糸田町史 より 1
糸田町は福岡県田川郡に位置する。
『糸田町史』(平成元年) より
P35
霧は山口等瀬戸内海地方に比べては、発生日数は少ないが、県内各地に比べると、盆地性気候による霧発生が多い。
終戦前後から昭和35年ごろまで、筑豊炭田採掘中は炭塵浮遊のため霧発生日が大変多かった。昭和29年ごろより年間100日以上も発生し、特に彦山川、中元寺川、遠賀川流域は霧が多く、車で出勤するのにも危険であった。
炭鉱閉山に伴い、昭和36年ごろより発生日数が減少し、年間30~40日から段々と減り、十数日くらいに減少した。最近では年間20日以内の発生である。それでも県内外の多地区より多く発生している。
雷は7月、8月に多く秋から冬に少ない。昭和37、38年が26回発生している。過去30年間で最も少ない年は、昭和43年の6回と昭和57年の4回である。毎年、雷発生は十数回から二十数回が普通である。県内外に比べて、筑豊は雷の発生が多い地方である。
P49~52
字地名
糸田町では如何なる理由か、他町村と違い正式にも住所に大字を書かない。もちろん小字も書かない。
しかしながら観念的には大字は鼠ヶ池・糸田・大熊・宮床と考えても無理はないと思う。 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ 糸田町では1786~2154番地が二か所あることになるが、現実には地区名を書くので混乱を起こすことはない。
※一部を抽出
宮床村
天竺
糸田村
貫銅 そがのうら 鉾本 山ノ谷 乙 ミイカ 高 南京 岩屋
P129
糸田町の遺跡は、図示(1)のごとく町内各地に分布しているが、昭和35年ごろから始まった鉱害復旧工事や団地造成工事、道路の新設や改修工事などにより、既存のものを含めて新しく発見された遺跡までが破壊されてきた。自然との戦い、人との戦いの中で、2000年近きに及ぶ長い年月を耐えてきた、古代人の生活をしのばせてくれる貴重な文化遺産が姿を消し、糸田町の過去の歴史を知る手がかりが、ごく稀にしか残されていないのは残念である。 ・ ・ ・ ・ ・ ・
※俗に「高羽」が「田河」となり「田川」になったとされている。
「高羽」は景行紀の土蜘蛛の居場所で、私見では「高羽」は田川ではないと思う。
土蜘蛛とは旧出雲勢だと思う。雲→蜘蛛。万葉集から大国主神・少彦名命も志都石室に住んで土蜘蛛暮らしだった。
『糸田町史』(平成元年) より
P35
霧は山口等瀬戸内海地方に比べては、発生日数は少ないが、県内各地に比べると、盆地性気候による霧発生が多い。
終戦前後から昭和35年ごろまで、筑豊炭田採掘中は炭塵浮遊のため霧発生日が大変多かった。昭和29年ごろより年間100日以上も発生し、特に彦山川、中元寺川、遠賀川流域は霧が多く、車で出勤するのにも危険であった。
炭鉱閉山に伴い、昭和36年ごろより発生日数が減少し、年間30~40日から段々と減り、十数日くらいに減少した。最近では年間20日以内の発生である。それでも県内外の多地区より多く発生している。
雷は7月、8月に多く秋から冬に少ない。昭和37、38年が26回発生している。過去30年間で最も少ない年は、昭和43年の6回と昭和57年の4回である。毎年、雷発生は十数回から二十数回が普通である。県内外に比べて、筑豊は雷の発生が多い地方である。
P49~52
字地名
糸田町では如何なる理由か、他町村と違い正式にも住所に大字を書かない。もちろん小字も書かない。
しかしながら観念的には大字は鼠ヶ池・糸田・大熊・宮床と考えても無理はないと思う。 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ 糸田町では1786~2154番地が二か所あることになるが、現実には地区名を書くので混乱を起こすことはない。
※一部を抽出
宮床村
天竺
糸田村
貫銅 そがのうら 鉾本 山ノ谷 乙 ミイカ 高 南京 岩屋
P129
糸田町の遺跡は、図示(1)のごとく町内各地に分布しているが、昭和35年ごろから始まった鉱害復旧工事や団地造成工事、道路の新設や改修工事などにより、既存のものを含めて新しく発見された遺跡までが破壊されてきた。自然との戦い、人との戦いの中で、2000年近きに及ぶ長い年月を耐えてきた、古代人の生活をしのばせてくれる貴重な文化遺産が姿を消し、糸田町の過去の歴史を知る手がかりが、ごく稀にしか残されていないのは残念である。 ・ ・ ・ ・ ・ ・
※俗に「高羽」が「田河」となり「田川」になったとされている。
「高羽」は景行紀の土蜘蛛の居場所で、私見では「高羽」は田川ではないと思う。
土蜘蛛とは旧出雲勢だと思う。雲→蜘蛛。万葉集から大国主神・少彦名命も志都石室に住んで土蜘蛛暮らしだった。