室津から吉母へ


元寇の時に、元の使者が室津に来ているので室津は難波だ。
室津の若宮神社は仁徳天皇を祭る。

厚島の男島(おしま) に縄文遺跡がある。
川棚沖の男島がオノゴロ島になろう。

吉母の字「樋の口」 が出雲の簸の河である。
船を造る安芸国は吉母の「安常」 である。
ということは吉母は出雲になる。
素戔嗚尊は吉母から室津に向かった。
ということは吉母は素戔嗚尊の国であり、国都美神の浦である。
「石走る 淡海」 「鯨が泳ぐ淡海」 は吉母の畳石になる。

万葉集17
地元の民話より、鬼ヶ城が三輪山である。
奈良の山は「金畠」 の山で草場山である。
額田王は 室津⇒山中⇒印内⇒金畠⇒若宮神社 と来て、鬼ヶ城が草場山に隠れてしまったことを嘆いた。

相坂は吉母の一盃堂になる。



元寇の年表
1263 弘長1  高麗、日本人の沿岸侵略の禁止を要請
1268 文永5  高麗使が蒙古皇帝フビライの書を携え大宰府に来着
1269 文永6  蒙古使、対馬に来着
1271 文永8  蒙古使、大宰府に来着
1273 文永10  元使、大宰府に来着
1274 文永11  文永の役
1275 建治1  元使、長門に来着 ・・・・ 室津に元の使者が来着
1276 建治2  幕府、博多付近の海岸に石塁を築く
1279 弘安2  元使、筑紫に来着。 博多で斬る。
1281 弘安4  弘安の役
1284 弘安7  元使が対馬に来着

高校生用参考書
山川 日本史総合図録(増補版) 2000年 第7刷  より