龍王山 下関吉見
龍王山
景行天皇庚寅2月4日、天地晦瞑震動して、大神当山千母平嶽に出現し給ふ。
翌朝里人参登し見れば、数千の草右山中に在り。
就中辰の方とに巨巌あり。
同11月大神宣はく、郷中に復福異事あらんときは、此石必ず鳴動せん、辰の方鳴動せば、東方に異事あらん。
坤方鳴動せば、西南に怪事あらん。
必ず鎮むべしと告げ給へり。
今に違ふことなしと伝ふ。
其後成務天皇元年末、正月朔日、大神又々出現し給へりと伝ふ。
神功皇后三韓を征伐に幸させ給ひし時は、此山に登り給ひて大神に祈り給ひ、又山内屏風谷に楠樹ありしを伐って四十八艘の御艦を造らせ、山の峠を引越して、海辺に出させ給ひし時、御船此山下の浜に着けり。
其浜を王窪 (大久保) といふ。
艦中の兵器は其の処なる岩窟に納め給ひ、御艦の梶は其浜におかせ給ひしに、後代には皆岩と化して今猶存せり。
龍王神社は、村社なりしより大綿津見神社と称し、古風雨乞願成就の行列式は、附近に有名なるものなり。
豊浦郡郷土誌 P655
隋書倭国伝 岩波文庫
阿蘇山あり。 その石、故なくして火起り天に接する者、俗以て異となし、因って檮祭を行う。
万葉集の 青丹吉 平山 は龍王山である。
隋書倭国伝の 阿蘇山 は龍王山である。
※ 隋書倭国伝は 「火起り」 と火山のように書いている。
王窪 (大久保) の穴を武器庫にしたので、武庫浦である。 また穴門とも考えられる。
吉見村大綿津見神社由来
龍王神社文書
神功皇后三韓渡海の前に乳母屋嶽にのぼり戦勝を祈願し、楠木を切り四十八隻の軍船をつくり出征帰途蓋井島、古宿の皇久保ヶ浜に舟をとめ宝物を岩穴に収めたとある。
「よしみ」 史誌 P565
龍王山は戦勝祈願の山だった。
記紀では、神功皇后が戦勝の占いをしたのは松浦の玉島里の小河、裂田溝である。