吉母  山口 印内 金畠


吉母と室津との境
草場川の上流
に、小字 「山口」 「印内」 「金畠」 がある。


山口県風土誌
吉母 
山口 ・・・・ 仁徳記 山代河 那良の山口
御堂ヶ澤
由来書云、往古此所に伽藍有之、已後退転仕、小堂残り観音二尊・不動・毘沙門一所に有之、此堂を観音堂と云ふ。 小名を御堂ヶ浴と申習し候。
東光坊御堂ヶ浴共申伝候。 然は伽藍寺の時分は東光坊と申たる哉。
其故にか東光坊御堂ヶ浴と今以て申伝候。

印内
同上云、往古金山場所にて、金鋳之役人より余人出入留候。
境に印の高の高札を立、此所まで出入留候。
印し内と申儀を申習し、已後印内と小村を申伝候。
按るに此伝いかがあらん。 印内は院内にて、多くの寺領また修験などの居住せる地を云ふことなり。

金畠
同上作金屋畠。
云、此村に大畑山と申す金山往古有之たる由、其節此所に金屋有之、其故に小名を金屋畠と申習候由申伝候。


吉母と室津との境
草場川の上流
にある 「山口」「印内」「金畠」 が記紀・万葉の 奈良 の都である。
銅鉱山があり、青丹吉の奈良だ。

厚母大仏は戦前は国宝、戦後は重要文化財
厚母大仏は元は吉母の御堂ヶ浴にあり、売り払われて厚母に移った。
光坊が続日本紀に記述された大寺である。


吉母の小字「印内」 が記紀・万葉の奈良で、
「東大寺の大仏」 は実は厚母大仏であり、元は吉母の御堂ヶ澤にあった。