吉備穴門武媛


防衛省自衛隊の戦史研究センターの研究員が白村江の戦いを分析すれば、大船団が行く途中の岡山県などで物資を補給する兵站の記述が日本書紀にないことが疑問である。

私の個人的な研究では、日本書紀の播磨国は福岡市の志賀島であり、古事記の針間は下関市の椋野である。
吉備は下関市の阿弥陀町 ~ 唐戸 ~ 竹﨑 ~ 大坪 ~ 武久 ~ 綾羅木だ。
景行紀の吉備穴門武媛は武久か竹﨑の人だ。
仁徳紀の吉備の川島河は大坪本町の武久川が分岐する地点である。

雄略紀 吉備上道采女大海
伊勢には采女がいる。
吉備上道にも采女がいた。
吉備の神部か。

皇極紀 吉備島皇祖母命 
「皇祖母」 は天照大神または伊奘冉尊に通じる。
この場所は彦島だ。
彦島は吉備であり、また天照大神の伊勢、あるいはオノゴロ島か。
小瀬戸は天川とも呼ばれていた。

草薙剣が納められていた場所は
  吉備の神部
  尾張の熱田社
  伊勢神宮 ・・・・ 倭姫が日本武尊に草薙剣を授けた




吉備穴門武媛
岩波文庫 日本書紀(二)  P110
景行天皇 51年8日

吉備上道采女大海
同(三)  P58  雄略天皇 9年3月


吉備皇祖母命 ・・・・ 皇極天皇の母
同(四)  
P206  皇極天皇 2年9月11日
P274  孝徳天皇 大化2年3月19日

オノゴロ島は彦島である。


皇祖母命
同(四) P26  糠手姫皇女(またの名は、田村皇女。 敏達記に王)
島皇祖母命とも呼ばれた。
皇極天皇の母で皇極2年に死んだ吉備島皇祖母(吉備姫王) とは別人

同(五) P32  天智3年6月 


続紀  元明女帝  神亀元年2月4日条宣命