川棚 の遺跡


川棚には弥生時代の高地性集落があった。 ⇒ 軍事的緊張ありの場所
高野の「上の原」 には弥生時代の貯蔵穴があった。

吉永と J R 川棚温泉駅の間の北無田には弥生遺跡が広がることが分かっていたが、みかん畑の造成によって未調査のまま破壊された。


私見
記紀の筒木(筒城) は厚母の都々里遺跡だろう。
「都々里」 の場所は国道191号の厚母から遠田へ入り、遠田集落の東にある溜池のあたり。

草場山が「日」 なので、纏向代宮は厚母の阿蔵・田が候補地になる。
景行紀 文庫書紀(二)  P64
美濃国造、名は神骨が娘、兄の名は兄子、弟の名は弟

厚母の小字「美濃ヶ迫」 は豊洋台の中央にある池になっている。
豊洋台の池を美濃ヶ迫池という。
阿遠とは離れているので景行紀の美濃ではない。

厚母川沿いは字「王地」 や梅ヶ峠まで遺跡が連続していると推理できる。
1970年代初頭のミカン畑造成などで破壊されているだろう。


参照
豊浦町史