山鹿貝塚 は卑弥呼の冢か


山鹿貝塚は縄文前期から晩期。埋葬人骨は縄文後期とされる。
「 かつては遺跡の南側に古遠賀湾が湾入していた。
遺跡は東西160メートル ・ 南北70メートルに及ぶ 」
福岡県の地名 平凡社の地名辞典  P128下

芦屋町ホームページ 山鹿貝塚 のリンクを貼って、

http://www.town.ashiya.lg.jp/navigate/public/mu1/bin/view.rbz?of=1&ik=0&pnp=14&cd=417

山鹿田屋区にある山鹿貝塚 ⇒ 「 やまたい 」 「邪靡堆」 とよめる。


2人の女性人骨は 天照大神稚日女尊 である。
骨の一部は神功皇后が神託を受けて取り出し、広田国と生田長峡国に祭(いは)はしめられた。
日本書紀 神功皇后 摂政元年2月
岩波文庫 日本書紀(二)  P160

山鹿貝塚の埋葬女性人骨は邪馬台国卑弥呼とは時代が全然ちがう。

魏志倭人伝に記述された卑弥呼の冢は神功皇后または台与の冢になる。
台与 (とよ) は豊。

仲哀天皇殯斂地 (ひんれんち) 
長府 忌宮神社より500メートル南に位置する 日頼寺 (にちらいじ) にある。
これが卑弥呼の冢か。

下関市豊田町の 華山 西の嶽 にも 仲哀天皇殯葬所 がある。