邪馬台国の桂林  石原車庫前


邪馬台国は仙人が住む場所である。
仙人は桂林のような切り立つ岩山に居る。
山水画の世界である。

下関市の石原は邪馬台国の ”仙境” だった。
「だった」 と過去形なのは砕石場になってしまったから。


小野の南に烏帽子山という尖った岩山がある。

石原砕石場の入口の小字「壁石」(へき)
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/three/m0235.html
忍壁皇子は小字「壁石」 の人である。

雨の日に有冨の山を見ると、雲が懸かるのは有冨墓地の上である。

山水画の景観が、砕石場ができる前はあった下関市の石原である。
石原の砕石場は有冨の平井さんの持ち山だったが、横川砕石に売ってしまったのが悔やまれる。
この山こそ中国の原始地理書にある、東方にあって仙人が住む岩山である。
徐福は方士だったので、日本列島に来て仙人の山に住んだ。
その場所は石原の山の上だった!!

石原は邪馬台国の桂林である。

『 山口県地名考 』 (高橋文雄 著) 1978年
によれば石の「原」 の字には集落の意味がある。
→ 石 → 湯津石村、磐余


桂林山水
ttp://www.youtube.com/watch?v=KQq6GMLuOkc
中国 仙境  山水画街道を行く
http://www16.plala.or.jp/yasu310/sansui-mokuji/sansui-mokuji.html

「倭」 の地理像
http://www.geocities.jp/jiangnankejp03/book/jnihonzo/nihonzo_1-1.htm
東夷観の成立
http://www.geocities.jp/jiangnankejp03/book/jnihonzo/nihonzo_1-3.htm


神武東征
文庫書紀①208-4
熊野の神邑 ・・・・ 形山の集落跡
http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1103847345942/html/common/4f740f86120.htm
「 この竪穴住居は方位に各辺を合わせた方形住居で埋土には炭化物や焼土を多量に含んでいました。 弥生時代終末から古墳時代初頭の山陰系の土器や砥石が出土しています 」

文庫書紀①208-4
天磐盾 ・・・・ 小字「壁石」  バス停 石原車庫前

文庫書紀①208-9
浪の秀 ・・・・ 秋根の小字「秀浪」
常世郷 ・・・・ 勝谷神社の祭神に伊弉冉尊

『 よしみ史誌 』 によれば、田倉には忌み籠りの伝統行事がなかったので、
田倉は熊野系の住人だった。

鳥見 跡見 とみ ・・・・ 有墓地 または平井さん・林さんの家あたり
竹田庄 ・・・・ 竹生観音の参道下の竹林
鳥見山は内日の六万坊山とも思えるし、有冨の最上部とも思える。

古事記
須佐之男命の泣くさまは、青山は枯山となし、海河は泣く勢いで乾しあがった
この場所は青山がある形山である。

長府図書館横の「蚕種渡来の碑」 では
秦の始皇帝の11世の孫にあたる功満(くま) 王が入朝帰化し、天皇に蚕種を献上したといわれ、長府に外国からはじめて蚕種が渡来した、といわれある地
『 下関豊浦歴史物語 』 瀬戸内物産 平成8年  P40
   ↓
長府に蚕種渡来の伝説があることから、
山海経の青丘国 はJR 新下関駅近く、形山の青山~長府 である。

長府の忌宮神社の祭神は出雲系である。

勝谷~長府 は熊野系だった。
熊野系は新羅系または古朝鮮にあったとされる「辰」 と関係する。
素戔嗚尊や出雲系と考えられる。

下関 住吉神社の境内社
住吉神社がある場所は、元は事代主神が祀られていた
素戔嗚尊を祀る高元社は一の宮小学校の正門付近にあった


綾羅木川
  右岸 ・・・・ 天つ神 高天原の地   有冨 延行 蒲生野 
  左岸 ・・・・ 国つ神 出雲の地   田倉 勝谷 長府 稗田

蓋弓帽が出土した稗田地蔵堂遺跡は、綾羅木川の岸に位置する。

黄泉比良坂は秋根神社あたりである。


文庫書紀①208-11
頭八咫烏 ・・・・ 東ヶ嶽山頂の東側では、いつもカラスが数羽飛んでいる



あなたの意見で住みよいまちに
https://www.city.shimonoseki.lg.jp/sodan/s_disp_qa.jsp?QaId=1141
「 綾羅木川の周辺のゴミの不法投棄には驚かされます 」

平成25年 (2013年) 12月 17日
綾羅木川水系河川整備基本方針(案) の審議
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/press/201312/026756.html

審議委員の中に永田本町の下関水産大学の教授も加わっている。
綾羅木川は洪水対策のために、流れを直線にして深く掘ればよいではすまされない。
綾羅木川は神州である。

   ↓
ttp://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E7%A5%9E%E5%B1%B1
三神山
「 中国、渤海にあったという伝説上の神山
―― 蓬萊 (ほうらい)、瀛洲 (えいしゆう)、方丈(方壺) を指し、仙人たちが住み、不老不死の薬があるという。
いずれも壺の形をしているので〈三壺山〉 ともいわれる。
先秦時代、渤海沿岸の燕や斉の方士(神仙の術を行う人) たちが唱え、秦の始皇帝や漢の武帝らの心をつかんだ。
《史記》 封禅書や《列子》 湯問篇等には、華麗な御殿のたつ仙郷を記すが、実は蜃気楼の発生と関係するらしい。
歴代、宮中の池や上元節の山車(だし)等に、三神山が作られた 」

渤海ではなく下関市の有冨・石原にあった。
不老不死の仙薬は蓋井島北部に群落があるヒゼンマユミの実である。


ヒゼンマユミの実
http://blogs.yahoo.co.jp/join_fromcustomers/11489871.html
http://d.hatena.ne.jp/chabo100/20120304/1330809326
「 環境省のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅰ類に指定されているニシキギ科の希少植物ヒゼンマユミの実には、 がん細胞の増殖を抑える効果があることが、徳島文理大学の橋本敏弘教授(生薬学) らのグループの研究で分かっている 」


瀛洲の「瀛」 の字
文庫書紀①70-12
宗像三女神の津嶋姫命(市杵嶋姫命) 遠 おきつみや 

文庫書紀①190-11  海神と彦火火出見尊
風 おきつかぜ
海神が居た場所は
  土井ヶ浜弥生人 ・・・・ 貝輪を作っていた 
  角島で夜臼土器らしき物が出土した田遺跡 ・・・・ 拠点集落
  津波敷(冷泉が湧く) に海神が上陸した伝説あり 
  吉見古宿の七曲にあった大綿津見神社
が考えられる。


文庫書紀①260-12
孝安天皇の母の兄  尾張連の遠祖「津世襲」(おきつよそ)
尾張国の場所は
  吉見の尾袋
  向津具の本郷 ・・・・ 字「安佐」 から有柄銅剣が出土

天武天皇 天渟中原真人天皇


下関では武久に宗像社があり、六連島の森に「宗像」 がある。
六連島は生野神社の氏子だった。
生野神社は宗像三女神を祀る。
生野神社には前方後円墳があり、弥生時代前期の土器が出土し、磐座と思える物がある。

よしみ史誌 P549
地下上申  豊北町 矢玉の庄屋の名前 宗像又左衛門
矢玉は「大国浦」 と呼ばれていた。