石川郎女 の家は光海中学のあたり


(1) 久米禅師に求婚され、歌を贈答した。天智朝の人
(2) 大津皇子と歌を贈答した。持統朝の人。

(3) 大伴宿祢安麻呂の妻
大伴坂上郎女の母
石川(内)命婦
内命婦石川朝臣
大家石川命婦
佐保大伴大家
ともいう。
諱を邑婆、
安倍朝臣虫麻呂の母 ― 日野川下流の左岸に「虫太郎」の小字がある。
安曇外命婦と同居の姉妹。
※ 岩波 萬葉集別巻 人名索引 より
 

安曇氏は種子島~東シナ海~玄海灘 の貝輪文化の海人なので、安曇外命婦と同居する石川郎女が奈良県に居るはずがない。

赤﨑の畔岩川~福石川が万葉集の中心的な歌場である。

都合よく解釈して、
白南風(白波江)町 ― 水郎
若葉町 ― 若=少 少彦名命
白木町 ― 新羅か


高句麗の広開土王碑の碑文 によれば、
「 倭は391年よりこのかた、海を渡りて百残(百済)□□□羅を破り、以て臣民と為す 」

倭の所在地は植民地獲得の基地の町 佐世保 である。