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みんなの「平戸」ブログ


松浦市  日向 近江

2016/09/19 15:45

景行天皇が九州遠征した時の行宮 伝説地
平戸島の南端 野子町の宮ノ浦
松浦市 志佐川の下流

日向の場所は松浦市の中心街
天孫降臨の高千穂宮は不老山か

星鹿町の地名は星の神 香香背男 文庫書紀@120-9、136-6
星鹿は防人がいた場所と伝えられる。 黒曜石を産する。
元寇の戦いで、御厨半島の星鹿は鷹島に渡る日本軍の拠点だった。

伊都国の一大率は星鹿町の防人だろう。
防人=ア守り (三省堂国語辞典、広辞苑)

画期的な発見!
天津甕星、天香香背男の地は松浦市 星鹿町 である。

鷹島  日本山 (75.4 m)
壱岐→鷹島→松浦市 志佐町 は主要な航路だった。

浦免に住吉宮があるので、浦島太郎は松浦市浦免の人か。

淀姫 御厨の星鹿に沙加羅龍王の干満二珠、龍宮伝説がある。

淀姫神社詳細の項
ttp://yodohimejinja.com/details-of-a-shrine


長崎県内で滋賀県の大津付近と同じ地名がある所
小値賀島
松浦市 柏アは膳ア

小値賀島の笛吹は松浦市笛吹の住民が移り住んだという。
松浦市域は淡海国の地名である。

継体紀 文庫書紀B208-4
是歳、毛野臣、召されて対馬に到りて、疾に逢ひて死ぬ。
送葬るときに、河の尋に、近江に入る。
其の妻歌して曰はく、
枚方ゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る


途中、関西まで長いのに山陰沿岸や瀬戸内海の行く記述がない。
近江は朝鮮と一衣帯水の位置にあり、北部九州または山口県沿岸にある。
  ↓
文庫書紀B208-4 の場所は松浦市 志佐川の上流 笛吹である。

万葉集3238
相坂  松浦市 御厨町 相坂免


『松浦市史』 1975年
P50
志佐  贈唹の君 多利 志佐申し言う
御厨  伊勢の御供所即ち厨物を差上げる御厨
調川  租庸調の調の皮

文庫書紀@134-9
伊勢の狭長田の五十鈴の川上 ・・・ 御厨町の竜尾川


淀姫墓郭
ttp://yodohimejinja.com/details-of-a-shrine#bokaku
  ↓
「鉄片は双刃の剣であろう」


P66
宮日のお潮とりの場所に「浮床」 と称する所があった由、潮満ちくれば浮き、干潮時は土地が落ちついていたそうである。 前の住吉神社の地らしく、住吉神社は現在は移転して、西肥バス営業所になっている。
この浮床よりが出土し、辻尾(松浦高校) の所に鉾神として祭った由、後世道祖神となっていた。

  ↓
天孫降臨の「浮渚在平処」 文庫書紀@122-2


P485
高野免は昔は鷹狩をした野、鷹野であった。
万葉集 大伴家持 越中国  鷹狩

魚固島 おごの島  (星鹿町)
魚がたくさん固まっている島だった。
「おのころ島」 ではないかという人もいる。


文献で淤能碁呂島に関する記述は
古事記 仁徳記 吉備の黒日売
歌謡
仁徳天皇が難波の埼に立って眺めると
粟島 淤能碁呂島、檳榔の島も見ゆ

『古代氏文集』 山川出版社
新撰亀相記 P206〜207
415 此の三つの島は艮より坤に連なれり。
  ↓
鷹島の西にある魚固島に合致する。


肥前風土記 海松橿媛  風土記333-7
通説では古代の賀周駅(かすのえき) は唐津市 見借(みるかし) とされる。
私見
肥前風土記 海松橿媛の「海松」 は浅海の岩場の海藻であるが唐津市見借は内陸の山奥地にある。 唐津市見借は「海松橿媛」 の名に適さない。

大屋田子 日下部君等が祖 ・・・ 浦島太郎と同じ



「サイエンス」 を自認する考古学 弥生時代早期の遺跡
佐賀県唐津市 菜畑遺跡
長崎県平戸市 田平町里免 里田原遺跡
に注目する。

九州大学大学院 人文科学研究院 考古学研究室
ttp://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/kennkyusitukatudou.htm
佐賀県 東松浦郡呼子町 大友遺跡
ttp://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/ootomosite.htm

素人流儀の私
地名と民話の観点から松浦市が重要である。




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土井ヶ浜遺跡  124号人骨は英雄か? 術師(シャーマン) か? 

2016/09/19 14:02

『郷土資料事典 長崎県』 人文社 1998年
P124下 日本にもいたアマゾネス(女戦士)
  根獅子の竹久保箱式石棺墓は、弥生文化遺産として知られ、貝輪17個・骨銛2本・須恵式土器1個・人骨4体を出土しているが、なかでも話題をまいたのが女人骨である。
  というのも、頭のてっぺん近くに銅鏃片が射込まれていたからで、銅鏃は、その時代としては最先端をいく武器である。 兵隊たちが使っていたのは主として石鏃ということから、この女性は兵隊同士の戦いではなく、大将同士の射ち合いで命を落としたと思われ、したがって、この女性の軍隊における地位はかなり高かったのではないかと考えられるわけである。
  このことから、戦いに女同士が参加したと考えられるのは早計だが、戦いのシンボルとして、たとえば有名な卑弥呼のような、祭祀的首長であったのではないかということは十分考えられることである。
  また、鏃の突きささったのが胸や背中ではなく、頭のてっぺんであることも奇妙である。 これが何を意味するのかなどと考えながら、頭のなかで古代絵巻を想像するのも楽しい。



山口県 土井ヶ浜人類学ミュージアム
124号人骨は英雄か? 術師(シャーマン) か?
長崎県平戸市 根獅子の人骨と似て、頭に鉄鏃が射込まれている。

私見
記紀神話と照合させれば土井ヶ浜124号人骨は八俣大蛇か。 ミュージアム裏門を流れる川の名は沼川だから古事記 高志国の沼河比売の地か。

「術」 の本
『術の思想』 医・長生・呪・交霊・風水
三浦國雄 編 風響社 2013年


私見
倭人=西北九州型弥生人 説
弥生人 形質人類学による分類
北部九州・山口 ・・・ 中国 山東省の人骨に似る
西北九州 ・・・ 縄文人がそのまま弥生人になった
南九州・南西諸島 ・・・ ベトナム、カンボジアなどのインドシナ系?

北部九州・山口は中国人の顔だち
鹿児島県の南端は侏儒
縄文人は日本独特の人種である。

縄文人の容貌は日本独特である。
中国人が人種的に区別した「倭人」 は縄文人である。
中国の古い文献に登場する「倭」 は縄文系である長崎県の弥生人である。

「倭」 の位置=長崎県
倭は「縄文人がそのまま弥生人になった」 西北九州 弥生人であるため、基本的文化思考は縄文的である。 日ユ同祖論は間違いである。 巨大建造物をこれみよがしに造るシュメール文明に影響されてないため、倭人の遺跡はちょびちょびの物しか出ない。


松野連
”中国が提唱した日本誕生伝説” が『凄まじくダメな雰囲気』 を醸し出している模様。 年代的にも辻褄が合わない
ttp://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50487588.html
  ↓
コメント欄
15. 名無しさん
2016年09月20日 00:58
徐福がやって来たという話は全国にある、と言うだけでその痕跡もなく、史書を読めば誰でもそんな話をでっち上げられる話よりも、松野連が呉王夫差の末裔って話の方が、熊襲にはなまずを祀っていた宗教的共通性があるだけ、信憑性がある。

私見
松野連 ― 民進党 松野頼久 熊本県鹿本郡菊鹿村 (現・山鹿市)
『熊襲は列島を席巻していた』 内倉武久 著 ミネルヴァ書房 2013年
P271〜274

なまず ・・・ 東鯷人



土井ヶ浜弥生人の特徴
土井ヶ浜弥生人は土民との混血がない100%渡来系である。
長崎の「西北九州タイプ」 の弥生人骨が1体出土している。

吉野ヶ里遺跡も在来の人たちと混血してない。 ただし土井ヶ浜と吉野ヶ里では人骨が少し違う。

渡来は男だけでなく女も来て、土民の女との混血はない。

長崎大学 歯学部 真鍋義孝の研究
歯の形態学的特徴から、
北部九州弥生人の歯は黄河流域、朝鮮と類似する。
土井ヶ浜弥生人の歯はモンゴル、バイカルと類似する。
ただし満州民の歯とは異なる。 中国周辺(北部) の集団である。

私見 福岡市金隈の弥生人は漢人。 土井ヶ浜弥生人は鮮卑か。
秦の始皇帝も北方の匈奴、青い目の月氏の系統といわれる。

土井ヶ浜では子供は大事にされていた。熊本大学 木下尚子
しかしの子供の墓が2割程度しかなく高齢の人骨が多い。

私見では、土井ヶ浜遺跡の再葬墓・集骨墓は中国流の風水か。

土井ヶ浜遺跡は土坑墓、配石墓が多く、箱式石棺墓は少ない。
土井ヶ浜遺跡より川棚の中ノ浜遺跡の方がやや古い。中ノ浜遺跡には支石墓があり、箱式石棺が4割。

土井ヶ浜の貝輪は作り方が中国的であり、北部九州のものとは異なる。

土井ヶ浜遺跡の珍品としてシャコ貝製頸飾りがあり、南中国との密接な交流を物語る貴重な遺物で、国内には類例がない。

土井ヶ浜遺跡の東700 m に片瀬遺跡があり、土井ヶ浜遺跡と同時代の水田跡が発見された。 土井ヶ浜の生産域・居住域・墓域が揃った。

参考
日本人と弥生人 松下孝幸 著 祥伝社 平成6年
山口県の古代遺跡〔T〕 集落・墳墓編  古代遺跡教材化研究会 平成7年
土井ヶ浜シンポジウム 「響灘の弥生時代」
わがまち .サイト 〜豊北の遺跡最前線!〜 企画展 展示図録 2007年


持衰説
矢を浴びた英雄は持衰かシャーマン?
http://lunabura.exblog.jp/20387364/

持衰については
文庫風土記下432
逸文 日向国 吐濃峯


土井ヶ浜遺跡 124号人骨の再検討
私見 術師=徐福=八俣大蛇

中国人は食人種である。
渡来して土井ヶ浜に定住した徐福は原住民の若い娘を奪って食人する八俣大蛇だった。 中国人は人食い人種なので土井ヶ浜では子供を食べていた。 聖人孔子も赤ちゃんを食べていた。




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大家島

2011/04/03 06:26

風土記の平戸  角川の地名辞典 長崎県巻 P1113右 より

「 肥前風土記 」 によれば、景行天皇が巡幸したとき、大家島というところの村に大身という土蜘蛛がおり、常に天皇に逆らったので、これを討ち滅ばした。
その後、この島には白水郎(あま)たちが宅(いえ)を建てて住みつき、そのため、この島は大家島といわれるようになったという。
島の南には、洞窟があって、鍾乳および木蘭(木蓮)があり、また、周囲の海には、蚫・螺・鯛・雑の魚および海藻・海松などの海産物が豊富であったという。
この大家島の遺称地はなく、一般には大島(的山大島)に比定するが、平戸島に比定する説もある。

同じ 「 肥前風土記 」 の値嘉郷の条には、景行天皇が平戸島の南の志式島の行宮に滞在し、そこから見える小近・大近の島々へ阿曇連百足を遣わし、そこの土蜘蛛の大垂を退治した。
大耳らは極刑を許されれば、天皇に御贄を常に奉ることを約束するとして、放免された。
天皇の行宮跡は現在の平戸市野子町の宮の浦であったという。


大家島は平戸島である。
「 島の南の洞窟 」 とは、礫岩の岩窟 または 早福町の海蝕洞窟 である。
「 木蘭 」 は早福町に自生する ボウラン である。

家島より、佐志町―早福町―志々伎町 である。
サイト「遺跡ウォーカー」を見ると、平戸市 早福(はいふく)町には遺跡はない。
しかし早福町は邪馬台国(九州倭国)の都の有力候補地である。


人名の「」は 宇久島・小値賀島・五島列島 の人を表す。

私は 宇久島・小値賀島を帰化人の島 とみる。
記紀で帰化人の疑いがある人物は宇久島・小値賀島の出身だ。


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斉明紀 童謡 (難解)

2011/04/01 06:00

斉明紀 6年12月 の難解な童謡(わざうた)
岩波文庫 日本書紀(四) P366

まひらくつのくれつれをのへたを らふくのりかりがみわたとのりかみをのへたを らふくのりかりが甲子とわよとみをのへたをらふくのりかりが

Google で 「 斉明 童謡 」 で検索して通説・諸説を知る。

ある個人サイトに、小学館「古典文学全集」の僧契沖の訓読が載ってました。
感謝して、引用させてもらいます。

「 平傴僂の 作れれ 尾上田を 雁雁の喰らふ
   御猟のたわみと 尾上田を 雁雁の喰らふ
   甲子と朕と淀み 尾上田を 雁雁の喰らふ 」

私見では、「韓人と天皇が齟齬をきたして、朝鮮から飛来する雁(敵)の群れが尾上田の米を食う(=侵略される)」⇒天智紀 元年12月 の朴市田来津の諌め、豊璋の勇み足が白村江の敗戦を招く。

尾上田は神功紀の神託 「尾田の吾田節の淡郡に所居る神」を連想させる。

平戸市 早福町の小字に、
「クヅマノ坂」 ⇒傴僂(くつま) 「せむし」の意味
「尾ノ上」、この隣の小字が「清水」(⇒尾田の吾田節の淡郡)
※ 小値賀島 中村 にも小字「尾ノ上」がある。

大佐志町 「津和ノ浦」(場所は礫岩の海辺)⇒津和は兵(つはもの)か⇒卑弥呼の城柵の場所 

早福(はいふく)は拝伏(ひれふす、ふしおがむ)である !!!!!

早福町の高松神社( 祭神は高市姫命 )
万葉集では 高松=高円(たかまと) である。

あをによし 奈良の都は 早福町へき地保育所 のあたり。

魏志倭人伝で「代々王あり」の伊都国は戸数千余戸とあり、実際はその10分の1とみて、戸数100余戸程度の地域だろう。
考古学思考では伊都国の人口は1万余戸でも少なすぎ、邪馬台国7万余戸に伍する6万余戸ぐらいなければ「王都」(首都)が成立しない。代々王が居て、そこがわずか千余戸では考古学の論理で説明できないのである。
代々王が居た伊都国は、たったの千余戸である !!!!
都は千余戸だから、考古学で邪馬台国の位置を発見するのは無理である。

田舎に住んでいるお年寄りは自分の家の裏山にある古墳を知らない。
田舎で土器に関心がある人は中学・高校の先生ぐらいしかいない。
遺跡で古代史を解明しようとする方々は田舎の人たちを知らない都会の人間だ。
地中の土器はお百姓さんのトラクターで木端微塵になりました。

早福町には考古遺跡はない。(サイト「遺跡ウォーカー」による)
しかし早福町〜大佐志町には神仙郷にふさわしい物がある。
   

礫岩の変態岩 (奇妙岩) は凄いアートだ !!!!
日の本を示す太陽の塔だ !!!!!!!!!


Google 「 礫岩 変態岩 」 を検索して、登山者のホームページを見てください。

肥前風土記大家島 は「島の南には洞窟があって、鍾乳および木蘭(木蓮)があり」とある。 ― 風土記の平戸 角川の地名辞典 長崎県巻 P1113右
礫岩には磐窟がある。 礫岩の上の灌木は木蓮か。
石川郎女(3) は大家石川命婦・佐保大伴大家ともいう。

「木蘭」は早福町に自生する ボウラン だ !!!!!!!
「木の蘭」の意味がわかった !!!!!

万葉集91 の大嶋嶺は屏風岳であろう。
歌中の「猿」は屏風岳山頂にある天狗の石像だ。



早福町の海岸洞窟を発見 !!!!!!!!!

Google で検索
 「 おそらく早福町で検索するより早福漁港や早福港で検索した方が活用できる情報が多いかもしれないとても小さな漁村です 」

※ 長いですがコピーして、この文を貼り付けして検索してください。


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沢蘭  万葉集4268

2011/04/01 04:07

当ブログの基本的な手法は小字地名である。
小字は 角川の地名辞典 各県巻 巻末小字一覧 に載る。

万葉集4268 の「里」、「霜」は平戸市早福町の小字である。
※ ほかに「里」は田平町の里免、小値賀島 唐見ア「里之前」がある。

4268 の歌の場所が早福なら、沢蘭は国指定天然記念物のイトラッキョウである。 「黄葉」で、種ができる時期 または 株分けの時期。
※ 通説では「沢蘭」は漢方薬になるサワヒヨドリ(キク科)で、効能は「 血滞による無月経、生理痛、生理不順、腹中のしこり、産後瘀滞による腹痛などに用いる 」らしい。婦人病用 ?

ネット検索でイトラッキョウを調べると、花は淡赤紫と白の2種類あり、開花時期は10月末〜11月である。
礫岩登山は天然記念物のイトラッキョウの盗掘を防ぐために、平戸市教育委員会に事前に連絡を入れなければならない。

Google で 検索 「 礫岩 変態岩 」

万葉集664 大伴宿祢像見
石上 零十方雨二 将関哉 妹似相武登 言義之鬼尾

像見の「像」は礫岩の変態岩である。


平戸市南部の 早福町〜大佐志町〜無代寺町〜西中山町 に九州倭国の都があった。 

阿曇連頬垂 (斉明紀 天智紀) は無代寺町の小字「中津良田」の人かも。


推敲
書いた後、あらためて再検討してみると、イトラッキョウは蘭ではなく野(ノビル)の類いである。

Google で 「 早福  ボウラン 」 を検索

早福町には蘭の仲間である ボウラン が自生している。
沢蘭なので、沢(水辺)の草花なのか。ボウランは木の幹や岩場に生える。

志々伎山に 志々伎寒葵 が自生するが黄葉の歌にならないと思う。

※ 園芸愛好家の皆さん、山野草のボウランや志々伎寒葵を盗掘するな。



万葉集では「黄葉」は黄色ではなく赤色である。
真冬にスーパーでキャベツを買うと外葉が霜で赤くなっているものを見かける。
家庭菜園で栽培されるニラも霜にやられて葉先が赤くなる。
これはアントシアニンの作用である。
ウイルスやサビ病にかかった病気の株を臣下にプレゼントするはずがないので、万葉集4268 の「黄葉」 「毛美知多里」は 霜が降ってアントシアニンが葉に出た ことを詠んだものである。

「沢蘭」とは何か ― 耐寒性があるが、それほど強くない植物 のようだ。
霜が降りると葉に赤紫色素のアントシアニンが表れる種類である。

Google 「 ブロッコリー アントシアニン 」 で検索してください。


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朝鮮と一衣帯水 の場所

2011/03/31 19:41

記紀・万葉は白村江の戦いまで存続していた九州倭国の書である。
邪馬台国または記紀・万葉の九州倭国と朝鮮は一衣帯水の距離にある。
倭国は高句麗 広開土王碑の碑文にあるように朝鮮へ出兵しやすい位置にあり、その所在地を推理すれば奈良県・大阪府の関西は問題外で、遺跡が多い福岡市・糸島・大宰府や八女・佐賀平野も朝鮮への渡航はむつかしい。

663年、白村江の戦いに2万7000人を派兵したが、長い途中の瀬戸内海を通る兵站の記録が日本書紀にない。

朝鮮へ渡航しやすい場所は平戸諸島(宇久島・小値賀島・平戸島など)であり、平戸島南部の志々伎湾が「渡海の観点」から九州倭国の第一候補地である。

その次の候補地は、宇久島・小値賀島。
● 1562年 「籌海図編」の「倭斉家」を小値賀島とみる説あり。
● 滋賀県大津市には膳所があり、小値賀島にも膳所城がある。
● 万葉集1218 の黒牛の海は小値賀島の赤浜、または「城(しろ)の越」に往古あった海峡である。小値賀島は赤土の島であり、畑や海岸が赤色である。
Google地図 航空写真 で小値賀島を見ると、赤土の島であることが一目瞭然である。

さらにその次の候補地は佐世保 (軍艦が泊められる良港、水銀鉱がある)。


邪馬台国への道は北部九州(福岡県・佐賀県)ではなく、西海国立公園の長崎県であり、西北九州型の弥生人である。


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平戸島の南部

2011/03/31 08:59

Google で検索  「 文化庁天然記念物緊急調査選定群落リスト 」

長崎県に 「志々伎山のタチバナ自生地」 が載る。

タチバナは
記紀の
筑紫(竺紫)日向の橘の小戸

万葉集の
橘之 嶋宮 (179
近江の海の八十嶋の花橘(3239
嶋山尓 安可流橘 (4266、4276
などがある。

奈良県説では「嶋」は庭園や奈良盆地内の小地名と解釈されている。


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高天原の候補地

2011/03/12 01:06

高天原の場所探しは天石窟と天真名井があることが条件。

天石窟の候補地
@ 佐世保市 下本山 付近の洞窟
佐世保には洞窟が多い。

A 平戸市 大佐志町 礫岩 の石窟
早福の高松神社の祭神は高市姫命である。

B 小値賀町 野崎島 二半岳中腹の祭祀場といわれる石窟
野崎島には地元の人しか知らない洞窟があるらしい。

C 宇久島 城ヶ岳 の愛宕様
中世の石造物だと思うが、もしかするともっと古い物かも。

D 済州島の漢拏山 Halla-san
Yahoo地図で Halla-san とある。
私は洞窟があるかどうかは知らない。


邪馬台国
九州倭国(本当の記紀万葉の場所)
の位置は、平戸市〜松浦市〜佐世保市〜五島

邪馬台国への道は 渡海の地 である。


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生駒山を発見

2011/03/11 20:45

真(ほんとう)の生駒山は小佐々町の 足毛馬 (174メートル) だ。
小佐々町には地名の 葛籠(つづら)免 がある。 これが葛城。


船が難波を出港すると生駒山が見える― 万葉集4380
難波 ― 浄土ヶ浦
生駒山 ― 足毛馬(174メートル)


難波宮が佐世保市 相浦の浄土ヶ浦なら、隋書倭国伝の秦王国( そこの住民は中国人ばかりだった )の位置は平戸市の中心街(宮の町など)、または田平町の里田原になろう。


東京や関西の人間は佐世保市は佐賀県と思っているので、邪馬台国九州説は苦手です。
平戸市 ? 名前は聞いたことあるけど、場所は知らん ・・・・東京人・関西人



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伊都国より先は不明

2011/03/10 21:06

当ブログの編集方針は記紀万葉の記述を基に魏志倭人伝の邪馬台国の位置を発見しようとするものである。
伊都国は水銀鉱がある佐世保市 相浦で決まり。
それから先の
奴国
不弥国
投馬国
邪馬台国
狗奴国
は位置不明だ。

私見では邪馬台国または女王国は小値賀町の野崎島なので、魏志倭人伝に書かれた伊都国より先はわかりません。

末盧国に官も副もいないのが不思議だ
末盧国 = 邪馬台国 だと思います。
末盧国は平戸市 または 平戸諸島(平戸島・宇久島・小値賀島など)
また伊国の「都」の字より、伊都国である佐世保市 相浦 に首都があった。

旁国の斯馬国は福岡県糸島の志摩町か。


倭国の領域は、平戸市〜松浦市〜佐世保市〜五島 です。



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タイトル 日 時
檳榔の島
古事記 仁徳記 吉備の黒日売 ...続きを見る

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2011/03/09 18:34
吉備国
吉備国は平戸市の中心街である木引田(きひきだ)町である。 吉備の児島は黒子島である。 ...続きを見る

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2011/03/09 03:14
木ヶ津  ( 平戸市 )
遺跡名 馬込遺跡 (まごめいせき) ...続きを見る

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2011/03/08 19:10
淡海の字
淡海は、 淡海 近江 相海 青海 滄海 碧海 大海 内海 近つ淡海 遠つ淡海 などが考えられる。 ...続きを見る

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2011/03/08 12:50
邪馬台国 発見の大宣言!!!!!!!!!!!
Google で 「 野崎島 王位石 生石 」 「 王位石 」 で検索すれば、現地の人のブログで王位石(おえいし)を 生石 と言っていることがわかった。 これはもう、万葉集355 の生石村主真人の「生石」に間違いないと断定できる。 ...続きを見る

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2011/03/07 01:50
平戸市 田平町の小字 ( 一部 )
山内免 所望崎(しょもざき) ⇒万葉集で難波の歌にある「欲」の字 日ノ浦 ⇒難波津 尼久保 馬場ア 京木 城山 ...続きを見る

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2011/03/04 12:20
大伴御津 は平戸市の主師 (しゅうし)
龍田 (たつた) の候補地 ...続きを見る

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2011/03/03 21:18
マトメ  ノーベル賞候補だ!!!
邪馬台国の位置をはっきりさせた人はノーベル賞に値する。 ...続きを見る

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2011/03/03 12:54
漢委奴国  筑前朝倉橘広庭
漢委奴国の位置 @案 倭国の場所は平戸市。 倭国の極南界は平戸島の志々伎または野子。 A案 倭国を平戸諸島とみれば、南端は宇久島・小値賀島で、最南端(極南界)は小値賀島の笛吹−黒島郷になる。 検討した結果、漢委奴国の位置は宇久島の平(たいら)郷の海岸である。 ...続きを見る

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2011/03/02 12:58
高島
万葉集の高島 ...続きを見る

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2011/03/02 00:30
大和三山  (平戸市)
高山・香具山・石見の高角山・筑紫日向高千穂峰  ⇒ 志々伎山 畝火山  ⇒ 佐志岳 耳梨山  ⇒ 屏風岳 ...続きを見る

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2011/03/01 12:39
荒磯
万葉集   荒磯 ...続きを見る

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2011/03/01 12:22
日本列島の玄関だった平戸市 野子
平戸市(平戸島)の南西端の野子沖は、薩摩と往来する船、朝鮮と往来する船、五島と往来する船、中国と往来する船、博多と往来する船など、たいへん混雑する航海の十字路だった。 ...続きを見る

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2011/03/01 12:21
いなみ
「いなみ」を 万葉集表記別類句索引 ( 笠間書院 ) で抜き出せば、 ...続きを見る

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2011/03/01 09:01
田平町 里田原遺跡 (平戸市)
田平(たびら)町には宗像神社があり、出雲系の土地である。 田平⇒平(たいら)⇒大羅(宇久島の小字に「大羅」がある) ...続きを見る

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2011/02/28 04:05
隋書倭国伝  秦王国 と 邪靡堆 の位置
万葉集を読んでわかったことは、倭国の位置は 平戸市〜松浦市〜佐世保市〜五島 であり、最も重要な場所は平戸市南部の屏風岳・佐志岳の周囲である。 「日本国」の場所は早福町である。 「倭」(やまと)は山跡で、その場所も屏風岳−佐志岳 の丸い半島である。 ...続きを見る

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2011/02/28 01:15
生駒山
万葉集の生駒山  屏風岳山頂の東の小字「牧田」 ...続きを見る

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2011/02/28 01:06
マトメ
筑紫  福江島 竺紫  野子町の福良・志々伎山 ※宗像は志々伎神社の辺都宮・沖都宮 ...続きを見る

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2011/02/27 23:26
平戸島南部の原始古代
根獅子遺跡 ⇒ 根の国?   平戸島の西海岸の根獅子(ねしこ)浜の小砂丘上にある弥生時代の埋葬遺跡。 昭和8年(1933)から古人骨の出土が報告され、同25年に再埋葬の人骨類の調査が行われ、同47年・平成4年(1992)年には発掘調査が行われている。同25年の調査では人骨4体・骨銛・貝輪などが確認されて、うち一体の女性人骨頭頂部に銅製利器の尖鋭部が嵌入されたままの状態で発見され、注目された。 現在まで20体以上の人骨が土坑墓・石棺墓から発見されており、一般に西九州型弥生人と称される低身... ...続きを見る

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2011/02/27 03:16
平湖島  平壺島
[ 東シナ海渡海の要所 ] 弘安の役では至元18年(1281)3月、モンゴル軍が漂流していた日本船の水夫を捕らえて描かせた地図より「平戸島」の戦術上の有利さを認識したことから、東路軍と南路軍の合流地とし、日本を占領する前衛基地にあてる計画で、実際モンゴル軍のうち江南軍は7月に「平壺島」に到着(「元史」 日本伝)、島の津々に停泊させ、一部は「平湖島」に上陸して堡塁を築いている(「元史」 張禧伝)。 弘安6年蒙古合戦証人として平戸平五郎が津吉氏・志佐氏・大島氏らとともに起請文の提出を命じられ... ...続きを見る

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2011/02/27 02:11
新説 邪馬台国
魏志倭人伝で、なぜ末盧国に官・副がいないのだろうか? ...続きを見る

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2011/02/26 19:46
天の石屋 を発見!!!!!!
Google で 「 平戸市 礫岩 磐座 」 を検索してください。 ...続きを見る

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2011/02/25 23:14
真土山 と 石上振宮 の場所
まつち山 1019  又打山 古衣 石上振尊 手向為 恐乃坂  1680  信土山 ?     543  真土山 畝火 妹背乃山   −松浦市 境 から有田の陶土の山(皿山)へ向かう   3154  亦打山 −「速」より早福で、屏風岳の峠道   298  亦打山 −「盧前」(いほさき)は鮎川町の小字「山庵」 屏風岳の峠道 55  亦打山 調首淡海  屏風岳の峠道 3009  又打山 古人 −1019 に同じ ...続きを見る

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2011/02/25 19:14
高松 と 難波
平戸市 屏風岳 早福町に高松神社がある。 高松神社の祭神  高市姫命 ...続きを見る

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2011/02/25 12:51
調首淡海
万葉集55  屏風岳と佐志岳の間の峠道が亦打山である ...続きを見る

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2011/02/25 03:09
「日本」の山 と 卑弥呼の冢の候補地
高天原 の候補地は、 @案  松浦市の不老山周辺 A案  佐世保市の愛宕山 と B案  平戸島南部の屏風岳の山頂 も候補地である。 ...続きを見る

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2011/02/25 02:03
淡海 再考 と 倭(やまと)の位置
天智天皇の淡海国 「松浦市東部の今福に天智天皇が朝鮮半島出兵を視野に入れて淡海の都をおいた」は合理的でない。 大局的に考えたら「海北道中の道主貴」である志々伎神社(九州倭国の宗像大社)が淡海国になる。 九州倭国の位置=松浦市〜平戸市〜佐世保市〜五島。 志々伎から製塩土器が出土してないのが難点だが・・・・ ...続きを見る

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2011/02/24 12:32
松浦仙媛 はなぜ「仙媛」か
八俣大蛇伝説は松浦市 志佐川上流の横辺田免にあるが、これは間違いである。正しい八俣大蛇退治の場所は平戸島南部の津吉町を流れる古田川である。 理由は八俣大蛇の尾から出てきた剣の名が蛇の韓鋤(からさひ)の剣だからだ。世知原町の原始古代人が韓式の剣を持ってるはずがないからだ。 参照 岩波文庫 日本書紀(一)  P98 川の名前は 国土地理院 地図閲覧サイト 参照 ...続きを見る

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2011/02/23 06:09
筑紫は福江市 ?
福江市 志賀  ?   荒雄  大荒 筑前国宗像郡(3869)  八幡神社の祭神は宗像三神 滓屋郡志賀村白水郎  樫川(=香椎?)付近 大浦田沼(3863)  田部手川 也良  ? ...続きを見る

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2011/02/22 08:24
出雲 と 淡海
出雲は3か所ある。 素戔嗚尊の都  松浦市 = 天智天皇の淡海の大津 ※ 後に訂正 根の堅州国 ? 大国主神・少彦名命の都  宇久島の山本 ...続きを見る

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2011/02/21 18:25
再び 志々伎神社 考
平戸市南端の 野子に志々伎神社がある。 ここは地形から海神の宮である。 古事記で天孫降臨の地の竺紫日向高千穂は韓国に向かっている場所である。 五島南端の三井楽町は中国に向かっている場所である。 ...続きを見る

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2011/02/19 19:40
高天原 ( =伊都国 ) の位置
天智天皇の淡海(近江)は五島列島(中通島以南)ではなく平戸諸島(小値賀島〜平戸島)であり、平戸諸島内で万葉集13〜15 が詠める場所は平戸市南端の野子にある志々伎である。 ...続きを見る

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2011/02/19 08:52
志々伎神社 ( 平戸市 野子町 )  田助
地名の「肥」(こえ) ⇒ 出雲の肥の川 佐志岳 ⇒ 刺国若比売(大国主神の母) 野子「見川」 ⇒ 野見宿祢 バス停 鴨の首 ⇒ 鴨君 ...続きを見る

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2011/02/18 21:06
志自伎
平戸市 野子町の志自伎神社       鏡川町の志々伎谷 松浦市 御厨町 里免の志自伎 田平町 下寺免の志自岐平 福江市 吉田町の志々岐平 宇久町 宇久島神社(神浦郷長坂)は古くは志自岐大明神と称した。 新魚目町 志々岐灘 壱岐 石田町の志自岐(志々岐神社) ...続きを見る

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2011/02/15 09:15
古田遺跡   小佐々町楠泊免  ― 難波宮 はここだ !
古田(ふるた)遺跡  『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P528中 ...続きを見る

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2011/02/15 07:07
平戸市周辺 〜 五島列島 ― 漢委奴国や難波・伊勢・筑紫 を大発見
平戸市は「旧唐書」倭国日本伝に「平湖島」とみえる。 『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P630下 ...続きを見る

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2011/02/15 06:27
名木
平戸市のホームページ より ...続きを見る

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2011/02/14 08:49
松浦の地誌を知る
佐賀県西部から長崎県にまたがる松浦地方は地味な場所であるが、 近所の本屋で昭文社の佐賀県・長崎県の地図を購入 図書館で角川と平凡社の地名辞典を調べる ⇒ 必要箇所をコピーする ネット検索で現地情報を得る ことで松浦の情報が得られる。 ...続きを見る

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2011/02/13 15:32
松浦市の民話・伝説 ⇒ 出雲と高天原の大発見
松浦市のホームページ及び松浦市の民話を検索してみると、 不老山に徐福伝説がある。 志佐町横辺田免に八岐大蛇伝説がある。 ...続きを見る

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2011/02/13 14:09

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