出雲  岡垣町 ⇒ 芦屋町柏原 ⇒ 小倉 へ移動


岩波文庫 日本書紀(一)  P104
少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適しぬ。
亦曰はく、淡嶋に至りて、粟茎に縁りしかば、弾かれまして常世郷に至りましきといふ。
自後、国の中に未だ成らざる所をば、大己貴神、独能く巡り造る。
遂に出雲国に到りて、乃ち興言して曰はく、・・・・



阿曇連の本拠地は北九州市若松区である。
若松区払川の清泉の水を使って醸造した酒は味が良かった、という。
岩波文庫 日本書紀(二)  P170 神功皇后の歌
此の御酒は 吾が御酒ならず 神酒の司 常世に坐す いはたたす 少御神の豊寿き 寿き廻ほし 神寿き 寿き狂ほし 奉り来し御酒そ あさず飲せ ささ


熊野は万葉集496 よりハマユウの場所なので、芦屋町の夏井ヶ浜である。
芦屋町の柏原は紀伊国の柏
常世郷は土井ヶ浜遺跡で、土井ヶ浜遺跡から出土した一体の九州西北型弥生人骨が少彦名命

大国主神・少彦名命が治めた場所は岡垣町・芦屋町・若松区である。
志都石室は柏原海岸の大洞窟
製塩の縄の浦は若松区小竹 脇ノ浦 にある浜田遺跡

製塩については、福岡県の地名 平凡社 P86下 山鹿郷 に
8世紀初頭、山鹿に塩焼山があった史料がある。


岡垣町は銅剣の出土が多いので、八千戈神の地
少彦名命が熊野である芦屋町の柏原から常世郷に行ってしまったので、大己貴神は出雲である北九州市小倉へ移動した。
小倉が出雲であるわけは足立山は雲がかかる日が多く、霧ヶ岳とも呼ばれている。
葦原醜男の足原は年中霧の丘である。
日本の三諸山は小倉の足立山だろう。   文庫書紀(一)  P106 3行目

岡垣町や小倉の出雲神宝は流刑によって島根県荒神谷遺跡に埋められた。


岡垣町から出土する多量の銅剣
狩尾神社(芦屋町山鹿25−3 ) は若松の総社だったという。
若松区岩屋の箱式石棺から後漢代の双頭竜文鏡が出土した。