茅渟 小倉北区 萩﨑町 綿津美神社
古事記の神武東征で、 角川ソフィア文庫 新訂古事記 P77
南の方より廻り幸でます時に、血沼(ちぬ) の海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。
血沼は南の方の海辺にある。
日本書紀では大田田根子は茅渟県の陶邑の人である。
私見では紀国は南小倉の木町なので、茅渟はその手前、紫川の河口にある。
田町か、少し離れて大田町がある。
『おもしろ地名 北九州事典』 文理閣 によれば、大田町は最近の合成地名で、元は大和町と富田町だったとある。
足原も最近の合成地名(大畠・足立・黒原・熊本 の合併) という。
企救郡誌に、熊本 は「往古この村人は土器を作るを家業とす。今にその子孫在りて瓦を作る」 とある。
「おもしろ地名 北九州事典」 P77
白髭神社 小倉南区 蜷田若園 1丁目
菅原道真が大宰府左遷のとき当社に詣でて大田命を合祀したと伝える。
祭神 猿田毘古神 天児屋根命 天宇受売命 布刀玉命
由緒 高千穂峰に降臨した邇邇芸命に協力して天宇受女命が宮所を求め、当地の丘にしばらくとどまったという。
「福岡県の地名」 P1239上
萩﨑村 (萩﨑町、明和町、三萩野 1丁目) は博士(陰陽師)、占者が住んでいたので八卦﨑と称していたのが転訛したものという。
現在も陰陽師の子孫が住む。
「福岡県の地名」 P1234中
萩﨑町、三萩野は易者の地、卜占の地だった。
地名の神岳は大神山か。
小倉南区の 津田 には景行天皇伝説があり、景行天皇が土蜘蛛の石窟を攻め、その血がくるぶしを濡らすほどだったので血田。好字令によって津田。
「おもしろ地名 北九州事典」 P142
私見
大田田根子は小倉北区 熊本 または 旧萩﨑村 の者で、崇神天皇から呼び出されて下関の住吉神社の場所である倭(やまと) に住んだ。
活玉依媛、陶津耳、奇日方天日方武茅渟祇 は下関の住吉神社の近辺でなく、小倉北区 萩﨑・熊本 のあたり。あるいは蜷田の白髭神社のあたり。
綿津美神社 萩﨑町
わいわい祭の「祝う祝う」 は出雲を示す。
厄払いの大田田根子だ。
倭、大倭は小倉北区の神岳か ?
天高市は熊本のあたり ?
大田
・穴門の大田
・応神紀の大田君
・大伯海の大田
・茅渟の大田田根子の大田
この4つは同じ場所か。
岩波文庫 日本書紀(三) P328
欽明天皇 22年
穴門館
工匠河内馬飼首押勝
穴門と河内は近い。
小字 (一部)
古船場町 水門
片野 乳橋 ・・・・ 茅渟 ?
萩﨑 乳橋
仲津口 山田 寒竹 呉﨑
片野新町村 ハクチ ・・・・ 白雉 ?
篠崎 山田
日明 大沼
田町 大沼
馬借町に勧請されたものであるが、住吉神社があった。
八坂神社に合祀されている。