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zoom RSS 対馬 上県の 犬ヶ浦・仁田

<<   作成日時 : 2011/02/13 03:23   >>

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淡海(近江)、越国、吉野、難波などは対馬にあった!!!


犬ヶ浦  『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P901下 より
天明期(1781−89)の神社大帳は佐佐伊神を鷦鷯神社とする。
佐佐伊は佐佐木の転訛で、左大臣と俗称するという。
左大臣の院という伝説から院ノ内という地名を想定し、犬(いん)ヶ浦に転じたとする(津島紀事)。
⇒ 近江の佐佐城山君の韓帒

仁田 
瀬田川 ⇒ 近江の瀬田の渡り
仁田川 ⇒ 仁徳天皇  
飼所に伊奈之郡があった。 ⇒ 猪名野
瀬田の宮原に国本神社がある。 ⇒ 稲見国原・印南野
唐崎 ⇒ 楽浪の志賀唐崎

万葉集で越国の中に難波、吉野などの歌が混じっているのは不可解である。
難波、吉野などは対馬の上県にあった!!!
奈良の都や平城京も対馬にあったのか?? 

日本書紀の難波は大首都である。考古学は日本書紀の記述を前提にしている。
しかし万葉集928〜930 の難波は荷を担いで行くさびしい田舎だ。

壬申の乱で近江軍の合言葉は金
⇒ 銀山の金山(かなやま)または地名の金幕・琴(きん)

鷦鷯(さざき)は仁徳天皇の名前 大鷦鷯天皇 であるが、
武烈天皇の小泊瀬稚鷦鷯天皇 の鷦鷯でもある。
武烈紀 即位前紀12月  岩波文庫 日本書紀(三) P154  で、
「 日本に光り宅しませ。誕きに銀郷を受けたまへ 」
とあり、武烈天皇の都が銀山が多い対馬にあったことがわかる。

平群氏は帰化人の鉱山技師といわれる。
万葉集3931〜3942
平群氏女郎は越中守に赴任した大伴家持に歌を贈っている。
平群一族は対馬の鉱山技師だった。

万葉集
3804  猪名川
3806  小泊瀬山 
歌の並びから猪名川と小泊瀬山は場所が近い。⇒ 対馬上県の仁田湾


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