飯塚の立岩遺跡  吉野ヶ里遺跡  向津具 下関市


考古学では古墳が多くあって、石棺(棺桶)から鏡や剣などの宝物が地域で一番出る場所を「王都」「王邑」と定義する。しかし甕棺墓のような弥生墓や古墳は墓場であり、忌み嫌う黄泉の地であって、考古学は八王子霊園を王都といっているようなものだ。有力者は弥生墓や古墳がある場所には住まない。

弥生墓や古墳の場所は霊園だから「社(もり)」だ。
飯塚市の立岩遺跡は万葉集の石田の社か。
立岩の隣が栢の森だ。

地名で決める場合、あっちこっち数か所ほど候補地を挙げて絞りこんでいく。下手な鉄砲は数多く撃ってこそ当たる。
上野原縄文の森→かごしま考古ガイダンス→第46回 弥生研究の中心・高橋貝塚 「貝の道」 で紹介される飯塚市の立岩遺跡とは記紀万葉(九州説)で何なのか?

筑穂町に出雲という地名があるがこれは何か。


巨大環濠の吉野ヶ里遺跡とは何なのか?
「王墓」出土物のシンボルは有柄式銅剣であった。
素戔嗚尊は十握剣を使っていた。
埋葬者は伊奘諾尊か素戔嗚尊だろう。

古事記では高志に沼川が流れている。
角川文庫 新訂古事記 P47 高志国の沼川比売の歌。

山口県下関市豊北町の土井ヶ浜遺跡を流れる小川を沼川という。
高志の前に角鹿があるので、角島や油谷町の向津具半島が角鹿または角(ツヌ)か。
向津具から吉野ヶ里遺跡のものとそっくりな有柄式銅剣が出土している。

広い地図で見ると山口県山陰側は対馬厳原町の真東に位置し、豊田町の崋山という山の山頂から広型銅矛が2本出土している。
山口県山陰側の地名は対馬の地名に似る。
原始古代は山陰は表で山陽が裏。
対馬からの表玄関は油谷町の向津具。