岡垣町  地誌 2


岡垣町史  P865 より

雨乞山古城
手野と三吉の境にある山で、現在は百合山といい、手野では城ヶ原山ともいっている。
『筑前国続風土記』 の古城古戦場の項に、「雨乞古城、天野村にあり。城主詳ならす」 と書かれている。
干ばつの年にこの山を焼くと雲が出て雨が降ったといわれるところから、この山を雨乞山という。
頂上に平地があり、ここが宗像(氏貞の頃) の端城の一つだったと伝えられる。

※ 私見は、ここが日本書紀の高安城であろう。


垂水峠
宗像と境をなす峠で、湯川山と孔大寺山との間にある。
垂水峠、樽見峠とも書き、古代にはここを大宰官道が通っていたともいわれる。
『平家物語』 に、安徳天皇が大宰府から大里の行在所に向かわれたときの峠の様子を、「垂水山鶉浜といふ峻嶮を凌がせたまひて渺々たる平沙へ赴きまゐりける」 と書かれている。

峠の途中には、駕籠据場という所がある。
昔、ここで旅人が駕籠を据えて休憩した所といわれている。
峠の頂上には花立地蔵がある。
峠にちなんだ河童伝説がある。

※ 「垂水」 を滝とみれば手野の滝であり、垂水山は葛城山こと孔大寺山だろう。



郷土史本 水巻昔ばなし  昭和61年  P9

遠賀の地名
この由来につては貝原益軒の「筑前国続風土記」 (1709) に、「内浦の西、原村より芦屋までの海辺に高き岡つづけり、故に、その辺を岡と称し、郡の名もこれによりて名づけしならん」 と記されている。
しかし農政を本文とする当時の為政者が、三里ノ松原のような不毛の砂丘を郡名にするとは、どう考えても疑問がもたれる。


※ 考古学より、弥生時代の遠賀川流域の中心は岡垣町だった。
古墳時代の岡垣町の中心は波津・原だった。
垂水峠に大宰官道が通っていた。
大宰府官衙は垂水峠の道の先の内浦か手野にあったのではないか。