遠賀川の記紀伝承 48


遠賀郡誌 上津役村  P92 より

帆柱山
昔神功皇后征韓の時船材を採らせ玉ひ、檣(ほばしら) もこの山より出せし故此名ありといふ。
8分許の所に蠟燭杉とてありしが、近年払下あり多く伐採したれども未だ昔の面影を偲ぶ形身は残れり、其形蠟燭に似たればなり。

※ 帆柱山の杉は江戸時代に植林されたものらしい。 しかし神功皇后の伝説があるので、実はもっと古く、万葉集259 の香山の鉾椙(ほこすぎ) か。
帆柱山が天香山か。

また吉野の三船山は帆柱山かも。
尾倉はもと「小倉」 と書かれていた。


坊住山 ・・・・ 権現山。 高見山ともいう。
市ノ瀬の東にありて東北は黒崎町大字前田、東は八幡町大字大蔵に堺ひ皿倉山に連亘せり。 杉山又は矢筈山とも云ふ。
坊住と云ふは鷹見神社宮司の坊ありしよりの名なり。
山麓鮎返より絶頂へ16町15間余、嶮阻にして7合目以上は草立なりしを近年大林区署の事業として造林せられたり。
其下は雑木杉立本郡中の最高山なり。

※ 坊住山が鉾椙の天香山か。


竹尾山
同区の南に在り古城址なり。
山麓大空より絶頂へ5町25間、嶮阻総て竹立なり。
尾続きに山木屋山(こややま) あり。草立なりしを是も近年大林区署の事業として造林せられたり。

※ 天児屋命か



割子川
穴生川、鮎返川ともいふ。
此川につき一つの物語あり、そは此川をわれん川と云。
其の起源を尋ねるに、
文明20年の春、多々良朝臣義隆此川の辺を通行せられける時、誤りて彼の所持せられし宝玉を、川中に落されしに破壊せざりし故われん川と唱えしと云伝ふさる故にや。
晶玉に少しの瑕あり、其時此宝玉を穴生の鷹見神社へ奉納あり、今尚神宝として保存せられたり。

※ 穴生の鷹見神社の水晶玉は神功皇后の如意珠か。



鮎返滝
市ノ瀬区の東8町6間余にあり、高1丈6尺 幅1間、水源は坊住山より出て流末穴生川に入る。


井三所
穴生区の東4町余に鷹見池あり、方4尺許。
古へ鷹見神社の神井なりと云。
筒井と云は区の東3町余にあり、方1間半許。
朽たる楠の株より涌出せり。
2井とも極めて清冽なり。

又区の北1町半許、古屋敷と云所にも1井あり。
方4尺許にして水は濁れり。