八俣大蛇  吉母


山口県風土誌 吉母  P439

地蔵堂
ツツミ堂と称す。
同上(吉見上村 観音院持) 云う、
往古武田の番匠妻此所にて死去仕に付、右の石仏を立置候哉、右の石仏を番匠手斧作りの印の石と称す。
さて又ツツミ堂と申は、堂の後を不門と云、前をは江ノ川と云、中に有之堂故かツツミ堂と云習わし候。

私見
江ノ川という地名がある。 ・・・・ 八岐大蛇を退治した安芸の江の川
ツツミ堂は堤(溜池) による地名ではない。
筒木(筒城) はここか。


出合薬師堂  室津下「出合」
往古此所に青木ヶ淵と申淵有之、是に化生の者住み往来を妨申に付、其節田中殿と申仁当村に居住、又吉母村に被居候真鍋殿と申御仁此堂へ出合、右の化生退治被仕たる由、依之此堂を出合薬師と申習し候歟、尤青木ヶ原淵と申は今堤に相成、出合堤と申候。

観音堂
室津下の日山


場所は毘沙ノ鼻駐車場の 『自然と伝説の里 吉母マップ』 看板を参照せよ。

八岐大蛇も吉母の出来事だろう。
字「安常」 の樋の口神社 ・・・・ 安芸国、簸の河
首なし地蔵 ・・・・ 前を「江ノ川」 という。 追いハギがいた。
法林寺の七分かれソテツ ・・・・ 八岐大蛇

草場川での出来事だから薙剣という。

厚母大仏(重要文化財。戦前は国宝) は元は吉母の東光坊にあったのだから、吉母の「印内」 は鄙ではなかった。

素戔嗚尊は「印内」 の道路法面にある首なし地蔵で追いハギの八岐大蛇を斬り、その後室津に下りたと推理できる。
角川ソフィア文庫 新版古事記  平成21年
P48
足名
稲田宮主須賀之耳神 ・・・・ヶ浜のゴルフ場

角川ソフィア文庫 新訂古事記  平成13年41版
P41
脚注で 足名


  おおきな斧 ・・・・ 涌田後地の字「長斧屋敷」、吉永「山の神遺跡」
  刺す、馬身の装飾具の名、また缺に通じる
※ ネットの「ニコニコ大百科」 による


黄泉は日本書紀では泉津。
涌田は脇田の転訛と見られているが、泉津 ⇒ 涌田も考えられる。
杜屋神社の祭神である三穂津媛は出雲の三穂。
須賀の出雲は、涌田・黒井・吉永 である。

考古学から見れば
川棚周辺の弥生遺跡は貯蔵穴であり、高床式ではない。
出雲の領域は行橋・小倉・綾羅木・川棚の貯蔵穴地域である。

棚の青龍沼が内国の茅渟かも。