岡垣町  安楽院


遠賀郡誌  P489

浄土宗 安楽院

大字吉木字元松原浜山にあり
松原山極楽寺と号す。 本尊は阿弥陀如来

古へは高浜の辻と云所に在り
開基の僧及び年代詳ならず

寺伝には開山谷阿上人とあれ
其当時の伝記の兵燹に罹りて烏有に帰したれは後年伝谷阿は四条天皇の崩御在しまし、仁治3年5月7日 76歳を以遷化したる人なれば彼応永神事録に光孝天皇仁和元年乙巳落慶の大会ありと記したれば四条天皇の仁治より375年以前の事なれは谷阿の開基に非さるや論を俟たず
其落慶の大会と云も疑はしき点なきにあらず。

因りて按ずるに、
三吉村の洞源の旧記に天平年間行基諸国を遍歴して三吉野の来り
洞古穴に錫を留めて本尊薬師如来の尊像を自ら彫刻して安置せりと、
或は其当時当寺の本尊も自ら彫刻して此寺をも開基せしに非さるは、行基は法相宗の人なれはなり
初は法相宗の大寺にて七伽藍全備し寺領2000石 境内凡3700坪ありしと云。

吉木区の旧家瓜生深田の記録を集めたる同区三輪氏の旧記に安楽院ありし所は今の高浜の辻にて客殿より北にドンドンの滝とて鳴る水あり

浜辺に小山あり
名付て鶉浜と云

是より束に塩竃とて小山あり

南に当りて惣門あり
外に百間許の馬場あり、是を射場と云

寺より西に当りて九重の塔あり
此所を今に塔の窪といふ

馬場前に総門あり
上に十王の像を安置せり、今も其跡存せり。


同書 P500
塔の窪  四条天皇の宮人6人の住し所なりといひ伝ふ。

碁石山  岡松原の長浜の小高き所にあり
此所に丸き小石多し因りて碁石山と云、
今も小礫堆く積めり
古へ安楽院の在りし地にて安口(アクチ)判官が籠りし所なり。

三輪の旧記に此松原に七つの不思議あり
先ず碁石山石 昔より埋もれず
里の灘の音一向に耳に入らず
穀物に砂入らず
昔より難産にて死せず
雨落のおとせず
と。


同書 P508
安口判官首塚
吉木区字松原浜山民家の側に在り
安口判官の首を埋めし所と云
其従者の躯塚あり、

安楽院伝説に明応3年甲寅大友氏の兵御笠郡岩屋の城主安口判官と云者遁れて安楽院に籠る、
敵兵追来りて寺を囲む
判官50騎許を率ひ来り防戦せしかとも遂に討死す
判官時に18歳なりしと云

此判官の出所詳ならず
岩屋の城主とあれ共岩屋は其以前より代々高橋家の居城なればなり。


※ 豊国の聞の高浜・長浜は安楽院のあたり。
※ 三吉に洞窟があったようだ。