『 日本民族の誕生 』 安本美典 著
この10月に発売された本
『 日本民族の誕生 』 安本美典 著 勉誠出版 2800円+税
環日本海古民族と長江流域文化の融合
勉誠出版 ホームページ
http://bensei.jp/?main_page=wordpress&p=5501
P244
日本語祖語は、「クレオール語」 とみられる
P245 地図42
クレオール語の発生地域
長崎県~筑後川流域~福岡県~山口県山陰沿岸~鳥取県西部
↓
考古学の墓制から、この地域の文化圏は
甕棺墓圏と古賀市以東の箱式石棺墓圏の地域に分けられる。
また糸島には支石墓が多い。
福岡県朝倉町・甘木市は内陸であり、海の沿岸ではない。
大型甕棺は特徴的だから記述されるべき事柄である。
魏志倭人伝に大きな甕に葬るとは書かれていない。
記紀を読んでも国生みの神たちが甕棺に葬られたとは読めない。
邪馬台国は箱式石棺墓の地域である。
邪馬台国は「クレオール語の発生地域」 の箱式石棺墓圏であり、地政学から推理して関門海峡の本州側である下関市にあった。
P106
千木とカツオ木
下関市立考古博物館 展覧会
平成25年度特別展
「くらしとまつりの家-弥生時代から古墳時代の建物-」
説明から
「堅魚木は5世紀後半から急速に普及し」
雄略天皇の時代はカツオ木の家は生意気だとして建てられなかった。
角川ソフィア文庫 新版古事記
P213 若日下部王 ・・・・ 綾羅木の字「若宮」 あたり
の箇所でカツオ木の家が出てくる。
雄略記の場所は下関市の
綾羅木の字「郷」
延行
蒲生野 かもうの ・・・・ 万葉的な地名 → クレオール語の場所
有冨上 文庫書紀③38-7 「在丘」 葛城山はハンドウ山か
である。
蒲生野 万葉集20 題詞
日下の直越 延行丘陵の山道を通り抜ける
志幾 綾羅木 「郷」 考古博物館の駐車場あたりか
引田 綾羅木 「引田」
歌謡番号90
葉広熊白檮 薬師溜池のあたり
竹生ひ 竹生観音
妙蓮寺の山号「長谷山」 読みは「ナガタニ」 でなく「ハセ」
竹生観音の山号「高山」 万葉集では高山は香具山のこと
続日本紀⑤387-10
河内国志紀郡の人 林臣海主
了元寺の裏、綾羅木郷535番地 に林という農家がある。
農家の姓の半分はその場所の小地名、
もう半分は明治になった時に買った名前である。
了元寺の小字「木船」
志幾・志紀 → 師木 → 木船 船材になる大きな木なら母木邑か
志紀 ・・・・ 上ノ山あたりに小地名「志満堂」 がある。 (場所は不明)
秋根に字「志満」 があるが、志紀は綾羅木郷と思える。
雄略記の「河内の志幾」 は了元寺のあたり。
雄略天皇は丘の上にある川北神社あたりから了元寺付近を見下ろし、堅魚木のある大きな家を生意気だとして焼いてしまえと命じた。
記紀・万葉や続日本紀の地名から邪馬台国は下関市である。
邪馬台国の都、高天原は竹生観音 参道下の有冨側 小字「谷町」
平井さん、林さん、山村さんの家あたりが高天原で平城京があった所だ。
山村さんは続日本紀の山村王である。
関西の地名は下関市の小地名のコピーである。
大阪市生野区は下関市伊倉(古くは「生倉」) のコピーである。
原始古代の日本列島で、最も交通至便な場所は関門海峡の本州側 下関市 綾羅木川の川中地区である。 綾羅木土器の木葉紋は宇宙の中心を表す。
記紀の高天原の場所は、川中地区の住居がある所で最も標高が高い場所である竹生観音の参道入口 ~ 薬師溜池 である。
晴れた日にはGMでなく有冨が見える。
雨の日には有冨の山に雲がかかる。
ユメシティ伊倉店の屋上駐車場から見える有冨の山の名は山口県風土誌によれば東ヶ嶽だから、砕石場で削られた山は万葉集の春日山だ。 有冨墓地から雲が立っている。 おおー、あれが万葉集の春日の霞か!
下関市の雅びな地名がある蒲生野(かもうの)、深坂(みさか)、長谷(はせ)、長尾、善波などは万葉集風の地名と読みであり、安本美典の云う「日本語祖語」「クレオール語」 が残る場所である。 やまと言葉 発祥の地!
有冨、冨任の「冨」 の字は「ウ」 カンムリでなく「ワ」 カンムリであり、古事記 原文で使われる「ワ」 カンムリの「冨」 と同じ。 「富」 でなく「冨」 の字。
考古学
稗田地蔵堂遺跡から出土した蓋弓帽とは
下関市考古博物館による見解 ・・・・ ローカル政権の威信財
見学者の感想 ・・・・ 倭国王の証明品、「漢委奴国王」 金印と同類の物
中国の考古学者は漢と倭の交流で、下関市から出土した蓋弓帽に注目する。
魏志倭人伝にある倭の水人の潜水漁は下関市山陰の海岸
「アワビオコシ」 が出土
土井ヶ浜弥生人骨に多い、潜水によるとみられる耳タコ