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みんなの「当ブログの注意書き」ブログ


日本書紀の本

2016/09/26 03:55

私が手元に所有する日本書紀の本  赤 必需品

現代語訳
中央公論社 日本書紀 上・下 井上光貞 監訳 昭和62年
現代語訳・原文・注他・校異  ネットで中古本を購入

中公クラシックス 新書 日本書紀TUV 2003年 現代語訳・注他
感想 まずこれを受験勉強のように徹底的な入念さで4、5回読み、全部覚える。 初めて読む時は忍耐がまんで3か月かかっても、何度も読み込めば3冊わずか1時間半でパパッと復習的に読み終えることができるようになる。

講談社学術文庫 日本書紀(上)(下) 現代語訳 宇治谷 孟
1988年発行 2001年第26刷
感想 訳が最悪。 捨てた方がよい本。

ニュートンプレス 新書 日本書紀(上)(中)(下)
山田宗睦 現代語訳 1992年発行 2001年第12刷
感想 人名がカタカナ書きで、人名表記が本質的に重大な点がわかってない。


訓み下し文
岩波文庫 日本書紀(一)〜(五) 1995年発行 2000年第7刷
感想 紙質が悪く、買って3年目で本が紫外線で錆茶けてボロになる。
紫外線に当たらないように扉付き本棚・蓋付き箱にしまうようにする。

訓み下し文を引用してないブログ・本の著者は現代語訳しか読んでない。
研究は訓み下し文主体で行う。 大学院の学生は40回は読んでいる。

複数の大型国語辞典・漢和辞典は必需品である。 大型辞書の新品は15000円するが中古本は5000円でネットで入手できる。 訓み下し文表記の漢字を大型辞書で調べていく。 日本書紀の漢字は蘊蓄溢れ、こだわりがあるので、その発見が歴史認識の謎解明に直結する。

岩波書店 日本古典文学大系「新装版」 日本書紀 上・下 1993年
ネットで中古本を購入

小学館 新編日本古典文学全集 日本書紀@AB
訓み下し文、現代語訳、原文、注他、索引 1998年発行 2012年第6刷
感想 編集は至り尽くせりだが、紙質が蛍光ペン対応でない。 蛍光ペンを使うとインクが紙の裏に滲むので使えない本である。 地図・注釈は関西説。 私見は倭国は下関市にありました。 風土記、三韓の各国も綾羅木川流域〜豊浦町黒井・川棚にあった。


索引書
吉川弘文館 日本書紀索引 昭和44年発行 平成6年第7刷
人名、官職名、件名、地名、神名・社寺陵墓名
感想 手頃な索引書はこの本しかないので、使用上不満はあってもこの本を買って使うしかない。


格言
石の上にも3年
最初手に取った時、旧字体でカビくさい文だから拒絶反応が起きる。
根性ある人なら半年で岩波文庫を精読できる。 次から次へと本買って読む。

たいへんなのは「文献」 を買って読むことより地方資料の収集だ。
たとえば宗像市域を調べようとすれば、ゼンリン住宅地図を買い、宗像市に数回行って図書館の郷土資料を箱いっぱいコピーして持ち帰る。 数か所の図書館を訪れ、古いコピー機を3時間立ちっぱなしで動かす。 宗像市史、津屋崎町史などはネットで中古本を購入する。 宗像市・福津市で、なんやかんや7万円くらい遣うことになる。 自分で動いて地方各地の情報を得ることが最も苦労することである。

パクリをやる人たちは、ホームページ/ブログを見れば報道写真の転載が目立つ。
どこで仕入れたか、思いつきのソース元を書いてない。

地方自治体で考古学の発掘をしている職員や古代史愛好家たちはミニバンにバイク・自転車を積んで全国を旅している。 20年、30年と地方の現地取材をして経験を積んだ人たちを説得させるものを見つけるには、前人未踏を拓くパイオニアと化し、神仙の「仙境」 を見つける仙人の感性が求められる。

魏志倭人伝、日本書紀、万葉集、風土記など日本の古代史は仙人である。
奈良県は遺跡は巨大だが、風水・陰陽五行や天子南面の吉祥地ではない。


仙人
仙人の感覚をはたらかせて景観を見る。
下関市
地の果てに来た感じがする御崎の淵ヶ谷は仙境!
吉母の黒嶋は前方後円墳形の岩島で、浦島太郎の蓬莱山!
竹生山の東ヶ嶽は道家の泰山で、有冨墓地東側の谷は仙境!

青山、火の山、火の見山は風水の地名であることから、四神相応・天心十道を計れば倭京は有冨の字「中村畦」 で決まり。

倭に関する文献は神仙文学である。 考古学は遺跡の大きさや金属器の出土物によって場所の階層化を組み立てているが俗物的邪道である。 各地を見て回るなら原始古代の中国哲学である風水・易経・陰陽五行を学び、景観・方位から神仙の地を見つけることが古代史の解明法として本質的だ。




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古代史に関心がある人たちを分類する

2016/09/26 03:50

文献
邪馬台国の場所、古代史の解明を文献主体でやるなら、古事記・日本書紀だけでなく、今昔物語集・日本霊異記まで読む。 記紀だけ読んでも埒があかない。万葉集漢字原文、風土記は必読。

日本書紀索引、万葉集索引、風土記索引などの索引書を購入する。
各10000円くらいか。 索引書は必需品。

大型国語辞典 2冊、大型漢和辞典 2冊
15000円 中古本8000円ぐらい

日本書紀の現代語訳は中央公論社の本が薦められる。
中央公論社 日本書紀 上下 1987年 函入り 中古本3000円 〜
この本の新書化 中公クラシックス 日本書紀TUV

古事記の現代語訳は時間がある無職で3日、学生・主婦で5日あれば読める。
日本書紀 上中下 3巻なら10日〜15日で読了できる。
訓み下し文も1冊4日〜6日 で読み終える。
「文献」 の本は1冊7日前後で読み終えることができる。

日本書紀の現代語訳は2週間で読み終えるので、1か月後には日本書紀の神名や人名をこねくり回し振り回して「日本の起源」 を叩くように書きだす。 これは誰しもかかる「はしか」 である。

漢字の表記を問題にするなら記紀は訓み下し文、万葉集は漢字原文を読まなければならない。 岩波のルビ付き訓み下し文は読みやすいし、万葉集は漢字原文のほうが読みやすいので、難儀ではない。

何色もの蛍光ペンを使えば難解な学術書も読める。 数年後読み返すために、本には色で線を引き、書き込みをめいっぱいする。 分量が多いので付箋では対処できず、その箇所を忘れたら2度と探せない。

時間、カネ、手間、アイデアがいるのは地方資料の収集・読み込みである。
1つの地域に5万円〜8万円遣って、3か月かかる。


とりくみ方、ジャンル分け
考古学  地方自治体の遺跡発掘職員 発掘調査報告書
考古学志望の学生
ttp://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/ach/study_room.html

文献史学の大学教授  専門書・学術書 12,500円+税、学会の論文

作家、歴史愛好家  書店 単行本 2,200円+税、新書・文庫 1,100円+税

床屋談義の人たち 


邪馬台国論争を行うのは「学会」 とは別の作家、歴史愛好家の人たちである。
邪馬台国は1960年代前半に浮上し、1970年代前半に大ブームとなる。
現在論争が始まった昭和40年当時から50余年経つ。
邪馬台国・古代史のブームは1974年、1984年。

『徐福集団渡来と古代日本』 いき一郎 著 三一書房 1996年 

私が所有する考古学の邪馬台国本
『邪馬台国と吉野ヶ里』 学生社 1997年
松下孝幸 など 東京新聞 吉野ヶ里取材班 編

『倭人伝の国々』 学生社 2000年
小田富士雄 編者 武末純一・渡辺貞幸 など


作家もプロ研究家であり、歴史愛好家も地道な個人研究をしている。
私見では、
邪馬台国の山師になるには10年以上、毎年5万円以上、計80万円はかかる。

床屋談義はマスコミやネットの情報を得て自説を語るが、自分で身を入れた研究はしていない。 物知り自慢の年寄りが知ってることを言ってるだけ。

文章に読点が多い者は訓み下し文を読んでいる。
話題が系図だけの人、文章に訓み下し文の引用がない者は現代語訳しか読んでない。 岩波、小学館などの訓み下し文を読んでない者は研究者ではない。

漢字は重要である。 厚さ10センチの大型漢和辞典は必需品だ。
漢字の表記を問題にしない現代語訳は使えない。

難しい漢字を手で書いて覚える。 「漢字が書ける」 は教養だ。
本を読んだときに出てきた難読漢字を方眼ノートに書いて覚える。
書いて覚えるために自分に合う筆記具を見つける。

学術書を読んでない者は参照元を記さない。 文はネットの誰かのパクリである。
1000冊の本を読んだと豪語する人がいるが学術書は1年に20冊も読めない。
学術書やルビがふられる漢字が多い本は読むのに3週間かかる。

日本書紀、万葉集、風土記等を研究する大学院の学生は40回くらい読んでいる。 素人の愛好家は4、5回くらいだから桁がちがう。


在野研究のススメvol.20 : 小室直樹
http://www.en-soph.org/archives/43685452.html
在野研究のススメvol.04 : 吉野裕子
http://www.en-soph.org/archives/33524678.html


小学生用ノート  勉強法
『安倍晴明占術大全』 藤巻一保 訳・解説 学研 2000年
この本を今年2月、amazon で中古の程度の良いものを4,000円で買ったが、今は49,800円 〜 となっている。 表紙の紙カバーをはずして文具店で売っている布カバーをつけると古本が華やぐ。

先週からこの本に出てくる用語、難読語を方眼ノートに書きなぐって覚えている。
方眼ノートは小学生が使うもので 7mm、10mm、12mm。

風水、易経、陰陽道、仏教関係の用語、人名は見たことない漢字や変な訓みのオンパレードだ。 本に出てくる用語、難読語を小学生用の方眼ノートに何度も書いて覚える。

用語、術語、人名、神名、地名、件名などを小学生ノートに書いて覚える。
手で語が書けるようになるには5年前後かかりそうだ。


『舛添要一の6ヵ国語勉強法』 舛添要一 著 講談社 1997年
ネットによれば舛添要一は高校時代、全国模試でいつも3番、4番だったという。
陸上の短距離選手(スプリンター) としてインターハイ出場もしている。
氏が「上達への近道」 という勉強法は
昔の新聞折り込み広告チラシは裏に印刷がなかった。 その紙に書いて覚える。
辞書(「現代英和辞典」) をひきまくってボロボロにした。
子供の時からの教科書、テストは捨てずに今も家にあるなど。

人が捨てるような紙でも字を書いて勉強できる。 字が書ける紙を見つけたら鬼と化して紙が真っ黒になるまで書く。 これが舛添式。 紙は真っ黒になるまで字を書いてから捨てる。 コクヨの大学ノートに書くのはダメ。 あくまで広告の裏、または藁半紙。 はさみで切っておくこともある。


私が使っている筆記具
品名 パイロット 「タイムライン」 の各種 7本所有
油性インキ、ゲルインキ(替芯を 0.7 に交換)

ソフト下敷き A4サイズ
紙を押さえる文鎮 20cm 1本 10cm 4本


BGM
時々、YouTubeで昔のジャズ




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『 ゼロからの古代史事典 』 (ミネルヴァ書房 刊) を読む

2015/05/15 12:26

『 ゼロからの古代史事典 』 ミネルヴァ書房 2012年 初版第2刷
http://minami56.sakura.ne.jp/kodaisi1.htm

大阪の古田史学の方々は研究熱心であり、古代史の論点を知る上でこの本は必読である。


P22上
下関市 綾羅木郷遺跡から出土した陶塤  弥生の実年代
国立歴史民俗博物館の放射性炭素年代測定法によれば、弥生時代の始まりは紀元前1000年頃からになったので、弥生時代前期の遺跡である綾羅木郷遺跡から出土した陶塤は殷の時代近くまで遡る物である。

P368下-末
久米歌には「くじら」 が歌われている
溝口貞彦著 「久米歌の検討」( 『和漢詩歌源流考−詩歌の源流をたずねて』 によれば、久米歌には「くじら」 が歌われている。
  宇陀の 高城に 鴫わな張る 吾が待つや
  鴫は障らず いすくはし 鯨障る 前妻が希乞はさば
  ・ ・ ・ ・ ・
前後に山野の生活が歌われていることから、久米は山の民だという通説があるが、古田武彦は異論を唱え、藤田は「もと海人」 とした。


私見
「鯨障る」 は徐福が蓬莱に行った時、鯨(大魚)に邪魔された話に通じる。


誤植、記述の誤り
P142下
当地には天の日槍の別名気比大神を祭神とする長野宇美八幡宮、比売語曽神を祭神とする高祖神社が鎮座し、
長野(×) → 長野村、長野郷、県社(○)
糸島市 高祖神社の祭神の中には比売語曽神はない。

P145下
対岸の周防国の防府市にも「天日槍」 を祭神とする「剣神社」 が鎮座しており、
防府市 剣神社の祭神の中には天日槍はない。

P154上-後ろから2行目
楽浪郡がの植民地から高句麗が解放した313年
唐(×) → 漢、公孫氏、魏、西晉(○)
私は楽浪郡の支配者をよく知らないが、魏または西晉が正しいと思う。

P163上-5行目
両国の人々がそれれの国が歩んできた道を個々
それどれ(×) → それぞれ(○)

P184下-後ろから2行目
し破壊し、『奴客』 (新羅王である) は(高句麗
物(×) → 者(○)

P206上-1行目
「 誉田 (こんだ) 」
こんだ(×) → ほむた、ほむだ(○)
小学館 新編日本古典文学全集 日本書紀@
応神天皇 P468 頭注 を参照

P270上-7行目
例えば欽明は 「アメクニオシハキヒロニハ」 と書かれているが
オシハキヒロニハ(×) → オシハキヒロニハ(○)

P372上 三種の神器 しんき
しんき(×) → じんぎ(○)
「しんき」 でもよいが正しくは「じんぎ」。 古くは「しんぎ」 とも。

P373下-8行目
神寶」(×) → 神寶」(○)

P373-10行目
五十瓊敷命 いそににぎのみこと(×) → いにしきのみこと(○)
五十瓊敷を 「いそににぎ」 と訓むのは執筆者の説か。

P376下-9行目
日本』 (×) → 『釈日本紀』 (○)

P376下-11行目
『魏志』 東夷伝・倭人条のヒミコ
ヒミコ(×) → イヨ、トヨ(○)



P376下-5行目
だから「瓊」 は「瓊矛」 または「瓊をかじりとる」 の意の「ヌ」 とも読めることから、『出雲国風土記』 の沼河比売をさしているともいえる。
出雲国風土記(×) → 古事記(○)

誤記だと思うが、この部分はとても重要な記述である。
土井ヶ浜遺跡を流れる川は沼川である。
  ↓
豊北町神田に伝わる神功皇后の猛虎退治伝説
http://44051510.at.webry.info/201203/article_42.html
  ↓
猛虎=蒙古(北方系)=岡林・和久の八俣大蛇

『 風土記 』 小学館 新編日本古典文学全集
P161-13行目 出雲国風土記 美保の郷
美保の郷。 郡家の正東27里164歩なり。
天の下造らし大神の命、高志の国に坐す神、意支都久辰為(おきつくしゐ) の命の子、俾都久辰為(へつくしゐ) の命の子、奴奈宜波比売(ぬながはひめ) の命に娶ひて、産みましし神、御穂須々美(みほすすみ) の命、是の神坐す。 故れ、美保と云ふ。

  ↓
沖つ・辺つ
筑紫・竺紫
万葉集307 久米の若子 三穂の石室
万葉集4029 珠洲
万葉集 はだすすき 3800 など 遊仙窟




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当ブログの功績  歴史認識を改める大発見の数々

2015/04/28 23:07

作成日時 : 2014/04/02 22:23
青谷上寺地遺跡  鮮卑が襲来した汗人国  178年
http://44051510.at.webry.info/201404/article_2.html

私は
2014年4月2日、「後漢書 巻80 烏丸鮮卑列伝」 に書かれている、鮮卑が178年に侵攻した汗人国は鳥取県の青谷上寺地遺跡であることを発見した。
2015年4月1日、原始古代の中国人が云う東方神仙の蓬莱山は日本国山口県 下関市吉母の黒嶋であることを発見した。


記紀・万葉の場所は下関と宗像である。

蓬莱山 ― 前方後円墳は蓬莱山の形を模したもの説
@ 下関市 吉母の黒嶋 ― 浦島太郎の蓬莱山。 海上の島である蓬莱山
A 下関市 JR梶栗郷台地駅から見る竹生山
B 下関市 豊田町の華山 (げさん)。 吉野の船山、象の中山

宗像市
若狭国は宗像市久原の小字「若狭ヶ浦」
近つ淡海の場所は宗像市 稲元
文庫書紀A24-9 天日槍 近江国の鏡村の谷の陶人 ― 宗像市 須恵

田熊石畑遺跡 ― 出雲・熊襲
出土した最多数の銅剣から埋葬者は “八千矛神” こと大己貴命である。

宗像海人族は山海経 海外東経 の大人国
記紀・万葉などでは 淡路(播磨国)の水手

海北道中
道中は鞍手町古門の地名「道中」 ― 信号機交差点が地図に載る
海北は朝鮮半島との間の海ではなく鞍手町あたりである。

その他 独自の見解
陸奥国は熊本県、出羽国は長崎県
熊本南部〜鹿児島〜沖縄 に高麗国があった。

職貢図  Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E8%B2%A2%E5%9B%B3

http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2282.html
「 倭国の使者は粗末な衣服を身にまとい、靴も履かない裸足の風体に再現されてしまい、それはまるで300年前の邪馬台国の女王卑弥呼が派遣した使者かと見紛うばかりの体たらくである。 」
  ↓
倭人の衣裳は仙人、僧侶 である。 倭人は東方神仙の蓬莱山に住む。

倭国は奈良県・大阪府ではなく、福岡県の宗像と山口県の下関にあった。
だから倭人の絵図はみすぼらしい。

新羅は白人だった!
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-8d-8a/aki_setura2003/folder/807233/41/29222541/img_0?1396038611

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黒嶋普門院観世縁起

2015/04/20 20:36

長州の場所は下関市吉母である。 吉は国の地である。
長州は神州である。 黒嶋は前方後円墳の原形となった蓬莱山である。

神の国、吉母。
戦時中黒嶋には人間魚雷基地があり、神功皇后の毘沙門天である。

「黒嶋普門院観世縁起」 という書き物が伝わる。
黒嶋は中国の江南、会稽東冶と関係するか?


デジタル大辞泉の解説
https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C%E5%AF%BA-152681
六波羅蜜寺
京都市東山区にある真言宗智山派の寺。 山号は、普陀山。
西国三十三所第17番札所。
応和3年(963) 空也が十一面観音を祭り開創、西光寺と称した。
第2世中信が六波羅蜜寺と改称。 のち、真言宗になった。
本堂は室町初期の再建で、平安・鎌倉時代の木像が多く残る。

  ↓
下関市吉母の西光寺と似る。

六波羅蜜寺 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C%E5%AF%BA
空也
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E4%B9%9F
西光寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%85%89%E5%AF%BA


黒嶋普門院観世縁起
  ↓
高野山 普門院
http://www.fumonin.or.jp/
普門院 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%96%80%E9%99%A2


仏教入門
「普陀山は観音様の住む聖地とされています。」
http://tobifudo.jp/newmon/seichi/5daisan.html
観世音菩薩
http://tobifudo.jp/butuzo/13butu/kanon.html

観世音菩薩
http://www.shengyen.org.tw/jp/op34.htm


中国 江南
普陀山 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%99%80%E5%B1%B1
普済寺
http://www.kagemarukun.fromc.jp/page006f.html

仏教の聖地 普陀山と天台山へ
http://www.tour.ne.jp/blog/sekaiisan/?pg=2&y=2014&m=07&d=
「 中国の四大仏教聖山の一つとされている 普陀山 と 天台宗の総本山 国清寺へ  普陀山へ上海やアモイなどからフライトがあります。 」


妙法蓮華經の辯才天
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html
所有無與儋耳朱崖同
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39053223.html

「儋耳・朱崖と同じ」 について
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/d77ca4e423e08b7d703beb177db3c108

翰苑の解読と分析  
http://www.eonet.ne.jp/~temb/8/kan_en.htm




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前方後円島  下関市 吉母 黒嶋

2015/04/03 08:59

蓬 莱 山 発 見 !

蓬莱  Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AC%E8%8E%B1
  ↓
中国の原始地理書に書かれた蓬莱山は下関市吉母の黒島である。
近頃、前方後円墳の形の起源として「前方後円墳 蓬莱山説」 が支持者はまだ少数であるが気鋭の有力説となっている。
岡本健一著 『蓬莱山と扶桑樹』 思文閣出版 2008年
P6  蓬莱山のかたち ― 前方後円墳の起源 ―
P10 壺のシンボリズム ― 神仙境 ―

P52 懐風藻  葛野王 「龍門山に遊ぶ」
安にか王喬が道を得て鶴を控きて蓬瀛に入らむ
  ↓
蓬莱山と瀛洲は同じ場所である。 「蓬瀛」 

P62 浦島太郎はどこへ
もう1人、蓬莱山へ渡った人物をあげよう。 神話の中の山幸彦は、ご存じのとおり、失った兄の釣り針を探して「海神の宮」 に潜ったが、最近の研究によると、これもやはり蓬莱山だという。

山幸彦と海幸彦 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B9%B8%E5%BD%A6%E3%81%A8%E6%B5%B7%E5%B9%B8%E5%BD%A6
浦島太郎 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E
  ↓
吉母は「鵜葺草葺不合命が生まれた地」 という伝説が伝わる。


前方後円墳=蓬莱山 が下関市に記紀神話の伝説を伴って海に浮かぶ。
記紀・万葉と各地の地方資料を読んで、私は “蓬莱山を発見した。”

考古学関係者にとって第一級のテーマ 「前方後円墳の形の起源」
は実物(下関市吉母の黒嶋) で解明されました。
原始古代の中国人が云う蓬莱山は吉母の黒嶋です。


人様のブログ写真をお借りします。
吉母海水浴場
http://blog.goo.ne.jp/hikochu38sotu/e/dd863af750fdd8c76d8a4ae2be773d94
  ↓
吉母の黒島は前方後円墳の形そのもの!

吉母海水浴場 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oFjQvh24SPw

下関市栽培漁業センター 吉母 字黒嶋
http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1103612824031/index_k.html
  ↓
黒嶋は海上に浮かぶ前方後円墳


吉母の伝説
応神天皇、鵜葺草葺不合命が生まれた地である。
神功皇后の三韓出兵は吉母の黒島から渡海した。
白村江の戦いの本陣は西光寺の裏にあった。 ― 永田石原の石川さん談
吉母の若宮神社は住吉神社の本宮だった。 ― 毘沙ノ鼻駐車場の吉母案内
  ↓
形が前方後円墳に似た山は全国に数多ある。
下関市吉母は記紀に関係した伝説があるのが特筆すべき点である。
吉母の黒嶋は前方後円墳の形、全くそのものである。


梁書 僧 慧深の証言
(扶桑国) 兵士はおらず、戦争をしない。
「兵士はおらず」 なので扶桑国には甲冑を付けた者はいない。
  ↓
山口大学 考古学の先生に対する私の反論
http://44051510.at.webry.info/201210/article_51.html
http://44051510.at.webry.info/201210/article_75.html


徐福研究
http://jofuku-net.com/modules/bxBBS/viewbbs.php?start=270&bbs_id=1
[131] 日本人が最初に見た漢字
さて、本日のテーマは「日本人が最初に見た漢字」 です。
本日、平成21年1月27日発行の毎日新聞朝刊(余禄) によると日本人が最初に見た漢字は弥生時代中期の土層から発掘された中国の古銭で西暦14年に鋳造されたものとしています。
これは徐福研究者としては見逃せない記事です。
紀元前に徐福が持ち込んだと考ええられる「半両銭」 が各地で発見されているからです。 「半両銭」 が秦の始皇帝の時代に鋳造され、流通していたことは中・日考古学者が認めているところです。 中でも熊野の波田須で発見された「半両銭」 は徐福東渡の科学的証拠になると期待されています。


  ↓
半両銭は下関市 武久浜墳墓群からも出土している。
熊野の波田須は秦氏と関係するか。
下関市 幡生(はたぶ) は秦氏にちなむ?
蓋弓帽の稗田地蔵堂遺跡がある稗田南町に地名「秦屋敷」 がある。
下関市 熊野町に「原の辻」 という壱岐の弥生遺跡と同じ地名がある。


東アジアの古代文化を考える会
http://homepage2.nifty.com/e-asia/
投稿される方に
http://homepage2.nifty.com/e-asia/riyo.htm
談話室
http://6247.teacup.com/toshifjjp/bbs/14307

古事記の馬
天の斑馬  角川ソフィア文庫 新版古事記 P42‐後ろから4行目
八千矛神の馬  同 P58‐後ろから2行目

下関の郷土史本 『川中風土記』 増補改訂 昭和45年
P5-4行目
潮待・神田の貝塚(縄文時代) から「馬骨でつくられた針」 が出土とある。


平家蟹  古墳のお部屋ブログ館
2号有蓋土壙墓 旧下関市内で初めて発見された竪穴石室
http://kofunoheya.blog.fc2.com/?q=%E6%9C%89%E8%93%8B%E5%8F%A4%E5%A2%B3

古代史シンポ  産経ニュース
http://www.sankei.com/region/news/140619/rgn1406190063-n1.html


大王 (おおきみ) 卑弥呼
http://www.koukohaku.shimonoseki.yamaguchi.jp/quiz.htm
“永遠の謎” と見られた邪馬台国の位置は下関市でした。

参考文献
『よみがえる 下関の歴史 T 〜吉母浜遺跡〜 』
発行 下関市立考古博物館  小田 富士雄 館長(当時)
平成9年度企画展




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邪馬壹国  「壹」 のなりたち

2015/03/19 15:05

邪馬
漢和辞典で「壹」 を調べると、
なりたち
意符「」 と、音符「」 (いっぱいの意) から成り、の中のがよくむれて、いっぱいになる意を表す。
借りて、「ひとつ」 の意に用いる。
教育漢字「壱」 は俗字による。
  ↓
壹 = 壺 + 吉 ・・・ 壺の中にが満ちている

「壺」 の熟語
壺中の天壺天
国語辞典 「壺中」(こちゅう)、漢和辞典 「壺」 に意味が載る。
酒と肴がたくさんある別天地、酒を飲んで俗世を忘れる快楽、仙境
蓬壺
蓬莱山の別名。 転じて、上皇の御所、仙洞。



弥呼、弥弓呼の「卑」 も酒、酒器を表す説あり。
http://44051510.at.webry.info/201310/article_27.html
http://44051510.at.webry.info/201304/article_38.html
  ↓
文庫書紀D298-6  持統紀 8年3月
醴泉、近江国の益須(やす) 郡の都賀(つが) 山に涌く。
  ↓
@考 小字「の原」  有冨古墳の横を流れる沢水が河だ。
近江国とは、小さな池でもあればそこが近江国と書かれる。

A考 琵琶湖に竹生島がある。 これが竹生観音に対応すると見れば、竹生観音は近江国である。 竹生観音に巌泉がある。
竹生観音の鰐口は近江国栗太郡 宝光寺にある。
栗太郡  Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E5%A4%AA%E9%83%A1
宝光寺 (滋賀県草津市) 白鳳時代の古刹
http://tempsera.at.webry.info/201102/article_14.html



『俾弥呼』  古田武彦 著 ミネルヴァ書房 2011年
P37
俾弥呼は「ヒミカ」 と訓み、「ヒ」 は日、「ミカ」 はである。
「太陽の神にささげる、や水の器」、それが「ヒミカ」 なのである。


酒を造る時に使う 甑(こしき)土器
甑が出土した遺跡
下関市石原サンヨーの下 (弥生時代)
長門市日置の長行黒川遺跡 (古墳時代の後半)
http://44051510.at.webry.info/201402/article_4.html




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邪馬台国 九州説の根拠

2015/03/19 09:17

邪馬台国 九州説の根拠
@ 旧唐書の記述
倭国と日本国を分けて書き、日本国の成立に疑いの目を向ける。
A 中国の薄葬令。 冊封の委奴国・倭国は中国の影響下にあった。
B 九州年号が伝わる。


中国の薄葬令
後漢 光武帝の薄葬令
http://44051510.at.webry.info/201211/article_24.html

Google で検索せよ
【 「倭国政権」が「魏」の配下の諸「侯王国」のひとつ 】


古田武彦  古代中国の薄葬令
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu8/tomasu.html
次に中国の薄葬令の影響が出てきた。 これは中国の薄葬令が出て来たのは『三国志』 の中にはっきり書いてある。 三世紀です。 これは魏の文帝から、すばらしい詔勅が出ています。
要するに 「今まで巨大な墓が造られてきた。 しかし、それはすべて荒らされて破壊されていないものはない。 だから、そういうものを造ることは政務を執るものとしては、まったくふさわしくない。 だから造ることを止めよう。」、まさに論理をもった堂々たる、みごとな詔勅です。
大半はどうでもよい詔勅ですが、ときどき論理をもった詔勅が出ています。

ですから話は飛びますが、この中国の詔勅ひとつ取っても、箸墓を卑弥呼(ひみか) の墓というのは無理なのです。
この東アジアの状況で、おまえは天子の命に何をたて突くのか。 薄葬令に盾を突いて巨大な墓を造ったという話になる。
ですから卑弥呼(ひみか)の墓は、二〇〜三〇メートルの墓です。

『倭人伝』 の「大作冢」 の「大いに」 と解釈すべきを、考古学者が「大きな」 と読み替えて使っているだけです。
元にかえって、中国の薄葬令は三世紀に出てその後何回も出ています。
それが、やっと六世紀になって影響が日本に出てきたというのは、書いてあれば、そうだと思うけれども、よく考えてみたらおかしい。 そんなに掛かるのかとなる。 訳がわからない。



倭の五王
倭の五王の名は大陸式の一文字
隋書俀国伝の王の名は多利思北孤と倭名
  ↓
倭の五王は倭国とは別の王朝
俀国もまた倭国とは別の王朝か
倭国、俀国、倭の五王の国 と3つ王朝があったか
  ↓
倭の五王
@考 関西の王朝すなわち「ヤマト王権」 と見る
A考 熊本県に王朝あり
『熊襲は列島を席巻していた』  内倉武久 著 ミネルヴァ書房 2013年
P273
熊本県 山鹿市の国会議員 松野 頼久 (維新の党 九州比例)
松野家は古くからこの地の豪族で、家系図である 「松野連倭王系図」 (国会図書館蔵、静嘉堂文庫蔵) には、先祖に倭の五王(済・珍・讃など)、熊襲の厚鹿文・市乾鹿文・取石鹿文などの名がある。
  ↓
倭の五王、熊襲は熊本県菊池川上流のクニだった。

竹斯国 俀国 阿蘇山
http://44051510.at.webry.info/201503/article_3.html

加多支鹵大王  カタケル
「獲」 の字を と読めるか??


九州年号
『中国正史の古代日本記録』  いき一郎 編訳 葦書房
P34
「続日本紀」 神亀元年10月条には「白鳳以来、朱雀以前」 とあり、九州年号は全面的に否定できない。  続日本紀A153-14
P102
タリシヒコは足、タリシホコならば足(帯)。 天日槍(矛)につながる。
原文はで比ではないと中華書局版の注。



古田史学の会 山口県内の九州年号
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin06/maeda01.html




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邪馬壱国の場所は下関市豊田町で決着

2015/03/16 02:24

全国の前方後円墳は下関市豊田町の華山(げさん) を模したものである。

講談社学術文庫 『倭国伝』
P95-5
南して邪馬壱国に至る。 女王の都する所なり。
〔投馬国より〕 水行すること10日、陸行すること1月なり。
  ↓
この場所は下関市豊田町である。

邪馬壱国の位置が明らかになる!
併せて、中国の原始地理書に書かれた蓬莱山は華山であることも判明!


邪馬国 ・・・ 一ノ瀬か。豊田氏の城山があった。

万葉集1264 西市



邪馬台国、または「女王が都する所」 は魏志倭人伝の行程論からは下関市豊田町であるが、酒造りの点からは下関市 有冨古墳あたりである。




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蓬莱山は華山である。 華山は豊田町稲光から眺めたら三段築が見られる。

2015/03/14 21:25

下関市豊田町の華山は大神山と呼ばれていた。
山頂付近に弥生時代の中型銅矛4振 があったと伝わる。
山頂には夜光る石が置かれていたが明治期に盗難にあったという。

豊田町日野・稲光・中村から華山を眺めたら前方後円墳の形をしており、
前方部に相当する所に「段」 がある。

弥生時代の環濠集落があった稲光から見て、
華山の山容はに似る。 華山の背中から尻にかけて3段である。
万葉集70 倭 吉野宮 乃中山

全国に前方後円墳に似た地形の山は五万とあるが、
前方後円墳にある「段築」 は華山の形を真似たものである。


Google 画像検索
【 華山 下関 】
【 華山 豊田 】
など

華山山頂の下に
下関市指定天然記念物 「華山のアセビ(馬酔木)群生林」 の説明看板がある。
その場所の小地名は「高原」 である。

田に小字「高原」(こうばら) がある。 漢和辞典で「庭」 の字の意味を調べると、宮中、政務をとる場所の意味がある。 高天原、高皇産霊尊の場所か。


山本川が流れる。 小字「山田」 もある。
yamamoto → 倭面土、邪馬台


図書館で「華山」 (げさん) を調べる
平凡社 日本歴史地名大系 山口県の地名
角川日本地名大辞典 山口県


豊田湖の安徳天皇陵墓参考地は上円下方墳であるが、丘陵は前方後円墳に似る。


稲光
小字「七社」 (ななやしろ)  弥生時代の環濠集落
小字「六田」 (むた)  万葉集11051723

日野に小字「初瀬」、長谷観音がある。


菊川町
下岡枝
小字「出雲」 天高市か 文庫書紀@138-末行
場所 セブンイレブンがある



稲光には弥生時代の環濠集落があり、華山は真西に位置する。
華山は稲光から見て三段築の山である。
  ↓
前方後円墳の段築は華山の形を元にしている。


参考文献
『蓬莱山と扶桑樹』 岡本健一 著 思文閣出版  2008年
に書かれた前方後円墳=蓬莱山 説




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タイトル 日 時
扶桑、蓬莱山等を探す
岩波文庫 『魏志倭人伝 他』 P28 夷洲、亶洲、珠崖、蓬莱、方丈、瀛洲 という言葉が出てくる。 邪馬台国の場所発見は中国の原始地理書に書かれた各地の神仙郷を発見することと一体不可分・同時である。 ...続きを見る

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2015/03/11 04:43
都貨邏人  飛鳥寺
吐火羅人の漂着 ...続きを見る

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2015/03/11 01:03
邪馬台国 下関市豊田町 説
下関市豊田町の華山には景行天皇・仲哀天皇の言い伝えがある。 華山(げさん) は元、「大神山」 おおかみやま と呼ばれていた。 華山は役小角が開いたとされる。 ...続きを見る

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2015/03/07 22:29
前方後円墳  私見
邪馬台国は蓬莱山がある場所にある。 蓬莱山は福岡県福津市 津屋崎の渡 とくに楯ア・御園である。 ...続きを見る

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2015/03/06 01:03
邪馬台国への道 私見
末盧国  候補地多数 (志賀島 〜 鐘ア) 伊都国  宗像市 田熊 ― 出雲国の場所、夷洲 奴国  宗像市 野坂 (光岡・久原を含む) 不弥国  鞍手町古門 ...続きを見る

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2015/02/28 02:43
宗像 沖ノ島  考古学
宗像市 沖ノ島の祭祀遺跡は百済の竹幕洞遺跡と似る。 宗像市域には百済系の遺跡物が多い。 ...続きを見る

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2015/02/14 03:49
彦島 小字
山口県風土誌 10巻  彦島村  P275 小字(13) 字地(42) ...続きを見る

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2014/10/24 18:19
他にいるか 調べました。
邪馬台国は関門海峡あたり とする見解をネットで検索して、他にいるか調べました。 ...続きを見る

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2014/10/03 18:24
邪馬台国 下関市
シュメール文字 ペトログラフ 北九州市 門司区   大里 藤松3丁目   奥田峠 淡島神社  下関市   彦島の杉田   彦島八幡宮   小月 笠山   角島 つのしま自然館 長門市   仙崎町小浜山頂  長門市史 P35 ...続きを見る

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2014/09/28 23:10
伊川 平山観音
小学館 風土記 新編日本古典文学全集 常陸国風土記 P365-8 此より以西に、高来の里あり。 古老の曰へらく、天地の権輿(はじめ)、草木言語ひし時に、天より降り来たまひし神、名は普都の大神と称す。 葦原の中つ国を巡り行でまし、山河の荒ぶる梗(かみ) の類を和し平けたまふ。 大神、化道(ことむけ) 已(すで) に畢(を) へたまひ、心に天に帰らむと存(おぼ) す。 即時(そのとき)、身に随(そ) へたまへる器仗(つはもの)、俗(くにひと)、伊川(いつ) 乃甲(かぶと)・戈(ほこ)・... ...続きを見る

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2014/09/28 23:05
銀鉱山
武烈紀に 「銀郷」 文庫書紀B154-4 とある。 古事記 銀(しろがね) の王 が出てくる。 ...続きを見る

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2014/08/29 18:40
小森江 風師山の洞窟 銀鉱
『 門司郷土叢書 』 3巻 小森江村志  昭和34年 横頁220 風師山麓の洞窟 小森江東小学校のすぐ上に、もと藤棚があった所の山際に洞窟がある。 ここより風師中学校の上を通って東方1町位にして風師川の上流になるが この附近には 洞窟がいくつもある 更に東1町も行けば 空の中約1町も進むか 湿気を帯びて辷り こうもりが飛んでくる 細くて深いのや人工で造られたものなどあり 今埋ったものなどもあるが 未だ調査はされていない ...続きを見る

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2014/08/21 21:43
「風師」 とは何か  古代史論叢
『 おもしろ地名 北九州事典 』 増補総集版  文理閣 1998年 2刷 P18 朝鮮史料の海東諸国記には「文字関」 と記載。 ...続きを見る

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2014/08/21 21:42
任那 地名「田舎」 牛   風土記 御魚家
風土記568下  御魚家 任那ハ サマサマノ魚物多キ国ニテ、毎度日本朝廷ヘ献ス。 故ニ、ミマナトハ呼ハ、ミハ御ノ字ノ心、マナハウヲノ事也。 任那ハ魚を献セシ事、摂津国風土記西生郡ノ篇ニ、其魚来レハ御魚家ト云テ、京ヘ送ル迄ノ間ヲ宿シタル地名ノ事也。    ↓ 「魚」 の字がつく地名は五島列島北端の新魚目町である。 ...続きを見る

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2014/04/19 16:17
弥五郎  小字
鹿児島県曽於市 岩川八幡神社などに伝わる弥五郎どんは、私見では倭建命(日本武尊、倭武天皇) である。 角川日本地名大辞典 各県巻 巻末小字一覧 を使って各地の小字「弥五郎」 所在地を調べた。 ...続きを見る

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2014/04/19 05:34
平城京に見られる板屋や草ぶきの家
聖武天皇 神亀元年11月8日  724年 講談社学術文庫 続日本紀 (上)  P265 岩波 続日本紀A157 今、平城京に見られる板屋や草ぶきの家は、大昔のなごりで、造るのに難しく、こわれ易くて、人民の財を無駄に費やすことになっています。 そこで五位以上の官人や、庶民のなかでも造営する力のある者には、瓦ぶきの家を建てさせ、赤や白の色を塗らせるように、有司に命ぜられるよう要望します。 この奏言を許可された。 ...続きを見る

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2014/03/11 06:55
講演会  武末純一  福岡大学 教授 
北九州市立 いのちのたび博物館  市制50周年 特別展 「 邪馬台国が見える! 古代日本の原風景 」 ...続きを見る

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2013/10/26 21:32
室津の光蓮寺 先祖は鎌足
光蓮寺の由緒覚は必読である。 ...続きを見る

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2013/10/26 00:22
字(あざ) に「町」 = 京
場所が山の奥地なのに小字に「町」 とある ...続きを見る

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2013/10/25 18:43
山口県風土誌
第9巻 厚狭郡 豊浦郡  下関市旧市内 室津 蓋井島 黒井 厚母 吉永 涌田  ...続きを見る

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2013/06/02 05:07
下関市 川中地区の神社
神祠  山口県風土誌 八幡宮  有冨 中村畔  祭神 応神天皇 天御中主神社  有冨上の山田(大年溜池)  祭神 天御中主神 ...続きを見る

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2013/06/02 05:05
考古学のサイト など
中国 羌人、秦人、徐福 と 吉野ヶ里 http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-11/09/content_228967.htm 倭人と倭人文化の謎 http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-10/28/content_159390.htm 倭人 ― 東夷 ― 徐国 ― 斉文化 ― 東渡文化 という線は、「倭人文化」 や徐福を考察する手がかりとなる ...続きを見る

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2013/06/02 05:03
扶桑日本の緯度
ネットの国土地理院 地図閲覧 「ウォッちず」 で測定した。 ...続きを見る

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2013/06/02 05:01
万葉集は必読
人名は地名に因む。 万葉集は地名情報が豊富なので必読である。 『 おうふう(株) 萬葉集 』 の漢字原文で研究する。 ...続きを見る

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2013/05/30 23:56
先代旧事本紀 祝詞
『 先代旧事本紀 訓註 』  大野七三 批評社 2001年 ...続きを見る

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2013/05/30 23:54
どの県の巻を読んでも、邪馬台国はこの県だ! と思えた
「 無職   毎日18時間 〜 19時間   寝る時間を惜しんで邪馬台国研究に没頭   散髪屋に行く時間もない   3年目に突入 」 ...続きを見る

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2013/05/30 13:42
私の 参考文献
邪馬台国に興味を持って最初にやることは、図書館で朝の開館時から閉館時まで、昔の絶版になった本を20冊くらい読むことです。 車で1時間半までの近隣市町村の図書館を6、7か所回ります。 合計で100冊以上の本を読むことになります。 一冊あたり20分から40分です。 必要箇所を大量コピーして帰ります。 最初の月にやることは図書館回りです。 70年代から80年代の邪馬台国本をたくさん読んでおきましょう。 ...続きを見る

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2013/05/30 12:24
私の 参考文献 2
講談社学術文庫  全現代語訳 続日本紀 (上)(中)(下) 日本後紀 (上)(中)(下) 続日本後紀 (上)(下) 倭国伝 ・・・・ 岩波文庫の 「魏志倭人伝 等」 は訳がおかしい箇所があるので、これは必需品 ...続きを見る

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2013/05/30 12:22
本日、買った本 1
本日、買った本 ...続きを見る

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2013/05/30 12:20
本日、買った本 2
本日、買った本 ...続きを見る

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2013/05/30 12:18
本日、買った本 3
2015/05/06 18:54 岩波書店 新日本古典文学大系  今昔物語集 一  天竺編 税込 4,968円 今昔物語集 二  震旦編 税込 4,536円 ...続きを見る

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2013/05/30 12:16
本日、買った本 4
2015/07/11 17:43 山口県史 通史編 原始・古代  平成20年 7,000円+諸経費=8,460円 ...続きを見る

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2013/05/30 12:14
本日、買った本 5
2015/09/11 18:42 新版 竹取物語 角川ソフィア文庫 室伏信助 訳注 平成13年 平成25年 12版 640円+税 ...続きを見る

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2013/05/30 12:12
本日、買った本 6
2016/02/14 19:21 万葉集 植物さんぽ図鑑 木下武司 著 世界文化社 2016年1月 1,600円+税  ネットで購入 ...続きを見る

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2013/05/30 12:10
本日、買った本 7
2016/03/04 19:08 岩波文庫 原文 万葉集 (上) 1140円+税 2015年9月 ...続きを見る

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2013/05/30 12:08
地図を購入
地図を買ってきた。 ...続きを見る

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2013/05/30 11:14
気力が続かない  ラインマーカー
10年前 岩波文庫の日本書紀は、講談社学術文庫の現代語訳日本書紀とニュートンプレス社の山田宗睦訳日本書紀を併せて読んでいたので、一通り読み通すのに2年半かかった。 神功紀の神託の部分まで来て気力が続かず飽きて止めた。3か月後また読み出して、聖徳太子の推古紀まで読んで飽きたので、また止めた。 また3か月後に読み出して持統紀までを読み終えた。 ...続きを見る

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2013/05/30 11:12
私の地方史料 読破歴
邪馬台国ブームは1975年当時、既に爆発的にあった。 70年代、80年代は地方史料を田舎町の図書館で調べるのは無理だった。 しかし今は角川日本地名大辞典と平凡社日本歴史地名大系の全巻がどの図書館にも置かれている。 たいていの古文書は活字にされて出版されている。 80年代に市町村史は出揃った。 ...続きを見る

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2013/05/30 11:00
最低40万円必要
邪馬台国発見に遣うお金は40万円くらい。 ゴルフ、草野球、磯釣り、楽器ではしょっぱな初心者むけの用具一式揃えるだけで15万円くらいかかる。 オーディオが趣味の人は100万円は遣っている。 邪馬台国探究の費用40万円は10年、20年の間に遣う額だから、負担は他の趣味やスポーツほどではない。 私の場合は資料代で、図書館のコピーと地図の購入に20万円遣った。 いや30万円くらい遣ったかもな。 ...続きを見る

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2013/05/30 06:40
吉母の御崎  邪馬台国の場所
邪馬台国は御崎、とくに「渕ヶ谷」、さらにもっと「丸瀬」 を越えた先にあった。 御崎の「御」 は御所を意味する。 ...続きを見る

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2013/05/22 22:33
馬関  室津馬牧
下関は馬関と呼ばれた。 朝鮮の馬韓との関連は今のところ見い出せない。 馬関と書かれて「馬」 がいた場所は、 ...続きを見る

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2013/05/20 08:05
出雲=筑前 説
出雲と筑前は同じ場所である。 ...続きを見る

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2013/05/19 17:07
東国は関西
神武東征の倭(やまと) は下関市だ。 大倭の場所は下関市豊田である。 ...続きを見る

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2013/04/23 04:26
古代関西の 朝鮮カルト
文庫書紀C222 (岩波文庫 日本書紀 四 P222) ...続きを見る

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2013/04/23 04:22
私の邪馬台国本選び
『 誤読だらけの邪馬台国 』  中国人が記紀と倭人伝を読めば ・・・ 張明澄  久保書店 1992年  ※ 邪馬台国 阿久根市・出水市説 ...続きを見る

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2013/04/21 15:38
下関市 考古
下関市立考古博物館 http://www.koukohaku.shimonoseki.yamaguchi.jp/ ...続きを見る

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2013/04/20 08:26
古墳時代の対外交流  オンドル
朝鮮新報 ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/06/0506j0211-00001.htm ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/06/0506j0218-00001.htm ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/06/1006j0831-00005.htm ...続きを見る

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2013/04/03 17:39
平城京  下関市 蒲生野山田・有冨上 
続日本紀 に書かれている都 聖武天皇 神亀元年11月8日  724年 講談社学術文庫 続日本紀 (上)  P265 岩波書店 新 日本古典文学大系 続日本紀  二巻 P157 ...続きを見る

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2013/03/22 12:13
住吉神社 下関  大田命
倭姫命世記 訳 サイト様 http://nire.main.jp/rouman/sinwa/yamatohime.htm ...続きを見る

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2013/03/19 07:12
日本史「混乱の極み」 と「平成の吉田松陰」 宣言
歴史認識 混乱の極み 日本史は淡海の記述で混乱している。 万葉集では淡海国は岩だらけで鯨が泳ぐ海である。 ...続きを見る

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2013/03/18 22:35
「戸」 と 「家」  魏志倭人伝
狗邪韓国  記述なし 対馬国  千余戸  一大国  三千余家 末盧国  四千余戸 伊都国  千余戸 奴国  二万余戸 不弥国  千余家 投馬国  五万余戸 邪馬台国  七万余戸 ...続きを見る

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2013/03/08 18:24
高円の 野の上の宮は 荒れにけり  万葉集4506
当記事の作成日時 2013/05/03 12:58 ...続きを見る

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2013/03/03 12:58
日野神社の宮守をしてきた石川家
下関市 バス停「永田石原」 の近くに、かつて日野神社があった。 この神社は妙寺の日野殿伝説にちなむ。 日野神社の宮守を先祖代々やってきたのが近くの石川家で、御堂遺跡の土地所有者である。 御堂遺跡から縄文時代の木棺墓とガラス玉が出土している。 御堂遺跡近くの道路沿いで土器が大量に出た場所があり、そこの土地所有者も石川家である。 ...続きを見る

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2013/02/20 06:07
狗邪韓国は 常世国
万葉集1740  水江浦島子 海界過ぎて、常代に至り、海若の神の宮に着く ...続きを見る

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2013/01/23 04:20
講談社学術文庫 続日本後紀(下)  改変
地名、人名、神社名の改変 ...続きを見る

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2012/12/30 13:40
講談社学術文庫 続日本後紀(上)  改変
地名、人名、神社名の改変 ...続きを見る

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2012/12/30 11:32
志免町 小字 (一部)
糟屋郡 香椎  住吉 早田 芹田 長谷 蟻道 蟹ヶ浦 柿ヶ本 不動ヶ浦 嵯峨原 浜男  笹原 三シマ 長崎 唐ノ原  引田 稲葉 大石ヶ浦 多田羅  卜山 天久 松崎  日高田  箱ア  田子 世々王(ぜぜおう) 北海門戸 南海門戸 高麗町 阿多田 御手洗  高原 早苗田 別府  亀山 鏡 松ヶ浦 笹ヶ浦 高ェ 南里  イカツチ 貝原 カルイ 大府 志免 松浦 石井手 鳥町 片峰 薄(すすき)町 方ヶ島 古屋敷 大的 川原 吉原  恵羅  植木  大黒 松浦 筒口 ヒ... ...続きを見る

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2012/10/30 22:33
邪馬台国  岡田英弘
『 日本史の誕生 』  岡田英弘著  弓立社  2001年 第5刷 ...続きを見る

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2012/10/28 01:11
田中晋作  「帯金式甲冑の研究」 を逆転させた私見 2
田中晋作氏は山口大学に新任された考古学の先生である。 大阪府堺市の百舌鳥古墳群がエジプトのピラミッドを越える建造物であることを最重視する。 その付近で定形の甲冑が大量に生産され、その流通から古墳時代中期における古代国家形成の動静を分析する理論を立てられた。 ...続きを見る

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2012/10/25 13:07
貴仙城 農田
角川の地名辞典 山口県巻  巻末小字一覧 下関市 P1290左 山田 に「貴仙城」「農田」 がある。 ...続きを見る

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2012/10/19 22:09
三輪山  石上振山
@考 古事記の引田部の赤猪子は綾羅木の引田である。   長谷(はせ) は深坂である。   吉野は小野。 吉野宮は一之瀬にあった。 美和河は   有冨の方角の字「大源」 の溜池から流れる用水路   沼田池・長尾池から流れる川 のいずれかだ。 ...続きを見る

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2012/10/18 12:35
防府市  出雲 2
出雲 = 淡海国  楽浪の志賀の唐ア は防府市 万葉集33 から、淡海国は国つ神の浦だから出雲である。 山口市 下小鯖に小字「相(あい)ノ坂」 がある。 佐波川の河口、防府市と秋穂町の間は大海湾で音が淡海に似る。 ...続きを見る

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2012/10/17 08:10
防府市  出雲 1
小野田市の本山 (竜王山) に、大国主神と少彦名命が中国から帰る時に、ここの沖を船で通ったという言い伝えがある。 出雲は瀬戸内沿岸にある。 ...続きを見る

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2012/10/17 08:07
田中晋作  「帯金式甲冑の研究」 を逆転させた私見 1
田中晋作氏は山口大学の考古学の先生である。 その論は Google で検索してください 【 5世紀のヤマト政権下における武器と軍事制度 】 ...続きを見る

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2012/10/15 20:34
綾羅木川 メモ
伊倉遺跡 伊倉遺跡で確認された土坑や住居跡は中期を主体とするものであり、大型土坑群は中期前半のものとされ、なかには口径3.11メートル、深さ2.95メートルの巨大な重層式の複式土坑も発見されている。 この袋状の土坑は中期末をもって姿を消していることから、このころ貯蔵設備は木造の高床式倉庫へと移行していったものと考えられる。 ...続きを見る

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2012/10/04 23:26
石川少郎
万葉集278  石川少郎 然之海人 軍布苅塩焼 無暇 髪梳乃小櫛 取毛不見久 右今案 石川朝臣君子号曰 少郎子 也 ...続きを見る

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2012/10/01 12:51
本州の最西端  毘沙ノ鼻から 邪馬台国が見える
万葉集原文では「西」 の字が変わった使い方がされている。 ...続きを見る

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2012/09/29 02:41
永田郷村  日野殿伝説   
山口県風土誌 ...続きを見る

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2012/09/28 09:21
毘沙ノ鼻 駐車場 解説看板  3
恵比須神社 事代主命が祭神で漁労の神として祭られている。 現在も恵比須祭りとして毎年5月に盛大な神事が行われている。 元は黒嶋の南に在ったものを現在地に移築した。 ...続きを見る

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2012/09/27 21:17
毘沙ノ鼻 駐車場 解説看板  2
若宮神社 (若宮大明神) 神功皇后、応神天皇(神功皇后の皇子)、仁徳天皇(応神天皇の末子)、その他多くの神を祭る格式の高い神社。 一の宮の住吉神社の本宮であり、住吉神社の神事の中でも、ここ若宮神社への祭事は最大、最も重要な仕事であったと、神社史に明記されている。 過去3度も火事で焼失して宝物子古文書等一切残ってないが、唯一銅製の鰐口と吊鐘が現存している。 「本宮」 なので、下関の住吉神社が元あった場所が吉母の若宮神社である。 つまり、   本宮の住吉神社 ・・・・ 吉母の若宮神社... ...続きを見る

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2012/09/27 20:39
毘沙ノ鼻 駐車場 解説看板  1
駐車場の看板 「自然と伝説の里」 吉母マップ から ...続きを見る

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2012/09/27 20:16
難読地名
神上  こうね  豊田 明見  あから  杢路子 神宮ア  しぐざき  阿川  音がシガ ...続きを見る

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2012/09/26 21:05
古田史学 多元的歴史認識
古田武彦氏は古代の日本列島では複数の王朝が存在していたと説く。 私見では 九州内の朝鮮系・中国系のクニ は長門下関の倭国に朝貢していた。 ...続きを見る

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2012/09/22 14:28
鐘ア 上八  小字
明治一五年字小名調(宗像) 鐘ア 黒ア 灘 浜口 廻原(めぐりはら) 鳶ノ尾 深浜 岬 京泊 祓川 前田 線香 一本松 上ノ浜 新町 千代川 葛原 町裏 町 浜 ...続きを見る

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2012/09/19 12:30
東方の神仙の国
倭国は「東方の神仙の国」 です。 倭国には考古学でいう「国邑」 だの「王墓」 だのはありません。 倭国の都は雪舟の絵のような仙人が住む景色です。 人は少ない。 人口が多いとゴミがでて土地が汚れる、と考えています。 ...続きを見る

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2012/09/18 19:02
収穫した穀物の貯蔵の仕方の違い
当ブログ 2010年10月2日 から転載 ...続きを見る

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2012/09/18 07:25
高麗国  九州南部
『 福岡県の地名 』  平凡社の地名辞典  P431中 ...続きを見る

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2012/09/17 15:44
自論 持論史話
魏志倭人伝を里程論で分析すれば、邪馬台国は九州の南方海上になる。 縄文時代に鹿児島のカルデラが大爆発したために、「扶桑の太陽」 の場所にある邪馬台国は九州の南にあると思われた。 ...続きを見る

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2012/09/15 10:49
来ル目木
「来ル目木」 は下関市 菊川町 久野 にある。 これが日本書紀の来目邑だ。 ...続きを見る

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2012/09/14 20:58
入れ墨
顔の入れ墨 魏志倭人伝 岩波文庫 P45 男子は大小となく、皆黥面文身す 考古学 黥面文身 綾羅木郷遺跡の人面土製品 古事記 神武記  大久米命の黥(さ) ける利目(とめ) ・・・・ 目じりの入れ墨 安康記  山代の猪甘 「面黥ける老人」   山代の苅羽井 ...続きを見る

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2012/09/12 00:16
桙  西蕃の韓
木ヘンの「桙」 の字 ...続きを見る

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2012/09/05 09:02
小字 日本  緯度
中国の古代首都 西安  北緯34度16分  ...続きを見る

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2012/09/03 12:15
2ちゃんねる 
781 :日本@名無史さん:2013/05/10(金) 22:40:25.03 邪…ヤとエの中間音(yae) 馬…マ 台…ティ、またはタィ ...続きを見る

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2012/04/09 01:34
神功皇后大明神  防長寺社由来
下関市豊北町神田・神玉 一ノ宮 住吉八幡宮  根崎にある。 神田別府八幡宮とも称した。 二ノ宮 神功皇后大明神  土井ヶ浜遺跡近くにある。 ...続きを見る

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2012/03/24 18:47
文系宣言
考古学では弥生・古墳時代の遺跡の量と質 及び 人口密度の観点から邪馬台国畿内説で決まりである。 ...続きを見る

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2012/03/05 07:25
山・川の異称
宗像市の孔大寺山 ・・・・ 岡垣町側では葛城山、大山 と呼ぶ。 岡垣町の汐入川 ・・・・ 石川 ...続きを見る

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2012/03/01 08:31
邪 馬 台 国 の 場 所 決 定
邪馬台国 及び 山海経の君子国は北九州市八幡 にあった !!!! ...続きを見る

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2012/02/10 05:18
小字 「日本」 の場所
福岡市 南区 屋形原  日ノ本 博多区 板付 日ノ本 西区 石丸  日ノ本 ...続きを見る

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2012/02/05 11:02
草壁連醜経 の 「醜」
「醜」 の字は何を表すか ...続きを見る

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2011/12/31 07:47
長門  索引
吉川弘文館の「日本書紀索引」 による。 岩波文庫 日本書紀 のページ ...続きを見る

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2011/12/30 05:59
穴門  索引
吉川弘文館の「日本書紀索引」 による。 岩波文庫 日本書紀 のページ ...続きを見る

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2011/12/30 05:38
年代軽視 で考察していく
考古学では年代は最も重要なことであり、考古学関係者と話すと「いつ頃のことか」 に尽きる。考古学の論争では、測定上の20年・30年のちがいが問題にされる。 ...続きを見る

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2011/12/28 06:45
考古学  文学博士
考古学 考古学では邪馬台国だの高天原だのは巨大権力の物証になる佐賀県 吉野ヶ里遺跡クラスの遺跡や宝物なければ口に出すことができない。 ...続きを見る

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2011/12/13 02:49
ブログ名を 再び戻しました
ブログ名を再び 邪馬台国 下関 に戻しました。 ...続きを見る

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2011/11/12 12:05
三恵寺の 権現の森
川棚江良の三恵寺に目を向けてみよう。 三恵寺の奥ノ院、怡雲(いうん)和尚の霊廟・六地蔵を前に見て、右手の急な坂道を上ると、開けた一画が目に入る。 ここに白山権現が祀られている。 蟹問答で有名な蟹ヶ池の所に「国見台生活環境保全林案内図」 があるので、分かりやすい。 この辺りを「権現の森」 という。 ...続きを見る

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2011/11/11 07:53
ブログ名を変えました
ブログ名を 邪馬台国は 下関市 内日上 音無の 不動明王 に変えました。 ...続きを見る

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2011/11/11 01:13
難波 は 川棚か、梶栗
卑弥呼の邪馬台国は内日上にあった。 ...続きを見る

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2011/11/09 22:19
ブログ名を戻しました
ブログ名を 邪馬台国 下関 に戻しました。 ...続きを見る

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2011/11/09 02:25
邪馬台国は竹生観音の下にあった
万葉集3325 角障経 石村山丹 白栲 懸有雲者 皇可聞 ...続きを見る

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2011/11/07 02:36
ブログ名を変更しました
ブログ名を 邪馬台国は下関市の有冨・蒲生野 に変更しました。 ...続きを見る

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2011/11/07 01:59
日本武尊 農耕指導地
黒井村郷土史の中に谷ヶ浜紺屋善助文書(やつがはま こんやぜんすけ) なるものが発見され、その中に「日本武尊 農耕指導地」 なる一文がある。 ヤマトタケルの命の穴戸の神の説伏に関連するものとして紹介する。 ...続きを見る

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2011/11/03 12:26
検討中 メモ
検討中 ...続きを見る

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2011/11/02 22:29
隋書の 赤土国  迦邏舎国
岩波文庫 魏志倭人伝 他  解説 ...続きを見る

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2011/11/01 03:14
竜王山  鋤先山
竜王山 は安岡・吉見・内日の村境に聳え、 西の尾根は竜王神社の上宮にして、 南の尾根は影山に至る、 又中の尾根は福江・舟越の境をなして、 標高614メートルの山である。 ...続きを見る

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2011/10/30 17:10
福江与三左ヱ門 伝説
福江与三ヱ衛門    やすおか史誌  P795 ...続きを見る

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2011/10/26 22:45
吉見  神明川
山口県風土誌(九) ...続きを見る

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2011/10/26 19:36
アメリカ流 の 戦略地政学 から
日本が太平洋戦争でアメリカに負けた原因は戦略思考の欠落にあった。 旧日本軍参謀たちは 「陸軍の伝統」 「海軍の伝統」 を言うだけだった。 ...続きを見る

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2011/10/18 00:04
防衛省 ・ 自衛隊 の 歴史認識
防 衛 省 ・ 自 衛 隊 と 邪 馬 台 国 論 争 防 衛 大 学 校 が 考 え る 邪 馬 台 国 の 位 置 ...続きを見る

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2011/10/18 00:03
防衛省 ・ 自衛隊
陸上自衛隊の教官または防衛大学の教授が 「原始古代の邪馬台国はどこか」 考えたら、ご専門の軍事地政学から下関市の、 武久川 綾羅木川 川棚の石畑峠 が最高度に枢要な場所とすぐわかる。 ※ 地勢は 国土地理院の地図閲覧サイト で 2万5千分の1の地図 がわかりやすい。 ...続きを見る

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2011/10/14 22:29
大城山
遺跡ウォーカー で下関市の遺跡を調べ、 王 城 山 城 跡 伊崎字小門  中世細分不明  を発見 !!!! ...続きを見る

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2011/10/14 18:28
住吉神社  杉森神
長門国一ノ宮住吉神社史料 〈上巻〉   昭和50年  P106下 ...続きを見る

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2011/10/13 23:25
ブログ名 変更のお知らせ
ブログ名を 万葉集 と 邪馬台国九州説 から 邪馬台国 下関 に変更しました。 ...続きを見る

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2011/10/08 11:02
万葉集20  紫野 は 安岡の村アノ鼻
出雲 ・ 淡海は下関の安岡 ...続きを見る

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2011/10/05 17:36
乳母屋社伝記
作成日時 : 2010/07/25 13:05 より転載 ...続きを見る

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2011/10/04 12:09
千石岩 1
豊浦郡郷土誌  龍王山  P655 ...続きを見る

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2011/10/04 12:07
龍王山  下関吉見
龍王山 ...続きを見る

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2011/10/01 10:38
龍城国  脱解
竜城国 (龍城国) の「竜」は下関市吉見の竜王山 (614メートル) である。 往古、吉見古宿の大久保に大綿津見神社があった。 大綿津見社下宮を浜宮さんといい、この浜で汐を汲み、身を清めて参詣した。 ...続きを見る

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2011/10/01 02:39
元の使者が来た室津
豊浦郡郷土誌  P658 ...続きを見る

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2011/10/01 00:11
川棚 は 大日本の首都だった
推古天皇は 額田部皇女 といい、都は 豊浦宮 だった。 ...続きを見る

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2011/09/30 18:52
旧 市町村名
2005年前後に 「平成の市町村合併」 が行われました。 ...続きを見る

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2011/05/14 23:30
年表 倭の朝鮮侵攻
300年  国内人口約350万人 313  この頃から高塚が築かれはじめる。 中国から鏡が輸入され、また各地の埴輪が作られる。 ...続きを見る

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2011/04/14 22:27
年表
舒明天皇 628    日蝕、記録に初見(3月2日) 630 8  犬上御田鍬を唐に派遣(遣唐使の初め) 631 3  百済王子豊璋、人質として来日 632 10 犬上御田鍬、唐使高表仁を伴い帰国。僧旻らも帰国 ...続きを見る

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2011/04/02 12:10
マトメ
末盧国   松浦市 不老山  ― 徐福伝説 伊都国(=高天原)   佐世保市 下本山  ― 付近に洞窟が多い ...続きを見る

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2011/02/20 03:51
旁国  21か国
伊都国 ⇒ 唐津の浜玉町五反田 ...続きを見る

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2011/02/04 02:32
邪馬台国への道
末盧国  4,000余戸 東南へ500里 伊都国  1,000余戸 東南へ100里 奴国    20,000余戸もある 東へ100里 不弥国  1,000余の家 ...続きを見る

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2011/02/03 12:34
魏志倭人伝の倭人名
魏志倭人伝では朝鮮半島南端の狗邪韓国まで倭国領(倭人の居留地)である。 ...続きを見る

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2011/02/03 12:27
B I G L O B E のブログ
大事な時にブログが故障する。 ...続きを見る

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2011/01/30 03:33
ブログ名の変更を考慮中
ブログ名を ...続きを見る

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2011/01/17 01:11
弥生中期の万葉集
角川ソフィア文庫 『古事記』 (新版 平成21年9月 発行) P56 に八千矛神の歌物語が載る。 ...続きを見る

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2011/01/03 21:29
画面の拡大・縮小 で読みやすく
私は画面を拡大して当パソコンを使ってます。 ...続きを見る

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2010/12/31 22:56
祖州
『 「邪馬台国」 徹底論争・第2巻 』   新泉社 1992年 P200 より  中小路 駿逸 ...続きを見る

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2010/08/10 22:15
吉見の乳母屋社伝記
下関市吉見にある古い神社の乳母屋社伝記 『防長寺社由来』 第七巻 P657より ...続きを見る

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2010/07/25 13:05
地名による考察
地名は文献史学では中世または和名抄(10世紀前半)の頃までしか遡れない。 地名で邪馬台国九州説や九州倭国説を説く(解明する)ことが可能なら、地名は弥生時代に漢字を伴って既にあったことになる。記紀万葉の神代の話や歌は弥生時代中期であり、原始時代から九州の倭の地には「知識人」がいて漢字を伴う地名が広く定着してた、という見方・認識が持てる。 記紀万葉は平安時代に編集されたといわれることもあるが、編集者は学者として九州から運ばれてきた原本を尊重している。 ...続きを見る

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2010/06/16 08:52
古田武彦氏の邪馬台国論の特長
古田武彦氏の邪馬台国論(古田史学)と論敵安本美典氏他の邪馬台国論者とのちがいは、古田史学では九州の邪馬台国が白村江の戦いの敗戦まで、あるいは西暦700年を過ぎた歴史時代に入っても存在し、西暦700年ぐらいまで日本列島の中心的支配者だったと主張する点である。 そして古事記、日本書紀、万葉集は大和朝廷の書ではなくて九州倭国の書であり、それを大和朝廷が丸ごとドロボーしたとみている。 ...続きを見る

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2010/06/10 12:49
古事記  角川と岩波
角川ソフィア文庫の古事記と岩波文庫の古事記は漢字が異なる箇所がある。 ...続きを見る

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2010/06/07 19:57
邪馬台国問題とは何か
邪馬台国は西暦220〜280年頃(弥生時代後期〜古墳時代初期)にあった国とだけみるなら、大分県宇佐市でも四国でも新潟でもどこでもよい。しかし私を含めて古田武彦氏の支持者などは邪馬台国は白村江の戦い(663年)の敗戦まで、あるいは700年前後まで続いて日本列島の中心的支配者だったと考えているので、日本歴史のおおごと問題である。 ...続きを見る

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2010/06/02 22:27
記紀万葉を読む
記紀万葉は鹿児島の隼人の書である。 ...続きを見る

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2010/05/21 17:54
当ブログの注意書き
当ブログは万葉集を読んでいる古代史愛好家を対象としています。 ...続きを見る

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2010/04/28 04:18

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