吉母は日本の難波だった


川棚の高野には大きな遺跡があるが、川棚川の河口まで距離がある。
万葉集の難波は吉母に合致する。
仁徳天皇は吉母の若宮神社を都とし、枯野という船で蓋井島の井戸水を朝夕2回汲みに行かせていた。

万葉集303304
柿本朝臣人麻呂の、筑紫国に下りし時に海路にして作りし歌二首
名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根
大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念 

山跡 ・・・・ 海上自衛隊下関基地がある永田本町
嶋根 ・・・・ 吉母・御崎
稲見の海 ・・・・ 響灘  「稲」 は稲妻・稲光

嶋門 ・・・・ 鐘﨑の岬、京泊
遠の朝廷 ・・・ 鐘﨑漁港、古代の地形からバス停「上八」付近


万葉集326
門部王の、難波に在りて、漁父の燭光を見て作りし歌一首
後に姓大原真人の氏を賜はりしなり
見渡者 明石之浦尓 焼火乃 保尓曾出流 妹尓恋久
①考 吉母の若宮神社から関門海峡 小瀬戸 の西側で行われていた漁火が見えた。 間関は「開」(=明) だという説による。 赤間神宮の裏山を紅石山という。

②考 吉母の西光寺 西側 の小字が「明見」 である。
西光寺のあたりが万葉集の明石である。
同じ吉母港で、若宮神社から西光寺の字「明見」 を見た。

岩波文庫 日本書紀(二)  P248
仁徳天皇 22年正月 歌謡
押照る 難波の﨑の 並び浜
吉母はバス停 吉母 と海の家がある東側に小字「湊ノ下」「湊ノ上」があり、
黒島側の西条に集落があり、並び浜である。
若宮神社の向かいに西光寺がある。
 


難波宮発見宣言
難波宮は吉母の若宮神社にあった!!!!