豊前隼人


平凡社の地名辞典 山口県巻  日本歴史地名大系 36
下関市  P456上

「豊府志略」 には次のように記す。
火の山と云は社説に12月晦日の夜神事に長州一宮の社官と豊前隼人の社人と海底の和刈を苅て天子え奉り又明神の御供に備ふとなり、
此の神事の刻限京へ注進のため此山の峰に狼煙を挙ぐ、是より山伝ひに京都まで達す、
一説には上古は異国より侵し来ること多し故に若異国船来る時は烽火を以て帝都に告ぐ、今の火の山も烽火を揚る山なるよし。



岡垣町史か何かで藤原広嗣は岡垣町で挙兵したと書かれていた。
大宰府は宗像の鐘﨑にあり、その近くに豊前があった。
万葉集959 から大宰府、香椎、豊前は近所である。
豊前国は宗像市上八の海岸にあった。
豊前隼人がいた場所は宗像市の上八海岸である。


地域学のすすめ  森浩一著 岩波新書
P92 ~ 98

私の見解
長登銅山跡から「豊前門司」 に銅を納品した木簡がたくさん出た。
豊前門司とは鐘﨑近くにあった大宰府であり、長登銅山から運ばれた銅は交易品だったのだろう。
豊前の位置は宗像の鐘﨑漁港のあたりである。

万葉集2341  豊国之 木綿山
岡垣町の湯川山


郷土史料に綾羅木を「阿井羅木」 と書いたものがある。
日向の吾平かな。
室津が難波なら「吉備の高島」 は綾羅木付近であり、伊倉遺跡かも。

長門は和名抄(編集は平安時代中期) の長門国ではなく、蓋井島、もしくは蓋井島と御崎の間の海峡をいい、「長」 は不老長寿を表して「長寿の門」 の意味である。 だから「長門の城」 とは蓋井島の城山である。 他に内日神社の前に小字「長門」 がある。
原始古代人は蓋井島に生えるヒゼンマユミの実に癌を抑える効力があることを知っていた。 Google で検索せよ  【 徳島文理大学 ヒゼンマユミ 】
蓋井島の水は若返りの水とされてきた。