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zoom RSS 任那は五島だった

<<   作成日時 : 2010/05/14 18:36   >>

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「田舎」という地名の場所がある。屋久島永田のいなか浜と五島列島の上五島町船ア郷にある。「田舎」は都怒我阿羅斯等の註(岩波文庫 日本書紀 2巻 P20 終わりから3行目)にでてくる地名である。

『JAごとう』のホームページでは五島牛の歴史が語られている。福江市内の遺跡から弥生中期の牛歯が発見され、五島牛の歴史は弥生時代まで遡る。

「初め都怒我阿羅斯等、国に有りし時に、黄牛に田器を負せて、田舎に将往く」(2巻 P20)

任那(弥摩那国)は上五島町船ア郷近くにあった。


参照  角川の地名辞典 長崎県巻 巻末の小字一覧 P1501右


神功皇后の朝鮮出兵は筑紫(阿久根市)から西海へ出て、次に西北に行っている。五島列島の方角である。
三韓は「西蕃と称ひつつ」(書紀 2巻 P152)。倭国の西に位置する蕃で五島である。
五島の北半分には韓人の入植地がたくさんあり、都怒我阿羅斯等の意富加羅国もその一つだった。

五島は奈留島以北を上五島、久賀島以南を下五島という。上五島は新羅・百済・高麗・意富加羅などの韓人の島、下五島は綿津見・住吉の海神の島だった。

天武紀に都怒臣牛甘(都怒朝臣牛飼)がでてくる。


牛は弥生時代から飼われていた五島列島の牛なのである(『JAごとう』のホームページ参照)。

『地域学のすすめ』(森浩一著 岩波新書)のP126〜132で五島の「馬と牛」について記述している。必読。



※その後の調べで対馬には「田舎」の地名が数か所あることがわかった。
参照 平凡社の地名辞典 長崎県巻

上対馬町大浦 P916下
      浜久須・久須 P920上 921上
豊玉町曾村 P956中
厳原町久根田舎 P1016中

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