遠賀川の記紀伝承 47


熊野神社  上上津役 馬場

祭神
伊弉諾尊 速玉男命 事解男命
福岡県地理全誌には、相殿に大倉主菟夫羅媛神を祭る故に初めは女体権現と称せりと。
臼井浅夫云、熊野は伊弉冉の尊なれば此称あるにや。
又宮永保親が考を載たれども信じ難ければ省きたり。

本社昔は下上津役字迎ひと云所にあり。
迎へと名付し由縁は、神功皇后三韓を征伐し玉ひ、帰朝の途次群臣を率ひて当駅に入らせ給ふ、郡主を首め庶民迎へ奉ける仍て、此所を御迎へと名付しとかや。
時に2皇子謀叛の事を聞せ玉ひければ、皇后武内大臣をして応神天皇を紀伊国に潜行させ玉ひ、御躬親から此地に祭壇を設けて、紀伊国鎮座の熊野の大神を祭り、皇子の安泰を祈り玉ひしより、世々社殿を建てて斎き祭りしかば、往昔は神田20町余ありて、神事も最も厳重なりしが、多くの星霜と数度の兵火に罹りて祭事もいつしか怠り、神田も只一つの地字となりて残れるのみ。


遠賀郡誌  上津役村  P113



<私見>
もしかして務古水門は、この下上津役 「迎」 か。
岩波文庫 日本書紀(二)  P160

女体権現 ⇒ 天照大神の地
馬場 ⇒ 邪台国の「馬」

大阪市の難波や和歌山県の熊野まで、あまりに遠過ぎる。
難波、熊野は下上津役の「迎」 または上上津役の熊野神社からそう遠くない所にあった、とみなければならない。


「伝説」 と「伝承」 は異なる ?
「伝説」 はウソの物語性が強い。
私は記紀万葉・六国史などの都の場所は関門海峡のあたりとみているので、タイトルには真実味をもつ「伝承」 を使う。