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みんなの「北九州市」ブログ


小森江の古野さん 筑紫君

2017/02/17 04:00

筑紫君 門司の小森江西説
小森江西校区 ・・・ 略して「小西」 と称されている

『ふるさと 小森江 にしひがし』 1976年  自費出版の郷土史本 
小森江村の庄屋
羽山1丁目 古野文子さんの家 ― 周辺に古野一族の家
古野家の歴史は神武天皇まで遡る。
古野家は古くは富留野といっていた。

門司区小森江西の古野という庄屋は「神武天皇まで遡る」 家伝が興味深い。
筑紫の高千穂宮か。 門司区小森江西の古野(旧 富留野) さんと下関市有冨の中村さんは遠い遠い親戚だ。

古野宅の回りが小森江村の中心地であり、川端さん、植前さん、黒田さん、奈須野さんなどが小森江村有力者の地主たちである。 井戸を持つ家が有力者だった。

下関市有冨 字「中村畔」 から北九州市門司区小森江西小学校は真南である。
西ではなく南の方角だから「竺紫君 石井」 ではない。
でも郷土本から小森江は井戸が特別重視された地だった。

羽山1丁目-番地 の小字は「火の山」 ・・・ 「火」 は方位の南
風師山、外記殿山を「鳥の山」 ともいう。


下関市有冨 字「中村畔」 から門司の小森江西小学校は真南に位置する。




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呼野金山 北九州市小倉南区

2017/02/13 05:05

北九州市小倉南区 呼野金山
『福岡県の地名』 日本歴史地名大系 41 平凡社 2004年
P1245中 呼野村
大山祇神社が鎮座。 和銅年間(708−715) 銅鉱採掘のとき鉱山の守護神として創立されたという。 天平年間(729−749) 宇佐宮の神鏡鋳造のため銅を採掘したと伝える。

銀鉱山
http://44051510.at.webry.info/201408/article_17.html



きたきゅう発掘! 『考古学ノート』 1200円
(財)北九州市芸術文化振興財団 埋蔵文化財調査室 2012年11月
P114
「弥生人は中国大陸のトレンドがわかっていたか?」
P118
「北九州市内の終末期古墳」


宗像市の東部、上八(こうじょう) に金鉱があった。 鐘ア貝塚が近い。
宗像の金鉱
宗像は黄金のまち
ttp://d-munahaku.com/news/dtl.jsp?kid=91759&cgid=1001%5D%5B1002
上八(こうじょう) 金山
ttp://www.city.munakata.lg.jp/shigai/chiikisyokai-10.html
平信盛墓所 と 宗像金山
ttp://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65585837.html


山の名が仙境を意味する  仙人が住む山、仙人暮らしの山
東ヵ嶽 「東嶽」 は泰山 下関市有冨 竹生山の東峰 無残にも砕石場となった。
風師山 北九州市門司区

万葉集1 漢字原文に「師」 の字があるので、門司の風
万葉集2 「山常」 と「常」 があるので、下関市有冨のハンドウ山。 「取與呂布」 の場所は大迫池の上、有冨墓地の東側の尾根で、ここが鳥見山である。 真朱が出るのか?

『古代物部氏と先代旧事本紀の謎』 安本美典 著 勉誠出版 平成21年
P146  饒速日の尊の天下り
河内の国の河上の哮峰
大倭の国の鳥見の白庭山(または 山)
  ↓
鳥見山は白い山と表現されている。
鳥見山の条件は白い土、白い岩(石灰岩、石英など) がある所である。

下関市有冨 字「中村畔」 は天子南面・天心十道の倭京であり、真南に門司の風師山、小森江西小学校がくる。


小森江  門司区
小森江 小字名の聞書 
http://44051510.at.webry.info/201409/article_14.html

『小森江村志』 によれば、山の高い所に自然または人が掘った洞窟がたくさんあるという。

『門司郷土叢書 第8集』 海峡叢談
P99下 産の子松
応神天皇が誕生した場所と伝えられる。
蚊田は小森江の片上(潟上) か。
場所は神戸製鋼の敷地内なので、大字片上ではない。

『 北九州市史 総論  先史・原史 』  昭和60年12月
P751
丸山古墳  門司区小森江2丁目 (字丸山)
大正5年(1916) 九州鉄道拡張工事の際、古墳が破壊されて五獣鏡 1 ・ 鉄刀 3 が発見された。 鏡は東京国立博物館に保有されている。
墳頂1.2メートルの土中から検出され、石材などはなかったと伝えられるので、土壙墓か粘土槨のような構造であろうかと考えられる。
国鉄門司駅から線路沿いに2キロメートルたらず北上したあたりと思われるが、現在は工場内となり痕跡すらとどめていない。

五獣鏡は表面緑青色を呈し、平縁をなす外周の3分の2 は欠損しているが、復元18.2センチメートルとなる。
内区模様は円座乳で5区に分けられ、各区にS字状の半肉彫長胴とその左上に獣首を付した5つの同形獣を配している。
細線式の手法を加えた鼉龍鏡(だりゅうきょう) の変形とみられる点は珍しい。 鋸歯(きょし)文を加えた隆圏帯で内外区が区分され、その両側に櫛歯文帯と、さらに外区には整った菱雲文帯がめぐらされている。

この種の獣形鏡では、まださして変形していない優れた部類の作品である。
この鏡から推して5世紀代の古墳であろうと考えられ、ほとんど現存しない門司区の古墳時代遺跡のなかで、注目すべき資料である。

《 参考文献 》  1924−1
          1976−1

※ 出土した漢式鏡の鮮明な白黒写真が掲載されている。
獣形鏡(五獣鏡) なので、渦巻く雲のように見えるのは抽象的な獣である。

学芸員 宇野愼敏 談
小森江 丸山古墳から出土した漢式鏡は後漢すなわち卑弥呼の時代に中国で作られた舶載鏡である。
この種の鏡は5世紀代の古墳から出土するため、小森江 丸山古墳も5世紀の古墳と推定される。 つまり伝世鏡である。 奈良県のヤマト政権が後漢時代に作られたこの種の鏡を複数枚保有して、それを5世紀なって各地の豪族に配布したと解されている。


万葉集1 は北九州市門司区 小森江の風師山である!
門司の丸山古墳から出土した鏡に大注目したのは私が最初だ。

万葉集249 隠江(こもりえ)
三津埼
文庫書紀@130-9
吾が児事代主、射鳥遨遊して、三津の埼に在り。
出雲国の三穂の碕、出雲の御大の御前 ・・・ 丸山古墳あたりか

万葉集429
門司の山津波で溺死した出雲娘子を吉野山に葬る。 出雲と吉野は場所が近い。
吉野山は門司の風師山だ。

下関市有冨 字「中村畔」 の真南の方角 ピンポイントで門司の風師山、小森江西小学校(大量の銅滓が散らばっていた場所) がくる。
真南の "こだわり" が見られる。 方位方角のこだわりが凄い。




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城野石棺の被葬者 香坂王・忍熊王 説

2017/02/12 06:51

『おもしろ地名 北九州事典』 増補総集版 
小倉北区 富野 P95
魚池・鳥池を作ったのが魚野鳥野で、鳥野がなまって鳶野、富野になったという説。

小倉北区 富野を熊鰐の地とする説があるようだ。


『福岡県の地名』 平凡社 日本歴史地名大系
P1234中 
萩ア村 (萩ア町、明和町、三萩野 1丁目) は博士(陰陽師)、占者が住んでいたので八卦アと称していたのが転訛したものという。
現在も陰陽師の子孫が住む。


萩ア町三萩野は易者の地、卜占の地だった。
  ↓
事代主命
神吾田鹿葦津姫
熊鰐 大倉主・菟夫羅媛 伊賀彦
裂田溝 の河 「儺」 は追儺・鬼遣らい。 橘の小門の禊ぎ
麛坂王・忍熊王 祈狩 仮庪 赤猪  文庫書紀A158-9
務古水門
などの占い場所はみな同じで、萩ア町である。 
仮庪 八岐大蛇
赤猪 大国主 古事記

吉備 和気清麻呂 安部山 温泉

播磨の赤石 赤坂  文庫書紀A158-6
淡路島の石 彦島の南端、彦島塩浜町4丁目の砕石場

万葉集から播磨国は下関市長府ではなく門司のようだ。


小倉北区 萩崎町 綿津美神社
ttp://blog.goo.ne.jp/noyamany/e/4d2c3dfadf8eccb77ed0064da2391f97
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/fukuoka-kitakyushu.htm
  ↓
八大龍王は八俣大蛇を連想させる。
私は萩ア町の綿津美神社を「山海経 海外東経」 の朝陽の谷に比定する。
集英社 全釈漢文大系 33 『山海経・列仙伝』 1975年
P430
朝陽の谷、神を天呉と曰ふ。 是れ水伯為り。 虫虫の北、両水の間に在り。 其の獣為るや、八首人面、八足八尾、皆青黄なり。〔大荒東経に云ふ、十尾なりと〕。


下関市 竹生山の山頂−竹生寺−稗田地蔵堂遺跡−小倉城(下屋敷遺跡)
が直線上に並ぶ。

小倉城は大宰府(遠の朝廷) で橿日も小倉城。 豊前国は宇佐町
(根拠) 万葉集959

香椎廟 ― 「廟」 は中国系 徐福祠か。


筑紫 ― 難波 の距離
http://44051510.at.webry.info/201104/article_5.html
  ↓
筑紫と難波は距離が近い。 難波は門司駅、下関の唐戸あたりか。

難波
門司港の 浪花町 ・・・ 筆立山の山麓 〜 老松公園北門に通じる通り
明治32年〜昭和42年

文庫書紀B96-2
難波の来目邑の大井戸の田十町
  ↓
井戸町
明治22年〜昭和42年
旧門司1、2丁目


文庫書紀B58-7 雄略紀
紀岡前来目連  ※ 紀=城(き)=木
文庫書紀B94-8 清寧紀
城丘前来目
 ↓
甲宗八幡神社
樹神社
祭神  句句能智 (句句廼馳、久久能智) 木の神
所在 甲宗社々峯


山口県風土誌(九)  P102
方角抄に、赤間関彼浦を硯海と云ふと見ゆ

仁徳紀 文庫書紀A250-11 歌謡
難波人 鈴船取らせ 腰煩み その船取らせ 大御船取れ

ここの長門関津にも鈴船の繁く往来せし故に、其海畔を鈴振浦と云ひ、其海を鈴振海と云ひけんが、終には布字を省きて須孺理 (すずり) の海と云ひ、硯字を借りたるなり。


胸方神 雄略紀 文庫書紀B54‐10
膳臣
小倉南区 長野角屋敷遺跡から物部今継・膳臣澄信と書かれた木簡が出土

壇所 壇之浦
香賜 舸拕夫 − 関門海峡の梶取り人
三嶋郡の藍原 長府の字「三島」
※「三島」 を地名でなく島とみれば六連島・蓋井島など。

雄略天皇の吉野宮は小倉南区徳吉、長野か?




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城野石棺を読み解く

2017/02/08 04:58

重留銅矛 記紀神話と照合
文庫書紀@120-5
乃ち国平けし時に杖けりし広矛を以て、二の神に授りて曰はく、「吾此の矛を以て、卒に功治せること有り。

常陸国風土記 信太の郡
伊川  門司区伊川 白山神社
普都の大神

出雲 雲に覆われる足立山 霧ヶ丘
小倉北区 大畠は雨の日の濃霧がすごい。

城野石棺の子供2人
 事代主命 絵画は白雲に乗った普都大神
 建御名方命 玉造工房

城野遺跡の現地保存をすすめる会
城野石棺移築記念シンポジウム
ttp://ameblo.jp/jounoiseki/entry-12244823342.html
ttp://ameblo.jp/jounoiseki/entry-12239391364.html
朱の石棺に葬られた子供2人は4才ぐらい。
  ↓
記紀の事代主命・建御名方命ではない。 「出雲」 と断定できない。

玉造工房 古事記の櫛矢玉神か。


考古学
下屋敷遺跡(小倉城 ) の内向花文鏡≒下関市 稗田地蔵堂遺跡の鏡
  ↓
下関市の竹生山(325.2 m) の山頂から小倉城を見る方向ドンピシャに稗田地蔵堂遺跡がある。 下関市の竹生山 山頂と小倉城を結ぶ線上に稗田地蔵堂遺跡がある!
直線 竹生山の山頂 ― 稗田地蔵堂遺跡 ― 小倉城(下屋敷遺跡)

城野石棺、重留銅矛から大国主命の出雲は島根県出雲ではなく北九州市小倉南区 城野か。
  ↓
併せて問題は高天原はどこか?
下関市立考古博物館は腰が重い。

「北部九州」 の地域圏には山口県下関市が含まれる。
邪馬台国九州説は下関市域を含む。

後漢書 倭伝
女王国より、海を度ること千余里、奴国に至る。 皆倭種なりといえども、女王に属せず。
方向がちがうが拘奴国は小倉の城野か。


『風土記』 小学館 新編日本古典文学全集 5
私見
最近 常陸国は下関市有冨と見る。
以前 常陸国は門司区の周防灘沿岸〜小倉南区と見ていた。

355-最後の行  筑波岳は足立山である。 竹馬川が流れる。
359-4  小泊瀬山の石城  苅田町の小波瀬 と 高城山

359-後ろから2行目  「駿河の国 福慈の岳」 は直方市の福地山
363-最後の行  「白壁の郡」 門司区恒見の石灰岩砕石場

365-8  伊川  門司区 伊川
普都大神は伊川の神である。

367-4  浮島  曽根の浮島神社
ttp://44051510.at.webry.info/201402/article_52.html
367-6  塩を火きて  勝円遺跡
377-6  曽尼  小倉南区 曽根

359-後ろから3行目 神祖(みおや) の尊
  ↓
御祖神社 みおやじんじゃ
妙見山北西麓に鎮座
祭神は造化三神  天御中主尊 高皇産霊神 神皇産霊神
和気氏の祖先の神鐸石別命 和気清麻呂
寛政7年(1795) 小倉藩第5代藩主小笠原忠苗が山頂の妙見社に参詣したとき、土中から中国南宋産湖州鏡ほか9面を発掘。

私見
南宋(1127〜1279年) は万葉集とは時代がちがうが、妙見山は鏡山か。
小倉北区 富野の須賀神社では 足立山=鏡山 とする。


下関で天御中主尊を祭る神社
有冨上八幡宮の末社 天御中主神社 (明治末に川北神社に合祀され消滅)
垢田八幡宮 鼻ヅラ海岸の黒ア妙見
室津 若宮神社の相殿

下関で朱が出土した所
下有冨石棺 「川中風土記」 P23 昭和15年頃、住民が棺を開ける。
石原156番地(ホームワイド裏の台地) 朱の精製跡 L字状石杵が出土
吉田八幡宮 石棺
室津の甲山 朱壺
http://44051510.at.webry.info/201304/article_35.html

私見
城野石棺の朱が作られた場所はL字状石杵が出土した石原156番地である。


『おもしろ地名 北九州事典』 増補総集版 文理閣
P77
熊本・同志通り
企救郡誌に、熊本 は「往古この村人は土器を作るを家業とす。 今にその子孫在りて瓦を作る」 とある。
  ↓
土師氏の祖、出雲の野見宿祢

P91
手向山 万葉集
P95
富野 熊鰐伝説あり 


『福岡県の地名』 平凡社 日本歴史地名大系
P1234中 
萩ア村 (萩ア町、明和町、三萩野 1丁目) は博士(陰陽師)、占者が住んでいたので八卦アと称していたのが転訛したものという。 現在も陰陽師の子孫が住む。
萩ア町、三萩野は易者の地、卜占の地だった。
  ↓
事代主命
神吾田鹿葦津姫

萩ア村の村はずれに在方の科者を留置する揚屋(未刑囚を入れる所) があった。
万葉集427 刑部垂麻呂 赤坂の手向山

P1239上
白髭神社  小倉南区 蜷田若園 1丁目
菅原道真が大宰府左遷のとき当社に詣でて大田命を合祀したと伝える。
祭神  猿田毘古神 天児屋根命 天宇受売命 布刀玉命
由緒  高千穂峰に降臨した邇邇芸命に協力して天宇受女命が宮所を求め、当地の丘にしばらくとどまったという。


筑紫日向の高千穂宮は小倉北区か
二上の山 足立山(霧ヶ岳・妙見山)
竹嶋、「筑」紫 の竹は神岳
浮渚在平地 文庫書紀@142-11 曽根の浮島
豊国の宇沙 宇佐町


浮島、製塩
北九州市 小倉南区曽根の浮津島神社  荒神森古墳
ttp://kitaqare.d.dooo.jp/tens18.htm
ttp://www.geocities.jp/kikunosato2005/sub13.html

北九州市の古代製塩
浜田遺跡  製塩遺跡  若松区小竹 「脇ノ浦」 

貫遺跡  縄文晩期に朝鮮半島と交流
勝円遺跡   製塩遺跡  南曽根中学

P1207下
「 周防灘に面する勝円遺跡で8世紀後半−9世紀前半の煎熬用の甕が大量に出土、製塩遺跡と知られた 」
  ↓
常陸国風土記に書かれた浮島の製塩は北九州市小倉南区曽根である。


参照
北九州市 埋蔵文化財調査室 
http://www.kicpac.org/bunkazai/main.html 
卑弥呼がもらった鏡
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku288.htm




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重留銅矛は何を語るか  北九州市 文化企画課

2016/09/19 16:25

平成28年 9月17日(土)
重留遺跡出土広形銅矛 国重要文化財指定記念シンポジウム
「重留銅矛は何を語るか 〜邪馬台国の時代in北九州〜」
場所 北九州市立いのちのたび博物館  13:00〜16:30
北九州市市民文化スポーツ局 文化企画課


パネリストの1人
橿原考古学研究所共同研究員/桜井市纏向学研究センター共同研究員
もびっくりの 邪馬台国 九州説の私見を披露する。

重留銅矛を記紀神話と照合させれば
文庫書紀@120-5
乃ち国平けし時に杖けりし広矛を以て、二の神に授りて曰はく、「吾此の矛を以て、卒に功治せること有り。


常陸国風土記 信太の郡
伊川  門司区伊川 白山神社
普都の大神
 ↓
 私見
重留銅矛は布都の御魂であろう。

パネルディスカッション
「銅矛が出土した大型の住居跡は高床式倉庫ではないか」
 ↓
記紀 熊野の高倉下

マンガチックであるが、
重留銅矛は祭祀の埋納用ではなく大魔神の魔剣であり至高の武器だった。


小倉の足立山は畝火山か? ははははッ
JR 門司駅から見れば足立山は雲に覆われている。
城野・曽根側から見れば雲のない快晴だ。

門司駅〜小倉北区富野は日本海式気候
周防灘側の小倉南区は瀬戸内式気候

万葉集 畝火山の表記に「雲」 があるものがある。
13 雲根火雄
1335 雲飛山

「雲飛山」 という表記から高さ500〜700 m の山か。
畝火山の「火」 から関門海峡の烽火の山を連想する。

万葉集1047 飛火賀「山鬼」
この表記もよくわからない。


日向の橘の小戸橿原
旧事@36-3  
先代旧事本紀に「日向の橘の小戸橿原」 とある。
橿原は日向の橘の小戸と同じ場所である。
これもよくわからない。

三諸岳、三輪山
文庫書紀B44-3  菟田の墨坂神=大物主神、注七 斎戒
=文庫書紀@236-末行  天の香山の埴土、埴安
  ↓
異説 菟田の墨坂神=大物主神
「斎戒」 の共通字で示される同じ所
を採用する。

奈良県の三輪山は円錐形の単独峰である。
三諸山という表記は山々の連なりを表し、風水の龍脈がある。
私見では、三輪山は三諸山の一部分なので奈良県の山ではない。


観光
九州説 いのちの旅
井出浦  北九州市小倉南区 平尾台
北九州市の平尾台に素戔嗚尊が住民といっしょに八俣大蛇を弓矢で退治した言い伝えがある。 弓矢で射られた土井ヶ浜遺跡 124号人骨 に通じる。

井手浦 尻振り祭
ttps://www.youtube.com/watch?v=2ZCNy-7Na40

ttp://kitaqare.d.dooo.jp/tens13.htm

ttp://blogs.yahoo.co.jp/merope0310/39858365.html

井出浦の尻振り祭りはよく知られている。 毎年陰暦11月15日、回り持ちの座主が新米を刈って酒を調え正月7日に集まり、藁で作った「八俣の大蛇」 をで射る。 その後、ときの声をあげて大蛇を切り、宴会に移る。 スサノオノミコトが「八俣の大蛇」 を退治したとき、村人も射手に加わったというのが祭りの縁起で「射手裏」 の由来だという
『おもしろ地名 北九州事典 増補総集版』 1997年
P121


礫岩 つぶていわ  平戸島の南部 礫岳 287 m
ttp://www.sairosha.com/yama/tubuteiwa2.htm

逸文 日向国
文庫風土記下432
吐濃峯 日向国 庾(こゆ) 郡
  ↓
平戸島の南部
田(こた) 現 辻町、神船町、大佐志町、無代寺町


王位石  野ア島 小値賀島の東
ttp://blog.goo.ne.jp/kitadake3193masa/e/036f5a29d0d12b771f1ceb1601d7c088

ttp://blog.livedoor.jp/ii_wanco/archives/806397.html




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巨人伝説  門司区 小森江東

2015/02/09 05:52

常陸国風土記の巨人伝説は門司区 小森江東小学校前の「巨人坂」 である。

風土記403
那賀の郡 平津の駅家の西、1、2里
大櫛の岡


ダイダラボッチ 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%81


門司の巨人坂(おおひとさか) については
『門司の伝説ものがたり』  田郷 利雄 著 あらき書店  1993年
P37 〜
に載っている。


宗像市には巨人伝説はないが、日の里に「弥五郎谷」 がある。
弥五郎は鹿児島県の弥五郎どん伝説のごとく巨人である。
私見では弥五郎は日本武尊か。 猿田彦、張政と言う人もいる。



投馬国=あづま国 説
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39420730.html

私見では常陸国風土記の場所は門司である。 吾妻は門司区大里。
常陸国風土記に「当麻」 があり、投馬か。
東国の檝取は関門海峡の渡船をいう。


魏志倭人伝  邪馬台国の官に奴佳鞮
隋書俀国伝  哥多比は額田部(ヌカタベ) の音訳

続日本紀 長門国豊浦郡の豪族は額田部だった。
額田部直塞守
額田部広麻呂

  ↓
投馬国は門司
邪馬台国は下関 ・・・ 大王墓は有冨の上ヶ原古墳、植松古墳(方墳



海の道むなかた館
イベントインフォメーション
http://searoad.city.munakata.lg.jp/
2014/09/17 09:03:15
「 いせきんぐ宗像シンポジウム資料のダウンロード 」




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苅羽田刀弁

2014/11/02 01:45

文庫書紀A46-10  垂仁紀
34年の春3月の乙丑の朔丙寅(2日) に、天皇、山背に幸す。
時に左右奏して言さく、「此の国に佳人有り。 綺戸辺と曰す。 姿形美麗し。 山背大国の不遅の女なり」 とまうす。 天皇、茲に、矛を執りて祈ひて曰はく、「必ず其の佳人に遇はば、道路に瑞見えよ」 とのたまふ。 行宮に至ります比に、大亀、河の中より出づ。 天皇、矛を挙げて亀を刺したまふ。 忽にと化為りぬ。 左右に謂りて曰はく、「此の物に因りて推るに、必ず験有らむか」 とのたまふ。 仍りて綺戸辺を喚して、後宮に納る。 磐衝別命を生む。 是三尾君の始祖なり。 是より先に、山背の苅幡戸辺を娶したまふ。


古事記では、山代の大国の淵が女、苅羽田刀弁
「苅」 ・・・ 小森江貯水池の小字「苅田ヶ原」
「羽」 ・・・ 小森江の小字「羽山」

「石」 ・・・ 小学館の日本書記本では「白石」。 白石は小森江貯水池の奥にある砂防ダムの川を上ったら見られる。

師木の「師」 は風師山の山麓を示す。

「矛を執りて祈ひて曰はく」
亀を刺すことができるので、先の尖った銅矛、戈。 鉄製かも。
記紀では青銅器は神威を占う物、卜定で神の力を得る物である。


記紀
青銅器を使った祭りの記述はない。
陵墓に青銅器などの副葬品を入れた記述はない。


大化の改新 薄葬の詔  
古墳の築造を禁止しているので、もともと大王家は古墳に葬られていない。

文庫書紀C276-9
飯含むるに珠玉を以てすること無。
(訳) P279 上 注19
「 死者の口に珠玉を含ます習慣はやめよ。」
後漢書、礼儀志に 飯 含珠玉 如 礼
  ↓
下関市 延行の東屋敷遺跡から赤い瑪瑙丸玉が出土している。
また
瓊瓊杵尊の「瓊」 は赤い玉である。
赤い玉は太陽を表すので、太陽の子(日子) か。




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風師神社 荒熊稲荷

2014/10/20 07:24

皇産
(たかおかみ) 「龗」 の音は レイ
雨雪を降らす神、龍神 → 金印の蛇紐

高龗は音で「こうれい」 だから高麗(こうれい) と同じ。 小森江か。

古事記では高皇産霊尊は高木神、高御産巣日神


万葉集104 藤原夫人
於可美

風師神社の小字「葛原明神原」
葛原 = 藤原
天平宝字元年3月 続日本紀B177-8
藤原部の姓を改めて久須波良部とし

文庫書紀D50-9
天智天皇 8年10月16日
藤原内大臣薨せぬ。
P51下 注13
家伝に
「16日辛酉、薨 於淡海之第。 時年50有6。 上哭之甚慟、廃朝5(9イ)日」。

葛葉川
藤見川 ・・・ 小森江東小学校前の川

藤見川を安河とみれば、上流の谷の上に風師山の岩場がある。


大人(うし) と雨師は音が同じ


文庫書紀@112-3
大背飯三熊之大人、武三熊之大人
  ↓
小森江の小字「大人」
風師神社の境内に荒稲荷がある。

巨人の足跡は彦島の老にもあるという。


『ひこしま昔ばなし』  P163〜167
おおひと ・・・ 大江屋敷 本村町5丁目の山手
こびんおおひと




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海神の場所

2014/10/18 12:35

万葉集15
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽
門司の広石2丁目・風師2丁目を登った所、または葛葉を登った所
から彦島方面に沈む夕日を眺めて詠んだ歌である。
  ↓
渡津海は彦島にある。
@考 彦島の西端 竹ノ子島
竹ノ子島西端の内側に砂浜があり、「ターの浜」 という。 漢字は不明。
鯛の浜か、田の浜か。 鯛は赤目。
砂浜から敏馬の浦か。

竹の子島には「肥塚」 という姓が多い。 もしかしたら肥国か。


彦島村郷土誌 P14
竹の子島は往古2つに分かれ、北をヶ島、南を竹の子島と称した。
2島の間は10間余の砂浜なりければ、地元民之を埋め立てて1島と為せり。 その年代は詳かならされども約110年前の事なるべしといふ。

私見
竹の子島の北側を「ヶ島」 と呼ばれていたことは興味深い。
『ひこしま昔ばなし』 P16 七鬼 の場所が載る。 西山である。


A考 田の首
門司郷土叢書 9巻  島めぐり 長門彦島 海賊泊(やど)
田の首の前に島があった。 この島を海賊島と呼んでいた。
田の首は浪が穏やかで「碇いらずの島」 と呼ばれた。

田の首では他の彦島の人たちとは言葉が異なり、肥前の島から来たという。
田畑が広く、塩田があった。


B考 福浦
江戸時代、北国船の寄港地として栄え、遊女がいた。
金比羅山を富観台という。

郷土読本 『栄える彦島』 昭和8年
惟ふに其の頃海賊は福浦及び西山を根拠地として附近の水陸は勿論盛んに略奪してゐたものであらふ。 今も海賊島と呼ぶ地名は福浦の湾内に其の名を止めてをり、又海賊船の出入したと言ふ海賊泊りとは、海賊島の場所であるとも言ひ、或は西山の舞子島附近であるとも語り伝えられてゐる。


C考 六連島、
釣り針や漁具が出土している。
文庫書紀@188-1
海神の乗る駿は八尋鰐なり。

「馬島」 という地名の由来
『栄える彦島』 (昭和8年) P98 によれば
小倉藩主が毛利藩から馬の飼育のために借り受けたもので、その証文が焼き捨てられたため小笠原公の所領になった と書かれている。
角川日本地名大辞典 福岡県 によれば
馬の牧場があった、馬を乗せた船が近くで遭難したためともいう と書かれている。


D考 西山海水浴場にある打石遺跡から小さな玉が出土している。
豊玉姫・玉依姫の物か。

『栄える彦島』 P75‐4、P97-1
「打石」 の読み  ウ ツ シ
古事記
かれ阿曇連等は、その綿津見神の子 宇都志日金柝命の子孫なり。

文庫書紀@102‐9
国玉神

Google で検索せよ  【 打石遺跡 彦島 】

「ウツシ」 については、綾羅木郷遺跡の、JR 梶栗郷台地駅 側の入口から近い場所に、かつて長門三の宮ともいわれた宇津の宮神社があった。



橘の小戸
彦島の海士郷の先、小戸の海岸に大岩がある。 海へ飛びこむ身投げ岩である。 御堂があり、石仏があって綱を握って断崖の海に下りることができる。 地図に載る桃ア稲荷大明神だろう。

対岸の伊崎に赤間神宮小門御旅所 王城山 がある。
私見ではどちらも記紀の橘の小戸とは思われない。



田道間守  田の首
田道間守は彦島の田の首の人だ。

応神記
かれその天の日矛の持ち渡り来つる物は、玉つ宝といひて、珠2貫、また浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼風切る比礼、また奥つ鏡、辺つ鏡、并はせて8種なり。 こは伊豆志の八前の大神なり。

これは海神が山幸彦に授けた塩盈つ珠、塩乾つ珠と共通する。
風振る比礼、風切る振礼は風の神(風師、風伯) だから門司の風師の人か。
天の日矛には朝鮮名がない。
天の日矛は門司の白木ア(新羅)、小森江(高麗) の人かとも考えられる。

丹後と但馬は近い。 丹後国風土記の水江浦島子は田の首の物語か。




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彦島の 机岩

2014/10/18 06:47

門司郷土叢書 9巻  島めぐり 長門彦島
机岩の奇観

是の机岩は、昔日は非常で奇観な曾つて殿様の来臨を忝ふしたなど真偽の程は知らぬが、伝へられて居るのを見ても分るが、惜むべし某浦の人が打毀ちて持ち帰ったと云ふ。 而し今その跡を見ると完全に打毀ち去った様には見らるぬから、多分風景を損じたと云ふに留まって居るらしい。 手取鑵子の少しく北方の海岸にある跡にても見ようと思って行ったが、余り多く残って居らぬので、島の古老の説く所を書きつける。 明治14年の頃までは完全にあったと云。 これも砂岩の風雨に侵蝕されて堅牢な所だけ残ったのであろうか。 それはともかく机の形机の資格 ― 備へて居ったと云ふから妙だ。 今、猶ほ足とも見るべき所が残って居る。 長さ6尺、巾3尺位であったとの事。 この机のある所は頗る広い3、40畳敷もあるだろう。 3尺余の高を保って海に面して居って、右方に硯箱水入れ、筆等の形があったと云う。 左の方には5冊ほど重ねられた本籍の形があり、本の上には文鎮の形まで添ふて居って、人巧的の天工であったかの観があったとの説である。 近いから一度親しく遊んで見玉ふべしである。



万葉集3880  能登国
所聞多祢乃 机之嶋
  ↓
万葉集にある「机の島」 は彦島の机岩で決まり。

出雲=鹿島 は彦島西山町である。
竹ノ子島の海峡 南側入口 獅子ヶ口 獅子=鹿 だから鹿島である。

獅子ヶ口 獅子ヶ鼻
彦島本島と竹の子島との間にはさまって、竹の子島の燈台が右手の丘の上にニューイと立って居る処。 古来風浪の険悪なるを以てその称がある。

手取鑵子 てどりがんす  小字「鬼穴」
彦島西山町3丁目 西山公園の南側の溝  柵の向こうにある海蝕洞
近寄ってはいけないという忌む場所と伝わる。
私見
大国主神が住んでいた洞窟だ。
  ↓
穴門は手取鑵子の洞窟の場所である。
穴門の引島は彦島の西山町である。
西山町は往古は島だった。

彦島村郷土誌
迫と西山と接続せる一帯の地峡中 宮の原、原、黒中など称する地は其の昔海にして海水は此の地峡の処を流れつつありしか否らざれば黒中の方面に深く湾入し居たることを知り得べし

原始古代、彦島の西山町と迫町の境に細い海峡があった。
筑紫の崗県、大倉主(=大国主命) はここだ。
出雲の五十田狭の小汀は舞子島あたり。


大年神社 彦島八幡宮の境内末社
祭神  大年神 御年神 若年神
御年神は古語拾遺に出てくる。
  ↓
貴布祢神社  彦島老町1丁目-11
弘安元年3月15日建立  彦島八幡宮の末社
祭神  保食神 高龗神
の宮」 の名所あり


出雲国風土記 伊努郷
国引坐 意美豆努命 御子 赤衾 伊努 意保須美比古 佐倭気能命之社

伊努 ・・・ 犬 → 狗奴国
意保須美 ・・・ 大隅
佐倭気 ・・・ 古事記の国生みで 淡道の穂の狭別の島


文庫書紀@106-8 出雲国の五十狭狭の小汀
  ↓
彦島の小字「伊佐浦」 ・・・ 場所は 彦島西山町2丁目‐10

出雲 = 葦原中国 = 西洲 は彦島の西山町

西
文庫書紀@200-1 西の偏 日向高千穂宮
文庫書紀A88-6 西洲 熊襲





彦島 小字「穴」 ・・・ 西山公園の横にある洞窟「手取がんす」
竹の子島の北側 ヶ島

文庫書紀@110-6
故、高皇産霊尊、八十諸神を召し集へて、問ひて曰はく、「吾、葦原中国の邪しき鬼(もの) を撥ひ平けしめむと欲ふ。 ・ ・ ・

福浦 金刀比羅神社
祭神 大主神
相殿 崇徳上皇

竹の子島 金刀比羅神社
祭神 大主神
相殿 菅原大神

鬼(もの) = 大物主神


文庫書紀@120-8  神等

景行紀 文庫書紀A92-9
欽明紀 文庫書紀B282-12、284-3  
孝徳紀 文庫書紀C240-11

斉明紀
文庫書紀C368-9
朝倉橘広庭宮 朝倉社の木を切る


文庫書紀C370-8
朝倉山の上に、有りて、大笠を着て、喪の儀を臨み視る。 




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タイトル 日 時
彦島ピラミッド 龍宮神社 姫塚
彦島 山口県風土誌 彦島村 長門国志に、古老相伝へて古へ彦火火出見尊、此島に住居給へり。 故に彦島と云ふと云へり。 ...続きを見る

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2014/10/18 02:55
雪連  法音寺の坂を上がった所の墓地は雪の名所
旧門司の史跡に門司関(文字関) があるが、そこの海は渦が巻いているし、関所としては適地ではない。 門司で山城があった場所として、三角山城や黒川の金山城やなどが地政学上は重要である。 奥畑川上流の黒川、高砂町、春日町は重要な要地である。 ...続きを見る

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2014/10/14 01:40
門司区  高天原は黒川の地獄谷温泉 説
門司港 旧浪花町 筆立山南麓〜老松公園の東 門司港の商店街 角川日本地名大辞典 福岡県 によれば、大阪の浪花にあやかった地名という。 門司校区公民館の小冊子(創設60周年記念誌) P28 によれば、なぜ「浪花町」 なのか町名の由来は定かではないという。 ...続きを見る

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2014/10/12 21:28
門司の広石あたり
万葉集 960  大伴旅人 隼人之 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧尓 尚不及家里 滝があった場所は清滝と葛葉1丁目の貴布祢川である。 清寧紀 文庫書紀B98-2 雄略天皇の丹比高鷲陵で号泣する隼人だから、芳野と隼人の地は近い。 芳野と隼人の地は距離で200メートルくらいだろう。 ...続きを見る

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2014/10/12 04:16
白雲稲荷大明神  門司区 広石1丁目-4
風師2丁目-1-17 急坂を上った突当たりに小田という家がある。 家の前に堅そうな岩壁を掘った洞窟が2つある。   ↓ 昭和12年頃か、南篠さんの家(風師2丁目-1−11) の上の石垣がある所に銅山があった。 掘って銅の鉱石が出たが量が少なかったので採掘を止めた。 その後銅山の廃鉱は海軍の通信施設にされトンネルを大きくした。 地下壕は、高さ 170センチ、長さ 数十メートルもある。 海軍通信部隊の地下壕は南篠さんの家の上から小田さんの家の前まで曲った長いトンネルが続き、小田さんの家の... ...続きを見る

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2014/10/07 00:09
出雲国  下関市
出雲の肥の河、簸の河 = 樋 ...続きを見る

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2014/10/05 14:10
他にいるか 調べました。
邪馬台国は関門海峡あたり とする見解をネットで検索して、他にいるか調べました。 ...続きを見る

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2014/10/03 18:24
邪馬台国は 門司 だ!!
原始古代 列島支配の地政学 ― 高天原の場所柄 門司区役所から葛葉1丁目まで、山が海に迫る急斜面の地である。 陸の関所、船の検問所を築く場所は門司警察署の山側である。 ここが兵がいる所で、天の波士弓、天の波々矢、天の鳥船の地である。 ...続きを見る

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2014/10/03 12:55
中臣清麻呂  清滝 門司区役所の辺り
万葉集 3879 能登酒屋 = 4031 中臣の酒 新羅斧 = 筑紫の聞物部大斧手 雄略紀 文庫書紀B80-7 ...続きを見る

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2014/10/03 01:41
不弥国 (小森江東小学校)   邪馬台国 (日本書紀の「山部」 慈雲寺)   難波 (井戸)
不弥国 小森江東小学校 風師あいの坂道   ↓ 「相」 の地名 万葉集3236 〜 3241  相坂、相坂山 ...続きを見る

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2014/10/03 00:12
小森江 自然と歴史  未調査
門司区 小森江の自然と歴史 未調査 江戸期、明治期の史料に小森江から銀が出た報告がある。 小森江東小学校の横を流れる藤見川の谷の最上部か、あるいは葛葉川の最上流か。 『小森江村志』 によれば、山の高い所に自然または人が掘った洞窟がたくさんあるという。 ...続きを見る

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2014/10/01 05:11
セメント社宅の上の方にあった大きな岩
『 ふるさと 小森江 にしひがし 』  1976年 自費出版物 ...続きを見る

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2014/10/01 02:37
風師あいの坂道 近江国
小森江東小学校の「風師あいの坂道」   ↓ 万葉集3157 相海之 安河   ↓ 安河は藤見川である。 藤見川 ・・・ 小森江東小学校の正門前、風師中学跡の小川 ...続きを見る

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2014/09/30 23:52
青丹吉 奈良の小森江西小 近江国の小森江東小  
小森江西校区の羽山神社は甲宗八幡神社が管理している。 ...続きを見る

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2014/09/28 23:32
伊川 平山観音
小学館 風土記 新編日本古典文学全集 常陸国風土記 P365-8 此より以西に、高来の里あり。 古老の曰へらく、天地の権輿(はじめ)、草木言語ひし時に、天より降り来たまひし神、名は普都の大神と称す。 葦原の中つ国を巡り行でまし、山河の荒ぶる梗(かみ) の類を和し平けたまふ。 大神、化道(ことむけ) 已(すで) に畢(を) へたまひ、心に天に帰らむと存(おぼ) す。 即時(そのとき)、身に随(そ) へたまへる器仗(つはもの)、俗(くにひと)、伊川(いつ) 乃甲(かぶと)・戈(ほこ)・... ...続きを見る

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2014/09/28 23:05
外記殿山 銅山
『門司郷土叢書』 3巻 に収録 小森江村志 横頁220 風師山 ・ ・ ・ ・ 風師山は何処からでも見られ、各地夫々趣を異にし美しいが、小森江浄水地からの眺望が殊によい。 砲台山の脚が苅田ヶ原谷の渓流にはばまれ、貯水池の右側の小道を通っていく。 駅前に常緑樹で被われた小高い丸い山は、古墳の様相をもっている。 ...続きを見る

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2014/09/25 02:47
小森江 小字名の聞書 
『門司郷土叢書』 3巻 に収録 小森江村志 横頁257 昭和34年1月 ...続きを見る

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2014/09/25 02:35
小森江西  ぐみの木谷 銅鉱口
考古学の業界 金属関連の研究   主流 ・・・ 青銅器   新潮流 ・・・ 鉄器、鉄関連の遺跡 ...続きを見る

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2014/09/23 16:34
高田丘
武烈紀  文庫書紀B154-最後の行 百済の意多郎卒せぬ。 高田丘の上に葬る。 ...続きを見る

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2014/09/23 12:10
藤原宮  小森江西小学校 古野宅 
続日本紀@13-最後の行  文武天皇 2年11月23日 己卯、直広肆 榎井朝臣倭麻呂、大楯を竪て、直広肆 大伴宿禰手拍、楯桙を竪つ。 神祇官人と事に供れる尾張・美濃二国の郡司百姓らに物賜ふこと各差有り。 ...続きを見る

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2014/09/19 12:57
葛葉  大阪府に2か所  北九州市門司区
葛葉 = 樟葉 か ...続きを見る

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2014/09/17 22:09
小森江  池 井戸
巨樹  Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E6%A8%B9 ...続きを見る

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2014/09/15 12:56
小森江 〜 大里
風師山の銀鉱山 古事記に「銀の王」  しろがねの王 ...続きを見る

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2014/09/14 13:34
門司区  白木ア 広石
小森江に風師山に銀鉱山があったので、武烈紀の銀郷に比定できる。 滝があった場所は葛葉の貴布祢川である。 清滝よりも葛葉の貴布祢川にあった3つの滝が重要である。 ...続きを見る

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2014/09/07 11:40
瀛津州神社跡 風師3丁目−4
『小森江東校区の思いで』 P10 に瀛津州神社跡(風3‐4) が載る。 ※ 小森江東自治会のレジュメ。 町内の古いことが書かれてある。 パソコンのコピー機でコピーしたものをホッチキスで綴じただけもの。 ...続きを見る

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2014/09/06 05:11
小森江の小字「左馬殿山」「外記殿山」
楠原の小字「登立」  場所は白木アか ...続きを見る

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2014/09/03 09:26
小森江 西 と 東
持統紀  文庫書紀D238-12 投下ける高麗56人を以て、常陸国に居らしむ。 ...続きを見る

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2014/09/01 22:59
銀鉱山
武烈紀に 「銀郷」 文庫書紀B154-4 とある。 古事記 銀(しろがね) の王 が出てくる。 ...続きを見る

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2014/08/29 18:40
東海姫氏国は門司
神武東征の道筋はよくわからない。 そこで、いろいろ候補地を探してみる。 ...続きを見る

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2014/08/29 08:23
邪馬台国の高天原 門司関 〜 楠原 説
古事記 天の波士弓 → 土師連千嶋 ・・・ 門司の広石、浜町 ...続きを見る

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2014/08/25 23:32
鳥の石楠船  門司区 楠原
門司市史  P565 楠原村 村人伝云、往古此村に大成楠樹在しを、神功皇后三韓国征伐給ひし時、御舟木に切らせ給ひしと云々。 今に地を堀るに楠の朽木在て、石の如し。   ↓ 鳥の石楠船=天の鳥船 ...続きを見る

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2014/08/25 12:40
小森江 風師山の洞窟 銀鉱
『 門司郷土叢書 』 3巻 小森江村志  昭和34年 横頁220 風師山麓の洞窟 小森江東小学校のすぐ上に、もと藤棚があった所の山際に洞窟がある。 ここより風師中学校の上を通って東方1町位にして風師川の上流になるが この附近には 洞窟がいくつもある 更に東1町も行けば 空の中約1町も進むか 湿気を帯びて辷り こうもりが飛んでくる 細くて深いのや人工で造られたものなどあり 今埋ったものなどもあるが 未だ調査はされていない ...続きを見る

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2014/08/21 21:43
「風師」 とは何か  古代史論叢
『 おもしろ地名 北九州事典 』 増補総集版  文理閣 1998年 2刷 P18 朝鮮史料の海東諸国記には「文字関」 と記載。 ...続きを見る

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2014/08/21 21:42
邪馬台国 門司説
門司の歴史  北九州市 https://www.city.kitakyushu.lg.jp/moji/file_0016.html ...続きを見る

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2014/08/17 13:08
大積上総介
『門司市史』 昭和8年 P589 によれば 大積という地名は、大積上総介という者がいたことに因む。 ...続きを見る

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2014/08/16 10:55
門司の神社
門司市史  昭和8年 ...続きを見る

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2014/08/15 17:42
万葉集249 隠江  門司区の小森江
万葉集249 三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓   ↓ 門司区 小森江   角川日本地名大辞典 福岡県 によれば、 「 地名は、往古当地に高麗国の貢船を停泊させたので高麗入江と称したが、後に転訛したという(企救郡誌)。 」   ↓ 楽浪の志賀の韓埼 淡海の大津宮も小森江だろう。 ...続きを見る

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2014/08/15 16:08
門司区伊川の平山観音  普都の大神 天迦久の神
風土記357-5 総記 古の人、常世の国と云へるは、蓋し疑はくはこの地ならむか。 ...続きを見る

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2014/08/15 14:51
熊鰐 五十迹手  天石窟の儀式
北九州市 若松市史 全  昭和12年  昭和49年復刻版 P17 栗田寛氏の古風土記逸文考証に、伊覩県主ノ祖及び崗ノ県主ノ祖が五百枝の賢木に鏡、剣、瓊を掛て、天皇を奉迎せしは、古事記天石窟の段の儀式をまねびたるものにて、総て赤心を顕し、誠欵の至を白す表物として、当時、諸臣の天皇の行幸を迎へ奉るの礼儀にて有けること著しと云へり。 ...続きを見る

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2014/08/12 21:17
常世  白野江の皇産霊神社
山海経 海外東経 朝陽の谷、天呉   @考 門司区 田野浦・白野江    A考 門司区 伊川の平山   B考 奥畑川流域 (門司区 黒川字旭谷−春日町−高砂町−大積) ※ 奥畑川は東西方向の谷を形成しているので明日香川か ...続きを見る

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2014/08/05 00:03
日本発祥の地  門司区白野江
万葉集 3156  鈴鹿河 八十瀬 越えむ → 白野江の打越山 3157  相海の安河 ・・・ 天安河と異なるかも 3158  白浪 前の歌が鈴鹿で、次の歌が白浪なので、波が激しい場所である。 先代旧事本紀、古語拾遺では「天八湍河の河原」 という表記がある。 旧事A50-19、A51-2、B66-4 訳旧事A112-後ろから3行目、A113-2、B146-10 岩波文庫 古語拾遺 P18-4 右文書院 古語拾遺34上-6 万葉集3156 の鈴鹿河... ...続きを見る

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2014/08/04 09:30
門司 常陸国 天呉
常陸国風土記の場所は北九州市門司区である。 門司区は山海経 海外東経 の天呉である。 高天原は門司区である。 ...続きを見る

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2014/08/03 03:21
当麻の勢枯 → 壬申の乱の場所は門司区
常陸国風土記の行方郡は門司区大里 風土記377-6 曽尼(そね) は小倉南区の曽根ではなく門司区大里 「尼」 で女 大里の社ノ木は香島の神子の社 ...続きを見る

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2014/08/02 11:30
安芸国の場所  小倉南区の南方
記紀・万葉は響灘沿岸のハナシである。 難波は歌の「海石」 から吉母海岸の千畳敷である。 ...続きを見る

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2014/07/10 01:12
淤能碁呂島(八幡)  淤能其侶島(小倉)
『 古代氏文集 』  山川出版社 2012年  新撰亀相記 P206 〜 207 三  伊佐諾 ・ 伊佐波両神、生淤能己侶島本辞 ...続きを見る

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2014/07/03 23:49
高天原 = 貫 (ぬき) 説  北九州市 小倉南区
常陸国風土記を読むと、天つ神は北九州市小倉南区の曽根〜苅田町雨窪にいた感じがする。 ...続きを見る

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2014/05/03 09:24
高天原を発見  門司区大里の西側
風土記365-8 俗、伊川乃甲・戈・楯・剣と曰ふ。 北九州市門司区の伊川である。 ...続きを見る

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2014/04/29 15:42
高橋氏文 古代氏文集
山川出版社 『古代氏文集』 高橋氏文から巻向日代宮は下関市の椋野(むくの) にあった。 「まきむく」 → 「むくの」 と転訛した地名であろう。 ...続きを見る

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2014/04/23 09:19
朝陽の谷、天呉
少彦名命は小人で安曇連の系統である。 安曇連は東シナ海の海人で、中国南方にいた人たち。 安曇連は九州北部と下関市で河童伝説を残す九州西北型弥生人である。 万葉集から、石川氏と安曇氏は親戚または家が近いので、安曇≒石川 とみてよい。 ...続きを見る

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2014/04/16 08:28
高天原の場所は 小倉北区 上富野 延命寺川 である
常陸国風土記に「天つ神」 が登場する。 私見では常陸国の場所は小倉・門司・苅田である。 ...続きを見る

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2014/04/14 14:26
高天原 = 門司 説
高天原の場所は北九州市 門司区である。 門司区 大里 〜 伊川 ...続きを見る

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2014/04/10 07:49
殿の騰戸 ― 門司区大里の 戸ノ上山
岩波文庫 古事記 P26-5  黄泉の国 ここにその妹 伊邪那美命を相見むと欲ひて、黄泉国に追ひ往きき。 ここに殿の縢戸より出で向かへし時、伊邪那美命、語らひ詔りたまひしく、・・・・ ...続きを見る

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2014/03/09 01:49
常陸国  小倉南区 曽根
常陸国風土記の製塩 信太郡 浮島 http://gigamatome.net/matome/000925/pages/67ead770af01d3ad234291bb6bda05e0.html 『 常陸国風土記 』 信太郡の条に、 「 乗浜の里の東に、浮嶋の村あり。 四面絶海にして、山と野交錯れり。 戸は一十五烟、田は七八町余なり。 居める百姓、塩を火きて業と為す。 」 とある。 ...続きを見る

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2014/02/24 18:35
福江殿  馬子
物部守屋の家は河内国渋川郷にあった。 一説に 「渋」 「福」 は鍛冶精錬に関係する地名という。 河内国渋川は福江か。 ...続きを見る

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2014/02/15 06:10
門司 ・ 小倉
小倉南区の竹馬川 ・・・・ 筑波 足立山には峰が2つある。 妙見山(519m) 足立山(霧ヶ岳 597.8m) ...続きを見る

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2014/02/11 02:15
不弥国  門司 大伴氏
万葉集709 豊前国娘子 万葉集710 の安都扉娘子 「扉」 は天石屋戸をいっていると思える。 ...続きを見る

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2013/02/28 22:51
太宰府市  戸籍の木簡 「竺志前国嶋評」
私は倭国(=長門国) の大宰府は山奥内陸部の太宰府市でなく、船が着ける海岸部の洞海湾沿岸、黒崎駅 〜 八幡駅付近にあったと推理する。 その根拠は   大宰府の役人だった藤原広嗣は遠賀川下流で挙兵している   水巻町境の日峰山に山幸彦伝説があり、竺紫日向や隼人はこの辺り   洞海湾沿岸は神功皇后伝説が多く、香椎は洞海湾沿いか岡垣町にあった   万葉集では香椎宮の隣に大宰府がある   野面、直方市、添田町に熊襲伝説がある。 熊襲は遠賀川の中上流だ ...続きを見る

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2012/09/01 17:00
伊都国  奴国
魏志倭人伝の記述は正確とみて、伊都国は洞海湾にあった。 黒崎と若松が候補地である。 ...続きを見る

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2012/03/06 20:58
処女(おとめ)  隅田
万葉集250  処女(おとめ) 門司区大積に小字「乙女」 あり。 ...続きを見る

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2012/02/29 09:19
門司 の 城山霊園  黄泉比良坂
八幡西区 永犬丸 の縄文時代貝塚から人間の頭蓋骨が出土しているので、縄文時代の洞海湾では食人があった。 ...続きを見る

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2012/02/24 02:10
戸ノ上  門司区
戸ノ上   『おもしろ地名 北九州事典』 文理閣  P39  戸ノ上神社の社記や門司市史によれば、寛平年間 (889〜898) 柳ヶ浦の漁師が網を引いていると光る玉がかかり、天御中主命のお告げによってこれを山上に祭った。 空海が中国から帰国の際、この山をみて霊験を感じて寺を建て、満隆寺と号し、戸ノ上神社境内の大師堂として残る。 戸ノ上は神社地の上の意味で殿上か。 戸ノ上も関門海峡の烽火ルートだった。 ...続きを見る

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2012/02/24 01:00
伊勢大神宮 は 延命寺
北九州市小倉北区上富野に延命寺がある。 場所は Google 地図 で  【  小倉 延命寺  】 を検索 ...続きを見る

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2012/02/23 12:27
陰陽師の集落 小倉北区 萩ア町
古代の日本列島では関門海峡が最も重要な場所であり、高天原と出雲との争いは関門海峡の支配権をめぐるものだった。 出雲とは門司から小倉にかけて見える山がいつも霧や雲で覆われていることをいう。 出雲の場所は門司港から小倉城のあたりである。 ...続きを見る

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2012/02/23 03:41
飛火賀嵬
万葉集1047   飛火賀嵬 ...続きを見る

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2012/02/18 04:13
茅渟  小倉北区 萩ア町  綿津美神社
古事記の神武東征で、  角川ソフィア文庫 新訂古事記  P77 南の方より廻り幸でます時に、血沼(ちぬ) の海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。 ...続きを見る

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2012/02/17 02:15
枝光八幡宮
いろいろ調べてみて、 倭国の主な場所は洞海湾の八幡 と 下関であることがわかった。 神功皇后伝説が強烈にある。 ...続きを見る

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2012/02/15 02:29
天種子命
日本書紀 神武東征の出発まもなく、 天種子命は、是中臣氏の遠祖なり。 ...続きを見る

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2012/02/14 12:20
高天原は 下関の小野
北九州市の八幡には天岩窟 に該当する石窟がない。 ...続きを見る

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2012/02/14 05:40
橘の小門 は 八幡西区藤田 説
八幡市史  P454 藤田村 鳥野神社は兒屋根神、比売神 両神也。 (略) 此所に杉本神社あり。 大和の春日の末社杉本神社と同神也。 此所の東我等屋敷橘と云所に縣主神社あり。 慶長の初、親掃部大夫、只今の屋敷に轉居せし時、遷座せり。 跡の森に塚あり。 橘の東に種子神社あり。 合殿に木船神あり。 禊河の上に広河原神社あり。 ...続きを見る

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2012/02/14 04:08
媛蹈鞴五十鈴媛命
岩波文庫 日本書紀(一)  P106 日本国の三諸山 媛蹈鞴五十鈴媛命 ⇒ 蹈鞴より有冨の金鋳ヶ谷 ...続きを見る

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2012/02/12 07:29
戸畑 難波説
JR 戸畑駅付近は洞海湾の出入り口にあたり、地勢学上、重要な場所である。 洞海湾の出入り口、戸畑と若松との間の入海を大江口という。 大江皇女 天智7年2月23日 天武2年2月27日 ...続きを見る

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2012/02/12 00:11
穴門 は 道伯山
熊鰐の岡県の場所については、遠賀川下流の芦屋側か、洞海湾八幡の岡田か、で昔から論争されていた。 明治期より芦屋側にあった説が定着している。 自分で調べてみると、神功皇后は江川を抜けて芦屋側へは行っていないことがわかった。 岡県は八幡の岡田である。 ...続きを見る

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2012/02/11 16:06
古代の八幡  北九州市
八幡市史 P381 によれば、 黒崎の藤田はもと上の名(メウ)といった。 ...続きを見る

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2012/02/11 13:02
天籟寺川  
記紀の出雲は戸畑なので、 出雲の肥の河(簸の河) は戸畑区を流れる天籟寺川である。 ...続きを見る

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2012/02/11 11:21
邪 馬 台 国 の 場 所 決 定
邪馬台国 及び 山海経の君子国は北九州市八幡 にあった !!!! ...続きを見る

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2012/02/10 05:18
豊山八幡神社  八幡東区 
遠賀郡誌  八幡町  P397 ...続きを見る

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2012/02/10 00:11
蔵藪 の 雲気
遠賀郡誌  戸畑町   P452 ...続きを見る

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2012/02/09 23:54
名籠屋ア 2
岩波文庫 日本書紀 (二)  P126 仲哀天皇 8年正月4日 ...続きを見る

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2012/02/09 21:28
名籠屋ア 1  
地政学的に北九州市の地図を見ると、洞海湾の入口に位置する戸畑が重要である。 名籠屋アが海に突き出ていた。 ...続きを見る

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2012/02/09 20:12
鷹見神社  八幡西区
鷹見神社について、 『福岡県の地名』 (平凡社) と 『北九州市神社誌』 では説明が異なる。 『福岡県の地名』 P189下、194上 では、穴生の鷹見神社が下宮で、市瀬の鷹見神社が上宮と書かれているが、『北九州市神社誌』 では両社は別のものである。 ...続きを見る

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2012/02/09 04:39
遠賀川の記紀伝承 48
遠賀郡誌 上津役村  P92 より ...続きを見る

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2012/02/09 02:33
遠賀川の記紀伝承 47
熊野神社  上上津役 馬場 ...続きを見る

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2012/02/09 00:58
遠賀川の記紀伝承 46
十二所神社  引野2丁目 12−16 祭神 伊弉諾尊・速玉男命・事解男命・天照大神・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・葺不合尊・軻遇槌命・埴山姫命・罔象目命・稚彦霊命 (一説に国常立尊とあって埴安姫命なし) 由緒 「県神社誌」  斉明天皇6年の冬、百済及び新羅を征するため行幸して、筑紫の磐瀬行宮に居玉うた。 天皇軍を救うため、天神地祇十二所神宇を御手洗に招請したる地云々。 ...続きを見る

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2012/02/08 23:25
住吉神社  北九州市
門司区浜町  恵比須神社の境内神社に住吉神社 ...続きを見る

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2012/02/08 19:05
高天原 は 永犬丸の松本遺跡
斉明紀の 娜大津の「娜」 は女ヘンである。 これは天照大神の地であり、永犬丸の榊姫神社である。 高天原は永犬丸の松本遺跡である。 ...続きを見る

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2012/02/08 07:29
小字  遠賀郡  (一部)
島津  道官 別府  高家(たかや) 虫生津  由良 白水 中底井野  柏 大田 水門 朳 (えぶり)  伊勢面 猪熊  深江 頃末  櫛笥(くしげ) 二 (ふた)  迎(むかへ) 岩瀬  御館 行幸ノ尾 吉田  紙袋 月夜待 柳土手 イハゼ 中間  瑞穂(ずいほ) 犬王 八王寺 名前 片峰 御館 楠橋  寿命 水道 高浜 白髭 香月  光照寺 高家(たかや) 馬場山  緑 上上津役  建郷 足水 大原 早田 欅(くぬぎ) 八児(やちご) 小嶺  ... ...続きを見る

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2012/02/08 05:39
道伯山 八幡西区
大伯海の「伯」 について、黒崎駅の東に道伯山がある。 ...続きを見る

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2012/02/07 04:08
越の角鹿は 六連島 説
紀国は小倉の木町だから、淡路屯倉は近い。 ...続きを見る

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2012/02/02 01:32
穴門は 小倉の到津か
紀伊国は小倉の木町、篠崎八幡神社 徳勒宮は小倉の徳力 ...続きを見る

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2012/02/01 22:41
紀国は 南小倉駅の木町
紀国は南小倉駅の木町 木町  『おもしろ地名 北九州事典』 文理閣 1997年  P75 細川忠興が1600(慶長5) 年小倉に入部、同7年、小倉城築城にかかったとき、木材をここに集積、調達した。 木挽きや大工が住みつき木町。 また一説に、町方の火葬に使う木を出していたからという。 ...続きを見る

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2012/02/01 00:28
難波は 門司の大里
記紀・万葉を読めば、難波に出るには日下の直越えを通らねばならないので、難波津は要害の地である。 小倉城周辺の紫川の下流には日下の直越えに該当する地形はない。 ...続きを見る

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2012/01/31 20:17
神功皇后  難波
神功皇后 摂政2年2月 岩波文庫 日本書紀(二)  P158 ...続きを見る

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2012/01/31 20:16
小倉城 難波説
神功皇后 摂政元年2月 岩波文庫 日本書紀(二)  P160 ...続きを見る

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2012/01/31 12:23
出雲  岡垣町 ⇒ 芦屋町柏原 ⇒ 小倉 へ移動
岩波文庫 日本書紀(一)  P104 少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適しぬ。 亦曰はく、淡嶋に至りて、粟茎に縁りしかば、弾かれまして常世郷に至りましきといふ。 自後、国の中に未だ成らざる所をば、大己貴神、独能く巡り造る。 遂に出雲国に到りて、乃ち興言して曰はく、・・・・ ...続きを見る

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2012/01/23 19:47
君子国
@考  「獣を食ふ」 より、犬を食べていた壱岐の 原の辻遺跡 ...続きを見る

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2012/01/22 10:31
本当 の 迹驚岡  とどろきの をか
荘八幡神社  北九州市小倉南区中貫本町 御神体の 割れた大岩は神功皇后の裂田溝(さくたのうなで) だ。 荘八幡神社がある場所が迹驚岡(とどろきのをか) だ。 ...続きを見る

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2012/01/07 07:51
穴門
下関の古代地名の穴門は関門海峡に因むという。明治以前の関門海峡は岩礁が多くて今より狭かった。 九州の門司側は穴門とはいわない。 天石窟がある場所に由来する説、大穴牟遅神の国に由来する説もある。 ...続きを見る

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2011/12/29 08:29
海上国造 他田日奉直徳刀自
続日本紀 桓武天皇 延暦4年正月27日 D321 海上国造 他田日奉直徳刀自 ・・・・ 日奉の巫女である 注釈では下総国海上郡とされる。 ...続きを見る

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2011/12/26 06:30
近江の松原倉
続日本紀  称徳天皇 天平神護2年6月12日 C125 近江国近郡の稲穀5万斛を募り運びて、松原倉に貯ひ納むることを命しき。 ...続きを見る

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2011/12/22 12:32
北九州市 小倉南区 貫
貫(ぬき) の小字  一部 ...続きを見る

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2011/12/03 14:56
朽網 貴船神社の 船石
万葉集22 十市皇女の伊勢神宮に参り赴きし時に、波多の横山の巌を見て、吹芡刀自の作りし歌 河上乃 湯都盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常処女煮手 ...続きを見る

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2011/12/02 20:08
鹿嶋  北九州市 小倉
万葉集1669 三名部乃浦 塩莫満 鹿嶋在 釣為海人乎 見変来六 ...続きを見る

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2011/12/02 12:25
天石窟 の 神事   再考
天石窟   岩波文庫 日本書紀(一) P76 天石窟に入りまして、磐戸を閉して幽り居しぬ。 故、六合の内常闇にして、昼夜の相代も知らず。 時に、八十万神、天安河辺に会ひて、其の禱るべき方を計ふ。 故、思兼神、深く謀りて遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を聚めて、互に長鳴せしむ。 亦手力雄神を以て、磐戸の側に立てて、中臣連の遠祖天児屋命、忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇の真坂樹を掘じて、上枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中枝には八咫鏡 (一に云はく、真経津鏡といふ) を懸け... ...続きを見る

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2011/12/02 12:05
朽網の 御祖神社 豊若権現
苅田町 殿川ダムの北 相円寺 の洞窟は巨大過ぎる。 他に石窟を探すと、朽網の御祖神社近くに豊若権現がある。 大岩と清水がある。 ...続きを見る

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2011/12/02 02:22
熊襲  苅田町 小倉北区の熊本
来田見邑 を小倉南区朽網とみる。 ...続きを見る

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2011/12/02 00:44
荘八幡神社  小倉南区 貫
貫の荘八幡神社の鈴石は二つに割れている。 神功紀の 迹驚岡 大磐 裂田溝 だろう。 ...続きを見る

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2011/12/01 02:35
小倉南区 蜷田  淡海国
バス停 目倉  メグラ  東大野八幡神社の西 そのまた昔、雄略天皇病いのとき、豊国の物部兄奇という祈禱師を京都に呼び、祈禱させたところ病気平癒、天皇は兄奇に巫部(かんなぎべ) を賜姓、また兄奇を連れて上京した物部真掠(まくら) に大連(おおむらじ) の姓を賜わり、大野郷を無税の下賜田とした。 真掠がここに住んでいたから真掠谷、転音して盲谷になり、盲人がこの谷に迷いこんで死んだという口碑のもとになった。 『 おもしろ地名 北九州事典 』  文理閣 1997年 ... ...続きを見る

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2011/11/30 20:12
天湯河板挙
垂仁天皇 23年10月8日  天湯河板挙 湯川の地名は @ 岡垣町 A 小倉南区 にある。 ...続きを見る

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2011/11/30 03:16
豊前 帝都考
筑波山  小倉南区の竹馬(ちくま)川  二上は足立山と妙見山 平凡社の地名辞典 福岡県巻 ― 日本歴史地名大系 41 P1236下 着場(つくば) P1247上 着場の橋 P1252下 着場の湊 ...続きを見る

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2011/11/29 17:16
出雲
出雲という地名がある場所は、 島根県の出雲 京都府 綾部市 〜 南丹市 〜 亀岡市 は小字 「出雲」 が多い 長崎市の出雲 福岡県筑穂町の出雲 下関市菊川町下岡枝の小字「出雲」 山口県徳地町の出雲神社 ...続きを見る

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2011/09/12 00:42
崗本天皇
万葉集1665 崗本天皇は遠賀川河口の崗の人である。 ...続きを見る

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2011/06/28 04:21
石見国  高塔山
万葉集 135  辛乃埼 ― 脇ノ浦の浜田製塩遺跡 210  大鳥乃 羽易乃山 ― 小石の小字 「下ノ鴻」 「上ノ鴻」 211  相見 ― 小石の小字 「相見」 214  相見 ...続きを見る

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2011/06/23 07:01
内舎人 犬養宿祢吉男
万葉集1585   内舎人県 犬養宿祢吉男 平山乃 峯之黄葉 取者落 鍾礼能雨師 無間零良志 ...続きを見る

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2011/06/23 03:57
山背  高槻村
万葉集277 速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去奚留鴨 ...続きを見る

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2011/06/21 12:10
邪馬台国 宗像説
柿本朝臣人麻呂の、筑紫国に下りし時に、海路にして作りし歌二首 万葉集303 名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者 ...続きを見る

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2011/06/20 22:55
北九州市 若松区 の小字  (一部)
明治15年 字小名調  遠賀郡 より ...続きを見る

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2011/06/20 20:13
雄略天皇の吉野宮は若松区  竜光の滝
筑紫日向の高千穂宮は北九州市若松区の安屋 (あんや) である。 ※ その後の考察で、芦屋町の狩尾 (かりお) が有力な場所とみた。 ...続きを見る

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2011/06/20 06:52
邪馬台国は北九州市 若松区
万葉集の歌のルート は、 津屋崎の宮地嶽⇒宗像市(神湊、東郷)⇒宗像市名残⇒靡山⇒若宮町役場⇒宮田町役場⇒遠賀川の木屋瀬⇒中間市役所⇒折尾駅⇒本城の相坂池⇒県道277号⇒頓田⇒安屋の八幡神社⇒芦屋町の山鹿 ...続きを見る

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2011/06/19 22:14
万葉集2727  夏身の浦
万葉集2727 酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君 酢蛾島の 夏身の浦に 寄する波 間も置きて 我が思はなくに ...続きを見る

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2011/06/19 20:10
北九州市 若松区  小石比売命 (古事記)
淡海 は遠賀川の下流だった。 ...続きを見る

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2011/06/19 19:16
宮地嶽神社
日本書紀 欽明天皇 23年6月 岩波文庫 日本書紀 (三) P332 ...続きを見る

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2011/06/17 08:59
邪馬台国の場所は関門海峡
末盧国は大伴御津で津屋崎。 伊都国は宗像市 神湊のあたり。 邪馬台国は穴門豊浦宮があった関門海峡付近。 門司、彦島、下関市川中。 ...続きを見る

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2011/06/16 08:19
水島
海の正倉院こと、玄海灘の沖ノ島が万葉集に載ってないのはおかしい。 万葉集245、246 の 神さびる水島は 沖ノ島 か 厳流島 だ。 ...続きを見る

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2011/06/11 03:40
彦島八幡宮
小字  一部 ただし彦島以下は全部 ...続きを見る

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2011/06/11 01:11
特攻基地 蕪島
津村島の津村明神 ...続きを見る

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2011/06/10 22:13
ディスカバー ジャパン の旅
日本発見 !!!!!! ...続きを見る

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2011/06/09 03:02
吉野は北九州市 門司の大台ヶ原
吉野の場所は2つあるように思える。 ...続きを見る

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2011/06/08 23:48
邪馬台国は北九州市の 門司 だった!
Wikipedia より ...続きを見る

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2011/06/08 05:23
楽浪の志賀の韓ア = 出雲 = 淡海国 と 高天原 の場所
「石走り」 という小字は門司の周防灘沿岸と田川の石灰岩地帯にみられる地名である。山口県では田布施町の国森古墳の近くにあるだけだ。 ...続きを見る

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2011/06/07 22:25
門司 小字( 一部 )
福岡縣史資料 明治十五年字小名調 企救郡  より、一部を抽出 ...続きを見る

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2011/06/07 12:43
北九州市 門司区 大里 ( だいり )
ネット PDF  『 木簡からみた長登銅山の銅生産体制 』  より 奈良女子大学 竹内亮 ...続きを見る

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2011/06/07 02:01
難波 河内 吉野 三諸山 淡海
古事記の 畝火山 は下関市 伊倉の火ノ見山である。 以下、畝傍山=下関市 伊倉の 火ノ見山 とみて考察していく。 ...続きを見る

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2011/06/06 18:19
新下関の石原 から 長府の長門鋳銭所跡 そして 門司 ・ 小倉 へ
新下関の石原は万葉集3234、3235 の五十師乃原(いしのはら)。 ただし 五十師乃原 の場所は石原と有冨の境目、江戸時代の旧道の山坂の中にある。 岩谷(いわや)の山 のあたりになる。 ...続きを見る

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2011/06/05 14:43
先代旧事本紀より
先代旧事本紀 巻第一 大野七三編集 P31より ...続きを見る

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2010/07/30 19:41
筑前国嶋郡戸籍川辺里
「筑前国嶋郡戸籍川辺里」(大宝2年 正倉院 重要文化財)は邪馬台国糸島説を唱える人には最重要な史料である。 ...続きを見る

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2010/07/30 12:53
遠賀川の下流
岩波文庫 書紀2巻 P76  諸県君泉媛 ...続きを見る

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2010/07/28 21:52
万葉集の越国
万葉集の越国には、 遠の朝廷 二上山 があるので、万葉集では 筑紫=越国 である。 越国と筑紫は同じ場所である。 ...続きを見る

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2010/07/28 18:03
マグロ漁で沸きたつ兵庫県明石市の藤江
万葉集の正統的(きちんとした)解釈では兵庫県明石市の藤江はマグロ漁で賑わっている(万葉集938)。 これは絶対にありえない。妄想すらできない。 ...続きを見る

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2010/07/19 00:45
松本遺跡 (八幡西区永犬丸)
往古、洞海湾は遠賀川の水が流れ込んでいたのだから、淡水が混じる「淡海」である。 ...続きを見る

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2010/07/03 12:54

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