遠賀川の記紀伝承 37
『増補 水巻町誌』 より
P74・75
4~5世紀代の集落は、
水巻町の苗代谷遺跡
岡垣町の高丸遺跡
が知られている。
遠賀地域でのカマドの初例は5世紀後半の墓ノ尾遺跡一号住居跡(岡垣町)である。カマドとともにオンドルという炊事暖房施設をもった住居跡であり、朝鮮半島との交流が考えられている。
6世紀代の集落遺跡については、芦屋丘陵の
尾崎
天神
牟田神社周辺
金丸
瀬戸
同一の集落と考えられ、製鉄技術をもった集団であると考えられている。
生産遺跡としては岡垣町野間窯跡群があり、6世紀後半に須恵器生産が開始されている。
P83
遠賀町尾崎・天神遺跡では、7世紀中頃~後半の掘立柱建物が検出されており、須恵器の鳥形瓶も見つかっていて、里長クラスの館跡と考えられている。
芦屋町の浜口廃寺は、礎石や8~10世紀にかけての瓦がみつかっている。当時は寺院や馬家、官衙には瓦葺きの建物があったといわれているので、浜口廃寺も寺院跡と断定できない。
岡垣町墓ノ尾遺跡群では、8世紀代の鴻臚館系瓦窯や百済系の鬼瓦も見つかっている。
大宰府では、「遠賀団印」がみつかっており、軍事組織の存在が推測される。郡内にあったものなのか、その構成員がどのようなものであったのかは不明である。
また、調に紫色の染料の原料である紫草(ムラサキ)をおさめたという木簡もみつかっていて、当時の遠賀郡を知る貴重な資料となっているが、水巻町のことはあまり実態が分かっていない。
『遠賀郡誌』 岡垣町
吉木は古記に。岡荘岡郷或は吉木郷と云ひて昔郡家の在りし所と云。続記に聖武天皇天平12年庚辰、太宰少弐藤原広嗣、於遠河郡家。造 軍営 儲 兵努 而挙 烽火 徴 発国内兵 矣と見たるは此所なるべし。
手野は天野とも書けり。一説には村中に雩山(雨乞いの山)あり、昔は此所にて雨を天に祈りし故、天野村といへりとそ。
内浦(うつら)は鶉浜・鶉村などに書けり。
山田は頗る大村にて、海老津、糠塚、黒山、戸切4村共に皆これに属せし。
遠賀町の尾崎は昔は大崎と書いた。高山がある。
湯川山 小館山共いふ。昔谷中に温泉あり。万葉集に木綿間山を詠ぜり。
今硫黄丸山と云は木綿間山を誤れるなるべし。
百合山
天岳
※垂仁紀に天湯河板挙がでてくる。
足白山 手野にては手野山葛城山又は大山共云。宗像郡にては孔大寺山と云。
里民の説に此山より八足の鹿出し事あり、其鹿の足白かりしに依りて足白山と名付といへり。書紀に天智天皇10年夏4月筑紫言八足之鹿生而死とあり、此なるべし。
高津峯
石川 潮入川共云。
湯川
長谷川 大字野間字長谷山より流出し
頓々ノ滝 吉木区字松原の北5町余にあり、沙中より流れ出て、末は又沙中を潜りて海に入る。水極めて清冽にして旱年にも涸れず。
万葉集2347
海小船 泊瀬乃山尓 落雪之 消長恋師 君之音曽為流
泊瀬山は海小船が漕ぐ景色である。
芦屋町の粟屋は隋書倭国伝の阿輩鷄弥か。
P74・75
4~5世紀代の集落は、
水巻町の苗代谷遺跡
岡垣町の高丸遺跡
が知られている。
遠賀地域でのカマドの初例は5世紀後半の墓ノ尾遺跡一号住居跡(岡垣町)である。カマドとともにオンドルという炊事暖房施設をもった住居跡であり、朝鮮半島との交流が考えられている。
6世紀代の集落遺跡については、芦屋丘陵の
尾崎
天神
牟田神社周辺
金丸
瀬戸
同一の集落と考えられ、製鉄技術をもった集団であると考えられている。
生産遺跡としては岡垣町野間窯跡群があり、6世紀後半に須恵器生産が開始されている。
P83
遠賀町尾崎・天神遺跡では、7世紀中頃~後半の掘立柱建物が検出されており、須恵器の鳥形瓶も見つかっていて、里長クラスの館跡と考えられている。
芦屋町の浜口廃寺は、礎石や8~10世紀にかけての瓦がみつかっている。当時は寺院や馬家、官衙には瓦葺きの建物があったといわれているので、浜口廃寺も寺院跡と断定できない。
岡垣町墓ノ尾遺跡群では、8世紀代の鴻臚館系瓦窯や百済系の鬼瓦も見つかっている。
大宰府では、「遠賀団印」がみつかっており、軍事組織の存在が推測される。郡内にあったものなのか、その構成員がどのようなものであったのかは不明である。
また、調に紫色の染料の原料である紫草(ムラサキ)をおさめたという木簡もみつかっていて、当時の遠賀郡を知る貴重な資料となっているが、水巻町のことはあまり実態が分かっていない。
『遠賀郡誌』 岡垣町
吉木は古記に。岡荘岡郷或は吉木郷と云ひて昔郡家の在りし所と云。続記に聖武天皇天平12年庚辰、太宰少弐藤原広嗣、於遠河郡家。造 軍営 儲 兵努 而挙 烽火 徴 発国内兵 矣と見たるは此所なるべし。
手野は天野とも書けり。一説には村中に雩山(雨乞いの山)あり、昔は此所にて雨を天に祈りし故、天野村といへりとそ。
内浦(うつら)は鶉浜・鶉村などに書けり。
山田は頗る大村にて、海老津、糠塚、黒山、戸切4村共に皆これに属せし。
遠賀町の尾崎は昔は大崎と書いた。高山がある。
湯川山 小館山共いふ。昔谷中に温泉あり。万葉集に木綿間山を詠ぜり。
今硫黄丸山と云は木綿間山を誤れるなるべし。
百合山
天岳
※垂仁紀に天湯河板挙がでてくる。
足白山 手野にては手野山葛城山又は大山共云。宗像郡にては孔大寺山と云。
里民の説に此山より八足の鹿出し事あり、其鹿の足白かりしに依りて足白山と名付といへり。書紀に天智天皇10年夏4月筑紫言八足之鹿生而死とあり、此なるべし。
高津峯
石川 潮入川共云。
湯川
長谷川 大字野間字長谷山より流出し
頓々ノ滝 吉木区字松原の北5町余にあり、沙中より流れ出て、末は又沙中を潜りて海に入る。水極めて清冽にして旱年にも涸れず。
万葉集2347
海小船 泊瀬乃山尓 落雪之 消長恋師 君之音曽為流
泊瀬山は海小船が漕ぐ景色である。
芦屋町の粟屋は隋書倭国伝の阿輩鷄弥か。