天日矛 新羅国の阿具沼  香春岳


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【  古代採鉱民族の構成  】  千葉大学 井上孝夫  PDF

「 『豊前国風土記』逸文には、「田河の郡。鹿春の郷。 《郡の東北にある。》
この郷の中に河がある。年魚がいる。 ……この河の瀬は清い。それで清河原の村と名づけた。 いま鹿春の郷といっているのは訛ったのである。

昔、新羅の国の神が自分で海を渡って来着いて、この河原に住んだ。
すなわち名づけて鹿春の神という。
また郷の北に峰がある。
頂上に沼がある。《周囲三十六歩ばかり。》 黄楊樹が生えている。 また龍骨がある。
第二の峰には銅と黄楊,龍骨などがある。
第三の峰には龍骨がある。 」


香春岳 第一の峰にあった沼は 天日矛 新羅国の阿具沼 だ。
「阿具」 は 「上」 「高い所」 の意という。
  岩波文庫 古事記  P149
  角川ソフィア文庫 新訂古事記 P141
  角川ソフィア文庫 新版古事記 P171

天日矛は朝鮮名がないので、西日本の者である。
弟の知古は直方市の大字地名である。

鹿毛馬神籠石(頴田町)、御所ヶ谷神籠石(行橋市) は香春の新羅人によるものだ。


参照 一般個人様 サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hachiman-kawara.html
香春社縁起によると、
「新羅神は比売許曽(ヒメコソ)の神(赤留比売・アカルヒメ)の垂迹で、摂津国東生り郡・比売許曽神社と同体也」


田川市  天台寺跡 (上伊田廃寺)
http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/suido/sekitanbunkazai/page_91.html
豊前・豊後 古代寺院
http://blog.livedoor.jp/ooita_kenshi/archives/51448085.html



多遅摩(但馬) の場所 
①考 多遅摩(但馬) は防府市の田島
②考 川棚の田島

③考 長府博物館に油谷町伊上沖から魚網で引き上げられた甕がある。
これを神功皇后が渟田門で魚に与えた酒甕とみれば、若狭国は伊上である。
但馬は若狭の西なので、向津具か豊北町の島戸になる。
島戸に鬼伝説があり、島戸の住吉神(神田の総社) が退治したとされる。
豊北町島戸の鬼伝説は天日矛の末裔だろう。
但馬の出嶋(いづし) は島戸か。
それとも向津具が出嶋(伊豆志) か。

清日子、当摩の咩斐に娶ひて生める子、酢鹿の諸男
当摩(たぎま) は「タギ」 の音より滝部だろう。
須鹿は万葉集2727 の酢蛾島で、有柄銅剣が出土の向津具か。




近江国 鏡村のの陶人 とは、
綾羅木川または梶栗川が菟道河
竹生観音の階段下の小字「谷町」 ― 山奥なのに「町」 という字が奇妙
竹生観音の下麓である蒲生野の字「山田」 が高天原とみれば、「天日矛」 という名前は一時、竹生観音の下麓に居たから。
竹生観音は奈良県東大寺のお水取りを始めた高僧 金実中 が下関の蒲生野に来て寺を建てたと伝えられる。

東大寺 お水取り  2013年 
http://www.youtube.com/watch?v=i1I392ZO5TI

吾名邑の「吾」 は「上」 の意味なら、吾名=上田(あがた)、山田 だ。

岩波文庫 日本書紀(二)  P25上 注6
鏡村は蒲生郡 とある。
下関市の蒲生野だろう。


豊北町粟野川の宮迫から福岡平野の大型甕棺の破片が出土した。
天日矛の従者にいた陶人と関係するか。
飯塚市の立岩に近い鯰田は沼が訛った地名という。



蒲生野の字「山田」 とは別に、有冨にも山地番「山田」 がある。
ふるさと散歩みち  下関市川中地区まちづくり協議会 平成7年
P137
川中地区神社一覧を見ると、
有冨の大歳疫神小社がある場所の地名が 「山田」 である。
大年溜池の山地番が 「山田」。
明治37年の山口県風土誌では天御中主神社となっている。
有冨の龍王社 (はんどう山) の麓に位置する。


神祠  山口県風土誌
八幡宮  有冨 中村畔  祭神 応神天皇
天御中主神社  有冨上の山田  祭神 天御中主神

八幡宮  有冨下「八幡」
祭神  応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 菅原道真公

八幡宮  伊倉「日ノ見」
祭神  誉田別天皇 素盞嗚神

建御名方神社 (旧号 武者神社)  綾羅木の東方
祭神  武御名方命 経津主命 応神天皇

宇津宮八幡宮  綾羅木の西方
祭神  応神天皇
三宮 八箇国分限帳に19石余の社領あり、尋常の社ではない。
旧社説 祭神  応神天皇 比咩大神
武智石打命 (阿)武智石打命  阿武智は奄智か

天御中主神社  垢田八幡宮末  祭神 天御中主神
八坂神社  垢田の中小路  祭神 素盞嗚尊


※ 明治42年 神社整理によって、
綾羅木の川北神社、伊倉の豊神社に諸社が合祀された。