この人は朝鮮人か !  韓国連源


続日本紀⑤481
桓武天皇 延暦9年11月10日

壬申、外従五位下 韓国連源ら言さく、
「源らは是れ物部大連らが苗裔なり。
夫れ物部連らは、各居地を行事とに因りて、別れて百八十氏と為る。
是を以て、源らが先祖塩児は、父祖使を奉けたまはれる国の名を以てす。
故に物部連は韓国連を賜はる。
 然れば、大連の苗裔は是れ日本の旧民にして、今、韓国と号するは、還りて三韓の新来に似れり。
唱導するに至りて、毎に人の聴を驚かす。
地に因りて姓を賜ふは、古今の通典なり。
伏して望まくは、韓国の二字を改めて高原を蒙り賜はらむことを」
とまうす。
請に依りてこれを許す。



講談社学術文庫 続日本紀(下)  現代語訳
P444
いま韓国連と名乗っているのは、かえって三韓から新たに渡来した人民のようで、名乗るたびに人の耳を驚かします。
居住地に因んで姓を賜うのが古今に通じるきまりです。



名前が「韓国」 だから渡来人だと思われて、聞いた人がびっくりする。
桓武天皇の時代でも渡来人は特殊で珍しい人だった。

桓武天皇の時代でも、名前は居住地に基づくものであった。
桓武天皇の都は渡来人が多い奈良県ではなく長門国豊浦郡にあった。



訓読文を引用すれば難解に感じられるが、本には「ふりがな」 が振られているのでむつかしくはない。

六国史は平安時代のものも、朝廷の書庫から500年くらい前の下関倭国の歴史書を持ち出して、適当に関西の出来事を挿入して編集したものである。
続日本後紀にしても、名前も場所も下関(和名抄の豊浦郡) の人たちである。


では、物部韓国連源はどこの人だろうか。
①考  川棚 上小野の源水
②考  延行に字「大源」
③考  宇部市棚井にある恒石八幡宮の石碑に「厚東氏の先祖は物部氏」 とある。 物部韓国連が厚東川流域の者ならば、倭国の兵として朝鮮に侵攻した兵は宇部市の者たちだった。
「源」 という名前から厚東川の水源に位置する秋芳町嘉万の国秀遺跡の者だろう。 国秀遺跡は新羅と関係を持つ。
居住地が秋吉台だから姓は「高原」 にしてもらいたいと請うた。

美祢市 秋芳町嘉万
国秀遺跡
http://www2.city.mine.lg.jp/www/contents/1318660703759/index.html
http://www.youtube.com/watch?v=PmEpxo0uB3I
中村遺跡
http://www.isekiwalker.com/iseki/148247/


続日本紀①17
韓国連広足
桂木山 ・・・・ 秋吉台の北、秋芳町と美東町の境にある桂木山



新説
韓国連源は山口県美祢市 秋芳町嘉万の国秀遺跡に住んでた人である。