佐世保の坂


平戸往還 ― Wikipedia より

佐世保本陣から早岐本陣へ

代官屋敷裏より宮地嶽神社へと登り、名切谷を通過して櫨山に至る。
小佐世保谷を横切ると、もっとも長い急勾配といわれる峰の坂の登り口に達する。 この坂は自動車の登攀できない急勾配で、舗装も二厘対応となっている。

峰の坂を上りきると大山祇神社に達する。

ここからしばらく丘陵を進み、佐世保湾を見下ろす茶屋・籠立場が設けられた。
緑坂を下ると、藤原一里塚のある天神山に連なる鞍部を南下し、現JR佐世保線福石トンネル付近で平地に降りる。

日宇宿の旧国道を過ぎ、ほぼ佐世保線と平行して進むが、猫山からひとつ丘陵を乗り越して脇崎一里塚に達する。
干拓地であった大塔新田を迂回するように丘陵地を進み、早岐村へと入る。
現国道35号早岐バイパスと直行するように鞍部を南下し、石畳の坂を下ると早岐宿の街中に入る。

早岐本陣は江迎本陣と並び、藩主が必ず泊まる本格的な本陣であった。
度重なる早岐の火災によって失われたが、門だけは被災を免れ、広田の住吉神社に移設された。
早岐本陣の特性から、早岐宿は鍵型道路で構成されている。


峰坂は記紀万葉の日下(くさか)の直越え または 龍田 である。
小崎坂は直越(ただごえ)の地形である。
昔の福石免に小字「打越」「滝川内」「湯船」がある。

高天町あたりが倭国の都。