向津具 の辺り


倭迹迹日百姫命

倭迹神浅茅原目妙姫
大水口宿禰 ・・・・ 穂積臣の遠祖
伊勢麻績君

占いをする場所は、向津具本郷か土井ヶ浜 ~ 矢玉である。
崇神天皇、倭迹迹日百襲姫は向津具か



「速」 は海人だ。


日向の
葛城津彦
瀛津世
向匱男聞大歴五御魂速狭騰尊

「襲」 は向津具の久津か


田道間守→清日子
清江は向津具か


「瀛」 も向津具ではないか。
意宇は向津奥で、向津具下


「日」 がつく名、「日本」 は矢玉、向津具
西安と同緯度の真東、沖ノ島の真東が「日」「日本」 である。

向津具の「向津」 は新羅の迎日湾に対する意味とされる
迎日湾の「日」 は向津具
新羅の東南に位置する場所は向津具である。


大内氏の貿易港
  下関駅に近い上新地町の厳島神社 ・・・・ 石碑あり
  豊北町の肥中湊、後に特牛になる。

豊北町の海岸「神田」 が倭国の渡海港だった。
肥中、特牛、和久、土井ヶ浜、向津具、矢玉、二見、宇賀本郷

向津具→沖ノ島→朝鮮の釜山~迎日湾
文庫書紀①104-3
少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適しぬ。
亦曰はく、淡嶋に至りて、粟茎に縁りしかば、弾かれ渡りまして常世郷に至りましきといふ。

熊野の御碕 ・・・・ 浜木綿が多い角島の夢ヶ﨑
淡嶋 ・・・・ 沖ノ島
常世郷 ・・・・ 釜山、迎日湾

熊野は 熊野の諸手船 天鴿船 天鳥船神
角島大橋に鳩島があるので、天鴿船は角島の沖田遺跡の人だろう。


万葉集から「海の北の道」 は
綾羅木川の川中から草枕の客(旅) をして、豊北町・油谷町の和久~向津具から渡海していた。


住吉神社に検非違使社がある → 平城獄
平城京は住吉神社の場所か
長府の長門鋳銭所が近い


蒲生野には未調査の弥生時代の遺跡がある。
三諸山は字が似る三郎山か