徐福  遠賀川 上八


討論室2 - 東アジアの古代文化を考える会
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109.サガミハラハラ  2014/02/07 19:54
>>107
関裕二氏の検証邪馬台国論争 (ベスト新書) p51 の中から、
「 森浩一氏は、北部九州の東側で奇妙なことが起きていた、とする。
福岡県と大分県の県境の英彦山から福岡県遠賀郡芦屋町に流れ下る遠賀川流域で、弥生時代中期、文化の揺り戻しが起きていて、新来の文化を拒むとともに、縄文的な「古態」 を好んでで用いた、というのである。」。

この縄文の揺り戻しとは、わたしがいっているBC30年ごろの、徐福集団と倭人の抗争の結果、倭人が勝利して遠賀川流域から徐福色を払底したということではないだろうか。
着々と徐福の件が証明されていっているようです。

先古代史の会は、全国邪馬台国連絡協議会を応援しております。



私見
記紀・万葉の場所は響灘の沿岸である。
日本列島は地政学から関門海峡の両岸である下関市と北九州市が重大な場所である。 山口県長門市 ~ 関門海峡 ~ 福岡県宗像市 の地誌を知ることに努めよう。

響灘 Wikipedia
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「 山口県長門市の川尻岬から関門海峡西口を経て福岡県宗像市の鐘ノ岬、地島、大島に至る海域 」



※ 玄海町は2003年4月1日に宗像市と合併し消滅した。
『 玄海町誌 』 1979年  P51  筑前の上八という地名について
山口県柳井港の南方室津半島東海岸上八あり、カウジョウという事、「郡誌」 にあり、現在柳井市字伊保庄上八である。

この場所は弥生時代の高地性集落があった場所だ。
宗像市の上八 ~ 柳井市の上八
が倭国の国境ではないか。


角川日本地名大辞典 福岡県巻
上八
地名の由来には、不入の地の意味から上入(こうじゅ) と呼んでいたが、入を八と誤ったという説がある (玄海町誌)。

鐘﨑貝塚  上八
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縄文後期の砂丘埋葬遺跡
老年女性を含む5体の人骨
鮫歯製耳飾
鹿角製かんざし
鹿角製釣針
  ↓
「鮫歯製」 が鰐で、「鹿角製」 がシカ(志賀、鹿島) か

上八の小字「峰坪」 は 『筑前国字小名取調帳』 では「坪」 と書かれる 
  ↓
高千穂の(日本書紀 神代下) か


宗像市の鐘﨑貝塚は砂丘の埋葬遺跡なので、下関市響灘沿岸の埋葬遺跡と共通性がある。

八幡西区 永犬丸 の縄文時代貝塚から人間の頭蓋骨が出土している。
縄文時代の洞海湾では食人があった。


岡垣町とは何か
岡垣町は青銅器の出土量が多い ― 八千戈の神
岡垣町の手野 ― 古事記の手間
町の浦 ― 玉つ国  文庫書紀①244-2

岡垣町 ― 山海経の君子国
http://44051510.at.webry.info/201201/article_37.html
薫華草 は ハマボウ
http://44051510.at.webry.info/201201/article_48.html
  ↓
木花開耶姫の「木花」 は岡垣町のハマボウ
http://44051510.at.webry.info/201304/article_4.html

岡垣町
波津の対岸は下関市の吉見・蓋井島である。


弥生のメロディー土笛
http://d-munahaku.com/news/dtl.jsp?kid=91818&cgid=1001
九州では宗像市の光岡長尾遺跡、北九州市の高槻遺跡
起源は中国
河姆渡文化晩期(かぼとぶんかばんき・約6500年前) の遺跡などで出現