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zoom RSS 万葉集は韓国語で読める ?

<<   作成日時 : 2011/04/07 05:15   >>

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『日本史の誕生』 岡田英弘著 弓立社 2001年 第刷 より
※ 図書館にあったものと自分が持っている第5刷では図など内容が一部異なっていたので、下は「第5刷」のページ数である。

「 『万葉集』の中でも、年代が古い歌ほど、漢字のを使って日本語を表記する傾向が強く、漢字のを使うのは年代の新しい歌である。今の『古事記』のように日本語を一音節ずつを完全に漢字ので表記するのは、年代がきわめて新しい傾向である。そうすると、大伴家持が『万葉集』を編纂した8世紀の後半にも、まだ今見るような『古事記』は存在しなかったことになりそうである 」  P164上  
※ 万葉集が編纂された時は古事記はなかった。万葉集が先、古事記は後。

「 七世紀までの日本列島で、共通語の役割をはたしたのは、南朝の中国文化の影響が強い百済方言だったろう。百済語も、他の華僑の話す口語よりも、漢字で綴った文語に近い言語だったからである 」  P206上

「 考えて見たまえ。 『古今集』の序で紀貫之が言っているではないか。 和歌の開祖は なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまをはるべと さくやこのはな の作者、華僑の王仁だと 」  P36下


私見(私の推論)では、万葉集の多くの歌は対馬の上県郡である。
倭国の極南界に位置する漢委奴国は対馬の北端にあったのかも。

「渡来人」は考古学のコトバで、日本書紀(じつは九州倭国の書)では半島、中国(呉)、ベトナムなどからの漂泊者は捕まえられて指定された場所に住まわされている。帰化人には正式な和名があるが、帰化していない天日槍は韓名が記されてない謎がある。

倭国の場所は長崎県の 平戸市〜佐世保市〜五島 で、倭の東北1000里にある多婆那国は、山の上から釜山が見える対馬の峰町または佐護だろう。
「上県町 佐須奈の村名にみえる奈(ナ)は対馬では浦の意」( 『長崎県の地名』 平凡社の地名辞典  P890中)
多婆那国の「多婆」は「対馬」(たば)、「那」は佐須奈の「奈」

新羅の国祖は倭人(対馬 峰町の人)だった。
新羅の王子 天日槍は新羅王 脱解の子で、倭人だった。

東京外語大学名誉教授の岡田英弘先生と逆の推論も可能である。
つまり「国際語は百済語でなく大和言葉だった」説である。
記紀の神代の高天原・出雲は対馬の上県郡にあった、あるいは「高天原は狗邪韓国にあった」というのなら、古代韓国(朝鮮半島南部)は大和言葉だったとも推理できる。日本側には万葉集や記紀神代の歌が物証として残っており、それが対馬上県郡の言語なら、朝鮮海峡を越えた韓国側も大和言葉だった。

魏志倭人伝では対海(たか)国の官は大官であり、人名も和名である。
「卑奴母離」は中国語でなく日本語だから、卑弥呼の時代の対馬は大和言葉だった !!!!


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