斉明紀 童謡 (難解)
斉明紀 6年12月 の難解な童謡(わざうた)
岩波文庫 日本書紀(四) P366
まひらくつのくれつれをのへたを らふくのりかりがみわたとのりかみをのへたを らふくのりかりが甲子とわよとみをのへたをらふくのりかりが
Google で 「 斉明 童謡 」 で検索して通説・諸説を知る。
ある個人サイトに、小学館「古典文学全集」の僧契沖の訓読が載ってました。
感謝して、引用させてもらいます。
「 平傴僂の 作れれ 尾上田を 雁雁の喰らふ
御猟のたわみと 尾上田を 雁雁の喰らふ
甲子と朕と淀み 尾上田を 雁雁の喰らふ 」
私見では、「韓人と天皇が齟齬をきたして、朝鮮から飛来する雁(敵)の群れが尾上田の米を食う(=侵略される)」⇒天智紀 元年12月 の朴市田来津の諌め、豊璋の勇み足が白村江の敗戦を招く。
尾上田は神功紀の神託 「尾田の吾田節の淡郡に所居る神」を連想させる。
平戸市 早福町の小字に、
「クヅマノ坂」 ⇒傴僂(くつま) 「せむし」の意味
「尾ノ上」、この隣の小字が「清水」(⇒尾田の吾田節の淡郡)
※ 小値賀島 中村 にも小字「尾ノ上」がある。
大佐志町 「津和ノ浦」(場所は礫岩の海辺)⇒津和は兵(つはもの)か⇒卑弥呼の城柵の場所
早福(はいふく)は拝伏(ひれふす、ふしおがむ)である !!!!!
早福町の高松神社( 祭神は高市姫命 )
万葉集では 高松=高円(たかまと) である。
あをによし 奈良の都は 早福町へき地保育所 のあたり。
魏志倭人伝で「代々王あり」の伊都国は戸数千余戸とあり、実際はその10分の1とみて、戸数100余戸程度の地域だろう。
考古学思考では伊都国の人口は1万余戸でも少なすぎ、邪馬台国7万余戸に伍する6万余戸ぐらいなければ「王都」(首都)が成立しない。代々王が居て、そこがわずか千余戸では考古学の論理で説明できないのである。
代々王が居た伊都国は、たったの千余戸である !!!!
都は千余戸だから、考古学で邪馬台国の位置を発見するのは無理である。
田舎に住んでいるお年寄りは自分の家の裏山にある古墳を知らない。
田舎で土器に関心がある人は中学・高校の先生ぐらいしかいない。
遺跡で古代史を解明しようとする方々は田舎の人たちを知らない都会の人間だ。
地中の土器はお百姓さんのトラクターで木端微塵になりました。
早福町には考古遺跡はない。(サイト「遺跡ウォーカー」による)
しかし早福町~大佐志町には神仙郷にふさわしい物がある。
礫岩の変態岩 (奇妙岩塔) は凄いアートだ !!!!
日の本を示す太陽の塔だ !!!!!!!!!
Google 「 礫岩 変態岩 」 を検索して、登山者のホームページを見てください。
肥前風土記 の 大家島 は「島の南には洞窟があって、鍾乳および木蘭(木蓮)があり」とある。 ― 風土記の平戸 角川の地名辞典 長崎県巻 P1113右
礫岩には磐窟がある。 礫岩の上の灌木は木蓮か。
石川郎女(3) は大家石川命婦・佐保大伴大家ともいう。
「木蘭」は早福町に自生する ボウラン だ !!!!!!!
「木の蘭」の意味がわかった !!!!!
万葉集91 の大嶋嶺は屏風岳であろう。
歌中の「猿」は屏風岳山頂にある天狗の石像だ。
早福町の海岸洞窟を発見 !!!!!!!!!
Google で検索
「 おそらく早福町で検索するより早福漁港や早福港で検索した方が活用できる情報が多いかもしれないとても小さな漁村です 」
※ 長いですがコピーして、この文を貼り付けして検索してください。