竺紫

私は筑紫は阿久根市だとみている。
書紀の神功皇后が三韓征伐した場所は五島列島の韓人入植地である。

古事記では「竺紫」という地名が登場する。「竺紫」の場所は対馬である。対馬南西部に椎根という地名がある。書紀の神武東征の椎根津彦(書紀 1巻 P202)だ。

「此地は韓国に向ひ笠沙の御前にま来通りて」の笠沙は対馬峰町の賀佐だ。
竺紫日向高千穂の霊じふる峰は対馬峰町の三根である。
※その後の調べで、筑紫日向高千穂宮は対馬北端の鰐浦・豊付近 だとわかった。


神武東征の竺紫の岡田の宮も対馬内。
椎根津彦は対馬南西部の椎根か豊の沖の沖椎根島。

竺紫の国の宇美(角川文庫 新訂古事記 P126)も対馬内。

「奥つ鳥 鴨著く島に」(角川文庫 新訂古事記 P73)も対馬。

竺紫の君石井も対馬。

海幸彦の隼人も対馬。

豊国の宇沙も対馬だろう。



「沖つ鳥」(岩波文庫古事記、角川文庫平成21年新版古事記)

「奥つ鳥」(角川文庫新訂古事記 1977年)
か。

私は「奥つ鳥」が正しいとみる。
「奥」の字の多くは対馬を示す。
陸奥も対馬である。

書紀では「竺紫」という地名はない。だから筑紫日向高千穂宮は阿久根市。
古事記では「竺紫」なので竺紫日向高千穂宮は対馬の北部で韓国の真近正面。