出雲とは


岩波文庫 日本書紀(一)
神代紀 P102
国作大己貴命

国作は福岡県京都郡豊津町の大字地名「国作」 を表す。
行橋の下稗田遺跡と下関の綾羅木遺跡は似てる。 地名も似てる。
川棚も弥生貯蔵穴がある場所であり、二重土壙は綾羅木川の伊倉遺跡と川棚温泉近くの宝蔵寺遺跡にあり、生活文化が同じである。
出雲の領域は弥生貯蔵穴がある行橋、小倉、下関の綾羅木、川棚である。

根国は宗像の鐘﨑か、または下関市楠乃の「片田」(堅田) である。

私見では豊浦町の涌田は神代紀の黄泉の泉津だ。
私は 泉津 ⇒ 涌田 に転訛したとみる。
巨川は吉永川だろう。
しかし涌田後地の字「道祖」 に巨大な石があったとは聞いてない。

素戔嗚尊は吉母の浜辺を草場川沿いに上がって室津に行こうとした。
船を造る安芸国は吉母の小字「安常」

推古26年8月 是年  文庫書紀(四) P130
この時、安芸国に霹靂の木があった。 字「安常」 には目立つ檜が立つ。
樋の口神社は明治はじめまで、字「安常」 の目立つ檜がある場所にあった。
ここは出雲の簸でもある。

八岐大蛇は吉母の字「背禿」 の追いハギ民話である。
そこは首なし地蔵がある場所である。
法林寺の七分かれソテツは八岐大蛇を表す
道路脇法面にある首なし地蔵の前を「江の川」 という。

記紀・万葉は下関市の山陰側に位置する吉母・永田郷・蓋井島・室津・黒井・川棚など、本州最西端の民話である。 日本書紀は豊北町の地名に因む人名が多い。 記紀・万葉だけでなく平安時代に書かれた続日本後紀も場所は下関であり、六国史全部が大和朝廷とは異なる倭国の歴史書である。

出雲の須賀の地は黒井の八ヶ浜である。