高天原穴門説  佐世保


穴門は佐世保市であり、神功皇后こと台与(壱与) は穴門豊浦宮または松浦(末羅) で魏に貢上する大量の真珠を調達した。
越(高志) の角鹿は平戸島西端の志々伎または宇久島である。
気長足姫尊(息長帯日売命) 自身が九州西海の真珠の産地出身であった。

熊鰐・五十迹手は穴門に出向いた時に天磐戸の儀式で天皇皇后を迎えているので、高天原は佐世保市の水銀鉱床(陸上自衛隊相浦駐屯基地内) だ。

万葉集3157 より、安河は海に流れている。
天安河は佐世保市の相浦川である。

天香具山の近くには「香具山の池」 がある。
福岡県岡垣町の高倉神社裏の高津山を天香具山としたら、池は2キロ以上先の門田池になり遠過ぎる。高津山は天香具山ではない。


高天原 ・・・・ 水銀鉱がある佐世保市の相浦川流域
筑紫 ・・・・ 岡垣町 笠沙は松原砂丘

魏志倭人伝の卑弥呼は天照大神でもあり、穴門豊浦宮から「筑紫」 の場所である岡垣町に戻った神功皇后でもある。
、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行10日陸行1月。
この場所は佐世保市相浦川流域である。

、投馬国に至る水行20日
陸行がないので離島であり、五島列島南端の玉之浦。
福江島では弥生時代から牛が飼われており、大規模貝塚もあり、宇久島にかけて遺跡が多い。

天然真珠貝が生息していた場所は、
鹿児島県 甑島 上甑村瀬上 の貝池
五島の玉之浦
対馬の玉調
の3か所である。

長崎県は会稽東冶の東にある。
東シナ海に面してなければ「当(まさ)に会稽東冶の東」 とはいえない。


後の隋書倭国伝では倭国の都は竹斯の東方向へ、秦王国を経て10余国の後である。
秦王国は福津市の宮地嶽・津屋崎である。
この記述から倭国の都は山口県方面にある。

魏志倭人伝の旁国は瀬戸内海沿岸を大阪湾方向へ向かい、最初の斯馬国は山口県東部の上関町付近である。