佐世保市の馬氏川


記紀では松浦は九州西端で、奈良県の都から最も遠い最果ての地である。
しかし万葉集の松浦は奈良の都の近くの場所として詠まれている
万葉集1143 ・ 3173 では松浦船が穿江(ほりえ)をこいでいる。この穿江は難波の堀江かもしれない。

佐世保は万葉集の佐保
馬氏川は日本書紀 神武東征の可美真手命(うましまでのみこと)の地。
岩波文庫 日本書紀(一)  P232 

鳥見(とみ)は勝富町の「冨」。
勝富町には烏(からす)または鵄(とび)が多かったのだろう。

石川も馬氏川。
万葉集の佐保川は佐世保の馬氏川である。

蘇我
駿河の「駿」は馬である。 ― 大伴宿祢駿河麻呂

記紀万葉の「鯨」は万津町の鯨瀬ターミナルを示す。


佐世保のデパート 玉屋のシンボルマーク  
「 文化三年創業時から使用されているもので、玉は円満で光は四辺に輝き、これは磨けば磨くほど、いよいよ光を加えるというどこまでも発展性のあるしるしであり、この玉も人が融和協力し合ってこそ、真の光を増すということから、玉の上に手を握り合った人の形をあしらってマークとしたものです。」
(玉屋のホームページより)

デパート玉屋と記紀万葉の松浦の玉島とは関係ないが、松浦の玉島は玉屋のあたり。 玉屋から高天町方面を眺める景色が伊都国であり、邪馬台国である。