筑紫は福江市 ?


福江市
志賀  ?  
荒雄  大荒
筑前国宗像郡(3869)  八幡神社の祭神は宗像三神
滓屋郡志賀村白水郎  樫川(=香椎?)付近
大浦田沼(3863)  田部手川
也良  ?



前国松浦県  美祢良久﨑
①案  福江市の戸楽
②案  三井楽町 (通説では柏の泉 「ふぜん河」付近とされる)
③案  平戸市 志々伎町「肥」 - 神功皇后の小川は鮎川町
④案  松浦市 志佐 - 出雲の肥の河は志佐川(八俣大蛇伝説あり)

三井楽町または福江市から韓国に向けて渡海したは合理的でない。
平戸市 野子の志々伎神社は本当の宗像大社であるとみて、志々伎神社周辺が韓国への渡海湊である。
志々伎神社の沖都宮・辺都宮の構成は宗像大社と同じであるし、志々伎神社の宝物には韓国由来の物が多い。

伝統的に松浦佐用姫は唐津市とされているが、これは間違いである。
用姫の場所は志々伎の志岳の下で、「松浦川」(玉島の小川)は平戸市の鮎川町にある。

志々伎神社は本当の宗像大社で、志々伎町は敏馬(三女)の浦である。
大伴連佐比古は平戸市 町の人である。

志々伎湾には「女鹿﨑」「女瀬ノ浦」があり、場所の性は女である。

万葉集3681 の肥前国松浦郡島亭(田麻呂)は志々伎である。
田麻呂より田﨑・田代町の人か。
あるいは野子町の小字「犬の跡」だ。

美祢良久﨑は志々伎の岳(287メートル)の下である。
早福町の宮ノ鼻(高松神社)が美祢良久﨑になるか。
福町の「早」 ⇒ 記紀の「速」の字


筑前国 志麻郡 韓亭(3668) ?
肥前国 松浦郡 狛島亭(3681) ⇒ 平戸市野子 志々伎 または鮎川町


宗像神社がある場所は、
福江市の八幡神社 (宗像三女神を祀る)
田平町里免の宗像神社



三井楽町
万葉集567 左注周防 磐国山 は七ツ岳であろう。
荒雄の「荒」を玉之浦町の荒川とすれば、三井楽町から離れてしまう。

サイト 「遺跡ウォーカー」 で三井楽町の遺跡を調べていると 間篭遺跡 (縄文・弥生) という地名の遺跡が波砂間にあり、「百」は大宰府に居た大伴宿祢代に通じるので、付近の小字場所を調べると「御門山」がある。ここが大宰府か。

丑ノ浦に小字「橘河内」がある。 ⇒ 筑紫日向の橘小戸
塩水 ⇒ 塩土老翁
丑 ⇒ 日向の諸方君 牛  宗像と諸方は音が似るという。
貝津は海津だった ⇒ 海部


鹿島(1669) 三名部乃浦
海(3336) ⇒ 平戸市の大石脇町に人津久岬がある。ここに小字「鹿島」があり、鹿島川が流れる。
海の「聞」より、豊国の聞(きく)は平戸島の南西部の海辺である。

敏馬  志々伎浜
敏馬の﨑  大志々伎町の 潮見﨑
野島  野子
若宮年魚麻呂  平戸市 神船町の若宮浦と鮎川町
田辺福麻呂 野子の福良の人
犬⇒狛⇒獅子⇒志々
「犬」は犬食いの韓人を表す。
志自伎の「自」の字は自凝(おのごろ)島を表す。

獅子(しし)町 ―アコウの木があり、万葉集の鞆の浦か。
根獅子(ねしこ)町⇒葦原男、葦原色許男

建久2年(1191)7月、宋から帰国した栄西が平戸島葦浦に着岸。
この葦浦は古江湾にあったとされている。中世であるが渡海して着岸した場所は末盧国の比定上重要である。



※ この稿は書きかけです。