吉母 相坂


吉母は「汀の里」 と呼ばれていたので、出雲の五十田狭の小である。
楽浪の志賀の韓﨑は国つ神の浦なので、吉母だ。
淡海の大津宮は吉母だ。
漢委奴国は「極南界」 と語られて国土のにあるので吉母。

吉母、石王田は縄文遺跡があるので、古くから人がいた。

相坂は永田から吉母へ行く道だ。

地元の伝説では、神功皇后は吉母の黒島から三韓に渡ったという。
黒島の沖に海に突き出た岩礁があり、「威瀬」 という。

吉母には小字「柏」 がある。 難波の柏済か。
という地名がある場所
  芦屋町 柏原
  下関市 垢田「柏原」
  吉母「柏」
仁徳紀では「済」 (かしわわたり) で川棚温泉駅の小字が「葉中」 である。 ― 国土地理院地図を参照せよ

垢田「柏原」 は
岩波文庫 日本書紀(二)  P60
景行天皇 3年2月1日
紀伊国 阿備の柏原
 

吉母から大河原に抜ける道の小字が「姫畠」。
難波の姫島かもしれない。 「島」 には山中の地の意味もある。
吉母から大河原に出た所の岩場海岸は小字「貴船原」 という。


吉母は「金畠」 と「平山」 に銅山があったという。
「印内」 は修験道の場所で、古くは何百と伽藍があったと江戸時代の地誌に書かれている。


一般的に若宮神社の若宮は仁徳天皇をさす。
日本書紀では伊奘諾尊の幽宮を「日の少宮」 といい「少宮」 を「わかみや」 と訓んでいる。
吉母の若宮神社か。 難しい。 永田郷にも小字「若宮」 がある。
永田郷の梅ヶ峠の小字「若王子」 は応神天皇を連想させる。

吉母の若宮神社がある場所の小字は「宮ノ前」
若宮神社の北側の小字が「宮ノ」 ・・・・ 仁徳天皇の皇后 磐之媛か。
若宮神社の南側の小字は「石井迫」


大河原(おおこら) の中心集落の小字は「枝」 で、大河原を国枝ともいう。
本州の極西界 に位置している。 御﨑は出雲の御大の大前三穂 になる。
つ神の出雲は国枝の別名がある大河原と見れる。
大河原からゴミ埋立処分場に登る急な山道の小字が「堂」 である。


吉母は鯨が打上った伝承をもつ畳石の岩礁がある。⇒難波の潮干の海石
吉母には江戸時代に鯨組(鯨捕り漁師) がいた。
吉母浜遺跡(弥生) から鯨骨製アワビおこしが出土している。

万葉集では難波の海、淡海の海、石見の海には鯨がいて、鯨捕り漁師がいる。


万葉集228、434~437  姫嶋松原
万葉集307、296、1228  三穂

福岡県 岡垣町波津から蓋井島・吉見が直に見える。
鐘﨑と吉母・永田本町・吉見は海の対岸の関係にある。


考古学は都市論だから、都市論的に関西や福岡市の遺跡が重視される。
でも書物によれば、倭国の都は山海のリアス式海岸に拠り、東方の神仙郷とされ倭人は仙人生活をしている。
暮らしやすい場所は遠浅の岩場がある海辺で、貝や海藻が採れる所である。
偉い人は山奥の水源に住んでいる。 下流は人のウンコ・シッコや動物を殺して川で血抜きした水が流れこみ不衛生である。 また人が多いと赤痢や結核などの伝染病にかかりやすい。

魏志倭人伝によれば
倭国には環濠はなく卑弥呼の宮室に城柵があるのみ。