岡垣町  高倉神社


高倉神社
岡垣町史  P994、999

所在地  大字高倉 字御(おした) 1113
祭神  大倉主命 菟夫羅媛命  相殿に天照大神
由緒  高倉神社の祭神は、『日本書紀』 (仲哀紀) に記されている地主神である。

貝原好古の縁起には、天智天皇のころ、新羅国の沙門(僧のこと) 道堯という者が、尾張国熱田宮に祀られていた草薙剣を盗み取って逃げようとした。
筑前博多まで逃げたものの、ここでとり押さえられた。
このとき奪い返した神剣を送り返すまでの間は、再び盗まれるようなことがあってはという配慮から、高倉神社が清浄で、とくに堅固な土地だからということで、剣はこの神殿に安置された。
それとともに、鍛工に神剣と同じ剣を七振作らせ、神社に別殿を建てて八剣を納めた。
そのため高倉神社のことを、八剣宮ともいったと書かれている。

境内地は高津峰の境内を加えて、4300坪あり、社伝によると、神功皇后三韓征伐の折、波津の浦に上陸、高津峰の山頂に敵国降伏の祈願を行なわれた。
その際、一本の杉苗を植えられた。
逆さに植えられたので一名 逆杉(さかすぎ) とも称して、神木とあがめられている綾杉がそれである。


境内社
陽御前社
陰御前社
神武天皇社
住吉神社
志々岐神社
大国主神社
厳島神社
伊賀神社
大山祇神社
稲荷神社
山﨑姫神祠
天満宮



遠賀郡誌  P470

高倉区の南山麓にあり神殿は西に向へり、
芦屋町岡湊神社の本社にして、従前は遠賀郡22村の総社なりき。

22村は高倉吉木三吉手野内浦原波津松原黒山上畑野間海老津山田糠塚尾崎戸切虫生津別府若松鬼津芦屋是なり。
然に縁起には17村とあり。続風土記には18村と記せり。蓋近年22村となれるは、追々分離して別村となれる故也。

仲哀天皇神功皇后と共に謀を廻し岡津に暫く駐まりおはしまして諸軍に命じ兵器を鍛錬し弓矢を調へさせ玉ふ。仍其所を名付て矢矧と云ふ。
こゝに於て熊鰐皇后に奏しけるは此県に高津峯とて三面宝珠の山あり。
この峯に群神たち天降りをはします是国家鎮護の御為なり
いそぎ彼峰によぢ上らせ玉ひ朝鮮誅伐の事を祈らせ給へかし。

と皇后悦び此山に攀ぢ上り熊襲誅伐の事を祈らせ玉ひ、程なく岡津に帰らせ玉ひ、天皇と共に謀り玉ふに此所は国の端なれば暫くも皇居と成るべき所にあらず、香椎の宮に移らせ玉ふべしとて軍立し玉ふ。

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斯くて程なく香椎に入らせ玉ひしが、天皇崩御ましましければ皇后天皇に代り熊襲を伐平げ新羅を伐従へ其年の12月に御帰朝あり、
此度祈り祭り玉ひし神々に報賽ありて各々其鎮りまさむとある所に祝ひ祭り玉ふ中にも、大倉主菟夫羅媛の二神は水神にて仲哀の帝筑紫に下り玉ふ時神異あり、
又皇后三韓を伐ち玉ふ時も冥助浅からざりしかば摂政2年壬午の5月午日始めて勅を下し、此高倉邑に御社を立て祭らせ玉ふ。
此故に今の世に至るまで午日を以て祭日とはし奉るなり。

因みに云摂津名所図絵に円堂と云ふ神社あり、
是は神功皇后高倉の神を祭り玉ふといふ、
と云ふ名義に就きては説あれ共省きぬ

又大阪市東区淡路町に府社御霊神社あり、
祭神大倉主命菟夫羅媛命及び応神天皇を祀れりと云ふ、
是も皇后の祭り玉ふ所といへり。



私見
境内社に住吉神社がある。 高倉神社は香椎宮か。

日本書紀 仲哀天皇8年9月5日 の神託
岩波文庫 日本書紀(二)  P132
高き岳 (巻末の原文は高岳または高嶽) ・・・・ 高津峰
天津水影 ・・・・ 門田池は人工の池でなく原始古代からの池である

仲哀天皇・神功皇后の頃は岡垣町の沖積低地は、まだ潟湖・沼沢地だったとも考えられる。
高津山の山頂から見て、天津である岡垣町全体が湖だった。

高倉神社は橿日宮である。