石上振宮  飛鳥宮


当ブログ 2010/08/17 08:33 作成からの転載

糸田町史  平成元年 より

P904

郷土に住む者の中で最も古くから多数を占めていたのは農民で、農民生活につながりを持つ神社が多く、人々は神社を常に霊地としてまた生活慰安の場所として崇敬してきた。黄金の波が平原一杯にただようころ、農民は老人も若人も神社に集まり、五穀豊穣を神に感謝し、一日の慰安を過ごすことが、江戸時代から続けられてきた。氏神様の祭りこそ、農民の一年間の感謝の日であり慰安の日であった。この歴史的な風習も農業の近代化、生活の近代化、思想の近代化の前には次第に崩れすたれてきた。

神国日本と自他共に許した我が国も、第二次世界大戦で敗戦した後は、人々は虚脱状態となり、神社は荒れ放題であったが、今では次第に神社を崇拝する風が復興し、観光と相まって新しい神社再建の風潮が、次第に広まっているように思われる。


P906~

金村神社  糸田町字金村山1015番地
祭神 金山彦命 罔象女命(みずはのめ) 埴安姫命

P909
(9)享保16年書上候金田手永神社帳抜書
右金村権現は糸田村中村の産神にて御座候、糸田鎮座の時代年号分明に知不申候、古来より申伝之候は糸田村の地主にて鉄の捧を以て沸水を御出しなされ、則ち沸水守護神と申し伝候。

其の仔細は先年毛利壱岐守殿御代6月に大地震御座候、而沸水の口3日出水申さず、田地旱付申候故、元来右守護神と申すに付、二日三日湯立神楽行い、祈誓仕候へば忽ち水もとの如く湧き出申せしと御座候、

昔は祭礼神事等御座候、而神楽、流鏑馬、品々御座候由申伝う、今馬場の古跡など御座候供、いつのころからか中絶仕り、

只今の神事と申すは正月15日に耕作の仕方、苗代表返、荒抓(あらがき)、田植の儀式を仕り、苗に石菖を植え、この石菖の葉にて米青くいたし、早稲米と名付け村中わけ戴き仕候、

15日の暁飯米に少宛入れ、ほかけと祝い申し候、而16日より村中牛を出し鋤き初め仕候、扨て又9月8日の暁に神楽執り行い仕り9日に村中社に参り仕り候、

惣て金村の神時往昔は大事にて社等の大分御座候由申伝の候得共、先年糸田村の住人荒巻兵庫と申す者出火の節縁起并社田の書付焼失仕りし由に御座候


泌泉の水を使って、稲を石菖と一緒に植えれば早く生育して早稲になった神事が書かれている。私は文の意味をよく理解できない。石菖という植物と一緒に稲を植えると石菖の葉から出る物質が稲の生育を早くする??
それが本当なら農学部の先生が驚く他感作用物質の発見である。
カルスト台地の秋吉台では水や土壌がヨーロッパのような弱アルカリ性で、ワイン造り用の欧州系ブドウがよくできるという。
Google で 「石菖」 「他感作用」 を検索してください。


早稲米 といえば、
万葉集1353
石上 振之早田乎 雖不秀 縄谷延与 守乍将居

抜気大首(ぬくけのおほびと)の筑紫に任ぜられし時に、豊前国の娘子紐兒(ひものこ)を娶(めと)りて作りし歌三首
万葉集1767
豊国乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾宅

万葉集1768
石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 恋流比日

万葉集1769
如是耳志 恋思度者 霊剋 命毛吾波 惜雲奈師

石上振は早稲(わさ)田と関係がある。
石上振に関係するといわれる鞍手町古門は筑前であり豊前ではない。
田川郡は豊前、鞍手郡は筑前。
直方市は鎌倉時代では境は豊前、他は筑前。江戸時代以降はすべて筑前。
抜気大首の家は香春町であり筑前ではない。
前後の歌の流れより石上振は豊国の香春付近にある。


糸田町の 金村神社 は石上振宮である。
あるいは 香春神社 が石上振宮である。

万葉集1019  石上振尊  古衣 又打山 
又打山を真土山とみれば、古衣を着て掘る鉱山の香春岳になる。
万葉集1020、1021
湯々石恐石 ⇒ 石灰岩の凄い山である香春岳周辺の形容
万葉集1022  手向為 恐乃坂
恐乃坂は七曲峠になる。

「石上」 とは香春町周辺の石灰岩地帯を表す。

※ 山などの景色は Google 画像 で  【  香春岳  】  と検索すれば見ることができます。


古事記では、
近つ飛鳥→倭→遠つ飛鳥→石上神宮→天皇の御座所
(角川文庫 新訂古事記 P162)

中間市中間の 鳥森 が飛鳥になる。
中間市の「中間」 の意味は飛鳥