松浦市の民話・伝説 ⇒ 出雲と高天原の大発見


松浦市のホームページ及び松浦市の民話を検索してみると、
不老山に徐福伝説がある。
志佐町横辺田免に八岐大蛇伝説がある。

御厨町西木場免の坂瀬川に河童伝説がある。 ⇒ 少彦名命
大崎は出雲の御大の御前だ。

地名から、
江迎町
坂瀬川の上流の飯良坂免 ⇒ 出雲の伊賦夜坂
根引免 ⇒ 根の堅州国・黄泉 「引」は千引の石か
末橘免 ⇒ 橘の小戸
箙(えびら)尾免 ⇒ 城(き)の道 軽
バス停 源八 ⇒ 天の八街(やちまた)
郭公尾免 ⇒ カッコウとホトトギスは異なるが、習性は似る。ホトトギスの歌地。
※根引の東に二ッ岳がある。

長坂免に「安ノ川地」という場所がある
乱橋免に高岩壁立がある。 ⇒ これが千引の石か

東部の白岳遺跡は縄文中期から弥生中期の遺跡である。
地図で見ると白岳には池がある。 ⇒ 天香具山か


飯良坂免斧取の串田神社は明治4年に根引の鎌倉神社に合祀されたが、同11年に分離。秋の祭礼では男女の交わり(豊穣祈願)に由来するカズラ舞(地楽祭)が行われる。豊作祈願や豊年祝に奉納される長坂浮立は天保年間には行われていた(鐘銘文)。中尾免では11月28日にきぬかけ祭(国選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財)が行われ、神事のあと奥川内免の白岳神社に平戸神楽が奉納される。セシュ(施主)の家では夫婦が三三九度の杯を交わし、シトギなどを膳にのせて食すうちに、性の掛詞の場に変じて見物人との応酬も行われ、やがて笹竹を股間に挟んで踊り回るといった家祭がある。
『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P533下

世知原町
佐々川流域の岩谷口岩陰遺跡は縄文遺跡であるが、古墳時代の土師器片や銅製小型内行花文鏡が出土し、洞穴が祭祀の場であったこともうかがわせる。
※ 佐世保周辺は洞窟の数が多い。佐世保市 下本山の遺跡は重要である。

松浦市のホームページ から
不老山(ふろうさん)
紀元前3世紀、中国の秦の始皇帝の命を受けた徐福(じょふく)が、不老不死の薬を探してこの山に登ったとの伝説から不老山と呼ばれています。

後漢書に「秦人の方士除福が若者三千人をひきいて蓬来島(日本)に向う。代々繁栄して今数千戸になっている。ときどき会稽(現在中国の紹興)の市に来て商をする。対馬より大変遠いので行き難い」と。

この松浦には美しい真珠があり、これを採取して船を出し巨済島より山東半島に航路をとり、会稽の市に送ったであろうと思われます。

欽明天皇24年(563)、山頂に不老権現を祀り、その後大宝2年(702)、役小角(えんのおづぬ)が熊野権現を祀りました。その時の座禅石と思われる石が伝わっています。
現在は、不老山総合公園として整備されています。五月にはつつじが咲き乱れ不老山の斜面は一面ピンク色のつつじに覆われます。最高のパノラマが広がり多くの人でにぎわいます。
⇒ 不老山が天香具山か。


松浦市には藤原広嗣の伝承もある。
宇土翳村 うどまぶし  現 志佐町 笛吹免
8世紀半ば、藤原広嗣が乱に敗れて済州島に逃げる途次、馬が伏して進まず、船も逆風で進まないので、駅鈴を馬に付けて当地の住吉神に祈願すると、住吉神の使いの鳥が帆柱にとまって船が進むようになったと伝える。地名を烏渡馬伏とも記すのはこの伝承に由来するという。
『長崎県の地名』 平凡社の地名辞典  P617上


出雲は松浦市
高天原は江迎町 ( 2010年3月に佐世保市に合併 )