元松原 安楽院 である。
豊国
万葉集957、958、959 香椎滷に近く、香椎は吉木の熊野神社近くにあった。
豊国の企救の菱の池は汗王堂あたりか。
豊国法師より古い仏教寺院があり、「豊国の高浜」 より安楽院である。
豊前、豊国の場所は岡垣町 元松原の安楽院である。
豊国の宇沙も元松原・安楽院になる。 足一宮は浜にあった。
宇佐の八幡神は安楽院である。
  ↓
卑弥呼の宗女台与(=豊) は岡垣町の元松原にいた。
卑弥呼も元松原にいた。
邪馬台国、または女王国 元松原遺跡 説 を提起できる。
天照大神は岡垣町 元松原の安楽院にいた。
神功皇后は下関市から岡垣町に来て吉木に宮を構えた。
岡垣町 吉木 が女王国である。
風土記に襲の宮。 「哿」 は「よい」 だから木である。

波津の大年神社の小字「大」 も八幡に通じる。
でも「蚊田」 から蚊がいる湿地だから、汗王堂、内浦の街道駅あたり。
謂われがありそうな場所は吉木・元松原 とみて、本当の宇佐八幡は安楽院に比定した。
(根拠) 万葉集957、958、959
大宰府、香椎潟、豊前は1キロ以内の近隣にある。


出雲=筑紫=淡海国=越中国 で同じ場所 岡垣町

竺紫の君 石井 は波津の大年神社の井戸

岡垣町 史跡めぐり
http://www.town.okagaki.fukuoka.jp/oa004.html


内浦は玉牆の内つ国
手野は古事記の手間
元松原遺跡は八千矛神
芹田は須勢理比売
国譲りの出雲は山海経の君子国で岡垣町


岡垣町 小字 (一部)
波津
大谷(オオフタ) 馬駈原 磯辺 伊三(イワヲ)田  山ノ田

塩屋 岩ノ上 菅原

手野
大国面 土田(どた) → 倭面土
海津 青(セイ)﨑 室面 垣ノ内 的浦 稲場
田 森 城ヶ原 長者原 波須(ハス) 雪仙(セツセン)
粢(しとき) - 神前に供える餅の名。 古くは米粉を清水でこねて長卵形にしたものを称した。

内浦
西方 大谷 村 海蔵寺

高倉  花木 ・・・・ 木花開耶姫  文庫書紀①144-2
吉木  長田 ・・・・ 神吾田鹿葦津姫の卜定田 狭長田
             文庫書紀①148-1
     狭間 ・・・・ 神武天皇の狭野か。 「間」 でなく「間」 と記されている。

黒山  井﨑 ・・・・ ここが「筑紫の島門」 か 


原から湯川へ行く山中にあった山妙見は天御中主尊を祀っていた。
波津城では竜神を祀っていた。
波津と原の境にあった浜妙見社は北辰星などを祀っていた。
北辰  goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/203417/m0u/
天皇大帝  Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9D
妙見菩薩  Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9
      ↓
      ↓
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北辰星信仰から 高天原
伊都国である。

万葉集304
大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所

大君の遠の朝廷とあり通う島門を見れば神代し思ほゆ
万葉集304の「島門」 は岡垣町の波津・原・内浦である。
「遠の朝廷」とは「遠く離れた朝廷(みかど)」の意味ではなくて、「遠賀朝廷」の意味である。

島門 ・・・・ 波津・原
遠の朝廷 ・・・・ 「遠賀朝廷」のことであり、吉木の熊野神社あたり


神武紀で、日本は
磯輪上の秀真の国 ・・・・ 波津「磯辺」
玉牆の内つ国 ・・・・ 内浦、手野「垣ノ内」

福岡県京都郡
筑紫にある京都の場所は福岡県京都郡ではなくて岡垣町である。
景行天皇が九州遠征したときの「周防の佐波」 は響灘側の例えば川棚の松谷にあり、出向いた筑紫の場所は岡垣町であった。 神夏磯媛は芦屋町の夏井ヶ浜か岡垣町波津の者だと思える。
記紀、万葉、風土記で「筑紫」 の場所は岡垣町に限定される。



ブログ様 
景石神社 湯川山
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65532114.html
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65533377.html
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65237813.html
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65533569.html

馬ならば日向の駒
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65534400.html
名馬摺墨については下関市 吉母御崎の渕ヶ谷「丸山」 にも伝説がある。

「日向」 の場所は岡垣町波津である。
「日向」 である岡垣町波津 湯川の馬牧 から東北東30度の線を引けば下関市福江の大塚に当たる。 福江の大塚から冬至線(冬至の日没、夏至の日の出) を引けば岡垣町波津に当たる。


神武東征
日向 ・・・・ 岡垣町波津・湯川
豊国の宇沙 ・・・・ 岡垣町 吉木の字「戸下」 黒山の字「田」「戸」
            野間の賀神社
            吉木の元松原 安楽院 に比定できる。 安楽院=八幡神
竺紫の岡田 ・・・・ 遠賀郡のどこかしら

阿岐の多祁理
①考 阿岐は「開」(あき)、多祁理は「たぎる」 とみて下関市竹﨑
②考 下関市豊北町の阿川。 田耕「杣地」。 粟野川で船木を取って流す

吉備の高島
①考 下関市綾羅木の小字「高山」  国道119号 浜寿司
②考 下関市豊浦町湯玉



遠賀川の下流
水巻町 古賀3丁目
多賀山 大山祇園神社 ・・・・ 筑紫の竹嶋か