対馬 ⇒ 沖ノ島 ⇒ 向津具 の潮流 


長門市史 歴史編  昭和56年12月
P48
さらに中国関係の伝承では、唐の玄宗皇帝の楊貴妃の墓が、大避神社近くの向津具半島久津の二尊院境内にあると伝える。
恐らく、楊貴=ヤギ姓の有力者に付会した所伝であろうが、こうした伝えを生みだした思想的背景に、向津具半島、油谷湾一帯と海外渡来者との歴史的な動向が、やはり考慮されなくてはならない。
ヤギ氏と楊貴氏との互用は、早くも8世紀にその実例をみる。

玄宗に関する説話としては、さらに長門市仙崎の祇園社縁起をあげることができる。 それによると、第8次遣唐使に随伴した吉備真備は、霊亀2年(716。 正しくは翌養老元年) に玄宗に謁見した。
天平5年(733。 正しくは天平7年) 帰国の際、着岸したのが仙崎の湊であり、そこを吉備船﨑と名づけた。 俗に幾布祢﨑と呼ぶのは、それに由来するのだという。



「吉備真備は帰国の際、長門市に着岸した」 考察
6、7年前に、門司の第7管区海上保安本部 「海の相談室」 で
7月 ~ 9月  朝鮮南端-対馬-壱岐-九州北部・山口県
の潮流と風向きを教えてもらった。
コピーしてもらった潮流の地図は平成3年版でした。
各地点の潮の流れがベクトル 「 → 」 で記されている。

Google 地図で、対馬を見て「対馬」 の字の場所を拡大すれば
 古家岳
 天道山
 美津島町賀谷
のあたりである。
ここから ⇒沖ノ島⇒角島 へ真東の潮の流れがある。
対馬から長門市(角島・向津具) へは潮が真東に流れて、とても渡りやすい。
対馬から壱岐へは潮の流れが北東向きなので渡りにくい。

壱岐から九州北部へは潮流から、壱岐の西側の郷ノ浦町から馬渡島の西を通って鷹島町~玄海町へは渡りやすい。 ここは潮流が南東向きである。

風向きはどこも南西から北東へ右斜め上の方向である。