アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「佐世保」のブログ記事

みんなの「佐世保」ブログ


徐福の薬草

2016/09/13 19:54

姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり 邪馬台国や徐福に関心を示された 2014.4.14
http://blogs.yahoo.co.jp/koiiyk/31302118.html
  ↓
中国の古地図 日本国と倭が別に描かれている!

下関 遺跡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/nagata_ishimidou.html


記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626

日本列島は龍である(その2)
http://lucky2zacky.jugem.jp/?cid=18


徐福が探した薬草は何か
強精剤 「海狗腎」 を手にして家康は天下取りに成功した
http://kenkoubook.seesaa.net/article/389166374.html

ネットで検索せよ。 【 徐福 明日葉 】

東京都八丈島の巻
ttp://touyoko-ensen.com/mini%E2%80%90info/cook/ht-txt/793urasi-2.html
当店のあしたば製品はこちらからどうぞ
ttp://www.asakusa-kagetudo.com/modules/pico/index.php?content_id=9

明日葉(あしたば) は東京都 八丈島の原産である。
文献では唐人が値嘉島に来て香薬を採集していた記述がある。

『長崎県の地名』 日本歴史地名大系 平凡社
値嘉島 
P677中 左端
唐人らはまずこの島に寄って香薬を多く採集し、海浜に多くみられる奇石を鍛練して銀を得たり、磨いて玉に似せるために唐人がその石を好んで取りに来ていたらしい (「三代実録」 貞観18年3月9日条)
  ↓
 私見
論衡など 倭人、鬯艸を貢す。 ※暢草とも記される。

徐福が薬草を得た場所は
平戸島の南部、宇久島、小値賀島、五島、佐世保市 相浦 であろう。


福草、三枝 さきくさ
福草部
文庫書紀B130-7 補注15-8 P368下
サキクサが何を指すか諸説(山百合・朱草・葛草・薺苨等) あって不明。

文庫書紀D193上 注20

万葉集9041895 三枝(さきくさ)

萬葉集索引 新 日本古典文学大系 別巻  岩波書店
枕詞索引 P516左 「さきくさの」

『万葉植物文化誌』 木下武司 著  帝京大学 薬学部教授
三枝はイカリソウであるとする。


私見
福草、山百合 説
山百合といえば、古事記の 
七媛女 高佐士野 伊須気余理比売 大久米命 黥ける利 佐韋
の箇所と繋がる。

ここにその伊須気余理比売の命の家は、狭井河の上にあり。 天皇、その伊須気余理比売のもとに幸行でまして、一宿御寝したまひき。
  ↓
雄略紀の童女君と似る出来事である。  文庫書紀B24-末行
登場人物の名に「目」 がつく。
春日和珥臣深
物部大連


学研 新漢和大字典 (普及版) 2013年
 ゴン
八卦、六十四卦の一つ。
うしとら、東北
解字 会字
「目+ヒ(小刀、ナイフ)」 で目のまわりにいつまでもとれない入れ墨をすること


水野杏紀 著
『東アジアの宇宙論 易、風水、暦、養生、処世』  講談社選書メチエ
によれば、「艮」 が表すものは
止、山、少男、狗、手、立春、八、
東北 万物の終りの成す所にして始めを成す所、循環の境界域

日本の古代史を徐福で解明するなら、徐福は方士だったので陰陽五行・風水を勉強しておく。


ユダヤ王国、ユリの花のコイン
http://www.parisii.jp/diary-detail/53


お薦めの本
ユダヤ、シュメール、騎馬民族に関する本
栗本慎一郎 著
『ゆがめられた地球文明の歴史』
『栗本慎一郎の全世界史』

徐福に関する本
いき一郎 著 『徐福集団渡来と古代日本』


雲に飛ぶ仙薬
万葉集847848
山の高い所、雲がかかる場所で得られる物か
雲飛山 訓み うねびやま のことか

竹取物語の考察 5
http://44051510.at.webry.info/201602/article_6.html




記事へトラックバック / コメント


東夷 − 暘谷 音楽 皮服

2016/09/05 02:02

神武天皇は実在した
文庫書紀B202-4  継体紀
文庫書紀D102-12  天武紀

壬申の乱で「神日本磐余彦天皇の陵」 が出てくる。


膏腴
隋書俀国伝 土地は膏腴にして

文庫書紀B202-12 土地膏腴えて
文庫書紀B216-6 膏腴えたる雌雉田

常陸国風土記 総記 風土記357-4 物産の膏腴くになり


東夷
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku8/izenwa1.html

暘谷 ・・・ 隋書俀国伝 「日出ずる処の天子」
燕 ・・・ 土井ヶ浜弥生人か

暘谷を「東の果てにあって朝日が昇る地」 と見て、茨城県の鹿島神宮に比定する人もいる。
暘谷について書かれた本としては、
『「日本」 国はいつできたか 改訂版』 大和岩雄 著 大和書房  P87

蓋国
@考 土井ヶ浜の小字「釡蓋」(往古は「亀蓋」)
A考 蓋井島

東夷の音楽 弥生の土笛(陶塤)


[PDF] 資料
xufu.sakura.ne.jp/2015-7ronbun-maeda.pdf  の P8
志賀島出土の金印に根津日子命

陸国風土記 総記 風土記357-5 古の人、世の国と云へるは

万葉集で「常」 の字
 
3236 

1682 之倍尓 夏冬往哉  扇不放 山住人
  ↓
『尚書』 の 島夷、皮服す。

下関市豊田町の矢田遺跡(弥生前期 B.C.150年頃) から鞣(なめし)革用石器が出土している。
下関市 豊田町矢田は弥生前期では革の大産地だった。


本を購入
『倭人伝を徹底して読む』 古田武彦 著 ミネルヴァ書房
『邪馬一国への道票』 古田武彦 著 ミネルヴァ書房


長崎県か
古之  平戸島の南部
根獅子は慶長国絵図では禰子古村

古田(こた) 現 辻町、神船町、大佐志町、無代寺町
  ↓
万葉集の「古之」 こしの国

山海経 海外東経 の最初、長差丘は平戸島 南西部の佐志・志々伎か。
野子町の西側、高島の海岸で瑪瑙が拾える。
長差丘は佐世保だろうか。


越中国  佐世保市 相浦川
万葉集3881 大野路
この場所は佐世保市 大野町である。
松原町の淀姫神社(祭神 豊玉姫命) のヤモード神事は山人、山の神

万葉集3884 皮服 
        ↓
『尚書』 島夷、皮服す。

佐世保市 下本山町の四反田遺跡、門前遺跡は拠点集落だった。
万葉集の越中国は佐世保市相浦川流域である。

佐世保市の箱式石棺は下関市、宗像市と同じ。
長崎市、大村市の箱式石棺は短い。

台与が献上した大量の真珠は佐世保市 宮津町、大村湾、値賀島、五島の産であろう。


日向 高千穂
万葉集38813884 の「越中国歌四首」 は竺紫日向高千穂を想起させる。
佐世保市の箱式石棺墓は下関市、宗像市と形が同じ。

竺紫日向高千穂宮は佐世保市の相浦と考えられる。
大潟の高岳 ・・・ 竹嶋
高島町の宮ノ本遺跡 ・・・ 山幸彦が訪れた海神(豊玉彦) の宮
  ↓
北海道 有珠モシリ遺跡の貝輪

佐世保市 大潟 では水銀山があり、小字「水ノ浦」 は水江浦島子か。
平戸島の南端、小田町の船越に海亀信仰がある。

佐世保市には洞窟遺跡が25か所もある。

魏志倭人伝の伊都国は佐世保市 相浦川下流か。


(参照したサイト)
原始時代の佐世保人
http://www.lifesasebo.com/99view/supesyaru/special/142/special142.html
佐世保 高島 宮の本遺跡: 仮称リアス式
http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-f1a0.html

長崎県の遺跡大辞典
四反田遺跡
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/30

門前遺跡(もんぜんいせき) 佐世保市愛宕町・中里町
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/35

宮の本遺跡
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/29


相浦水銀
佐世保市 大潟町 相ノ浦水銀山についての記録は江戸時代 弘化3年(1846) からであり、それ以前の記録、言い伝えは佐世保にはない。

松浦市の不老山に徐福伝説があり相浦水銀の言い伝えがある。

松浦市 不老山の解説看板 より
紀元前3世紀 中国の秦の始皇帝の命を受け、徐福が不老不死の薬を求めて、この山に登ったという伝説があります。 しばらくここにとどまり不老不死の薬を探したことから、この山を不老山と言うようになりました。
日本ではただ1カ所 佐世保相浦白玉山で産出した自然水銀をもとに、この地で仙丹(不老不死の薬) を作ることに成功したので、それを中国に送り王侯・貴族の人々に珍重されたと言うことです。
はじめ、欽明天皇24年(563) 山頂に不老権現を祀りその後、大宝2年(702) 徐福の教えを修得した「役小角」(えんのおつの) が徐福をあとを慕って不老山に来ました。 山頂でシメを張り 紫燈護摩の法を修し、熊野権現を祀りました。 その時の座前石( 1 m ) と思われる石が伝わっています。
現在、里免にある寿昌寺は、はじめここに創建されたようです。

松浦市・松浦市教育委員会・松浦市観光協会


松浦市
今福町「中ノ瀬」 に渡来系の住居跡か

星鹿町 星の神 香香背男 文庫書紀@120-9、136-6
龍尾川という川の名は興味深い。 草薙剣は八岐大蛇の尾から出た。

松浦市の民話・伝説
http://44051510.at.webry.info/201102/article_38.html

鷹島  日本山 (75.4 m)




記事へトラックバック / コメント


万葉集 耳無の池

2012/02/01 12:41

万葉集3788
耳無の 池し恨めし 我妹子が 来つつ潜かば 水は涸れなむ

耳無の池は恨めしい。あの娘が来て身を投げたら、水は涸れてほしかったなあ。


この耳無の池は河童伝説がある石原の池である。
河童は川や池に近づいた人や馬を水の中に引きずりこんで食べてしまう。
原始古代の中国には食人の習慣があった。

※ 河童伝説の石原池は埋められて今はない。

この歌の娘子の名は
日本書紀 天武天皇下 8年8月22日
岩波文庫 日本書紀(五)  P154
造忍勝
「縵」 の字が同じである。
万葉集の縵児は天武紀の縵造忍勝の家系であろう。
「縵」 の字は万葉集423 にもある。

天武紀 同ページの
迹見駅家 ・・・・ 有冨の廃業したパチンコ屋の場所に昔、馬場があった。

Google で、【  長登銅山 門司  】 を検索して、そのPDF論文からの引用
天平宝字4年(760) の 『造金堂所解』 に「登美銭司村」 から法華寺まで炭を運んだ際の記録があり、この「登美銭司村」 は現在の奈良県生駒市と大阪府四候畷市の市堺付近に所在した「田原鋳銭司」 と関係する村と理解されている。
この登美銭司村は有かも。
有冨の字 「金鋳ヶ谷」 は昔銅山で、ここで採れた銅を長府鋳銭所まで運んだ言い伝えがある。
門司の大里にも 「金鋳小路」 という字名がある。
下関市の有冨と門司の大里の字地名が共通し、関係あり。

登美の那賀須泥比古は有冨の人


万葉集52
耳無山は青山
畝火山は火の見山
日本の青香具山は長府鋳銭所跡の山 (覚苑寺の山)
藤原京は住吉神社公園の天満宮のあたり


天にある神楽良の小野  万葉集3887、420
@考 下関市の小野 (小野妹子の親類が来た、という言い伝えあり)
A考 福岡県 岡垣町 内浦 (鶉より)
B考 佐世保市 相浦川下流の小野町

佐世保市の水銀鉱は自衛隊駐屯地内の字 「水銀山」 だけでなく、陸上競技場の場所にもあったようだ。

五島の北、小値賀島の東隣に位置する野ア島には、年々大きくなる「生石」 があり、重要な場所だ。
続日本紀  光仁天皇 宝亀9年12月12日
大隅国の大穴持神の神社は小値賀町 野ア島の「生石」 と思う。

小値賀島は天智天皇の淡海国の候補地である。




記事へトラックバック / コメント


高天原穴門説  佐世保

2012/01/30 12:12

穴門は佐世保市であり、神功皇后こと台与(壱与) は穴門豊浦宮または松浦(末羅) で魏に貢上する大量の真珠を調達した。
越(高志) の角鹿は平戸島西端の志々伎または宇久島である。
気長足姫尊(息長帯日売命) 自身が九州西海の真珠の産地出身であった。

熊鰐・五十迹手は穴門に出向いた時に天磐戸の儀式で天皇皇后を迎えているので、高天原は佐世保市の水銀鉱床(陸上自衛隊相浦駐屯基地内) だ。

万葉集3157 より、安河は海に流れている。
天安河は佐世保市の相浦川である。

天香具山の近くには「香具山の池」 がある。
福岡県岡垣町の高倉神社裏の高津山を天香具山としたら、池は2キロ以上先の門田池になり遠過ぎる。高津山は天香具山ではない。


高天原 ・・・・ 水銀鉱がある佐世保市の相浦川流域
筑紫 ・・・・ 岡垣町 笠沙は松原砂丘

魏志倭人伝の卑弥呼は天照大神でもあり、穴門豊浦宮から「筑紫」 の場所である岡垣町に戻った神功皇后でもある。
、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行10日陸行1月。
この場所は佐世保市相浦川流域である。

、投馬国に至る水行20日
陸行がないので離島であり、五島列島南端の玉之浦。
福江島では弥生時代から牛が飼われており、大規模貝塚もあり、宇久島にかけて遺跡が多い。

天然真珠貝が生息していた場所は、
鹿児島県 甑島 上甑村瀬上 の貝池
五島の玉之浦
対馬の玉調
の3か所である。

長崎県は会稽東冶の東にある。
東シナ海に面してなければ「当(まさ)に会稽東冶の東」 とはいえない。


後の隋書倭国伝では倭国の都は竹斯の東方向へ、秦王国を経て10余国の後である。
秦王国は福津市の宮地嶽・津屋崎である。
この記述から倭国の都は山口県方面にある。

魏志倭人伝の旁国は瀬戸内海沿岸を大阪湾方向へ向かい、最初の斯馬国は山口県東部の上関町付近である。



記事へトラックバック / コメント


女王国 の東

2012/01/29 14:58

魏志倭人伝
女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。

女王国は福岡県岡垣町の波津 (「初」 とも書かれた) である。
波津から下関の蓋井島方面を見ている。
伊都国の場所もほぼ同じ。


南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行10日陸行1月。
7万余戸ばかり。


@考  この邪馬台国は穴門豊浦宮で、場所は佐世保市広田の住吉神社のあたり。
穴門は佐世保市である。

A考  神功皇后が都した所は磐余若桜宮である。
下関市の秋根・石原のあたり ?
(理由)
勝山の形が象に似ているので、万葉集の「吉野の象の中山」 である。
石原橋の下に砂防ダムがあり、もと急流があった場所だろう。また、サンデンバスの石原車庫前は綾羅木川の急流である。吉野の迹驚淵(とどろきふち)に該当する場所がある。
吉野に入る手前に磐余があるので、磐余は秋根・石原だ。

岩波文庫 日本書紀(五)  P154
天武天皇下 8年8月11日
泊瀬に幸して、迹驚淵の上に宴したまふ。
泊瀬の音より岡垣町の波津に近い手野の滝も考えられる。
迹見駅家 ・・・・ 小倉北区の富野、下関市の冨任・有冨

山口県西部(旧豊浦郡) は神功皇后の伝承が多いので、倭国の都は豊浦郡と思える。

 
日本書紀 允恭天皇 42年11月
ここに新羅人、恒(つね)に京城(みやこ)の傍の耳成山・畝傍山を愛づ。
美しい形の山が2つある場所は新下関だけである。
耳成山 = 新幹線 新下関駅から見える青山
畝傍山 = 伊倉の火ノ見山
※ 畝傍山は古事記では畝山。火の見山はの見山とも書かれた。

奈良県の大和三山は新羅人が愛でる姿をしていない。
来訪の外国人が褒める山が1つでなく2つあることが都の条件である。

長府に和同開珎の鋳銭所があった。
日本初の鋳銭所が都から遠いはずがない。
和同開珎の鋳造遺跡が見つかっている場所は下関だけである。




記事へトラックバック / コメント


角鹿 から 穴門豊浦宮 へ

2012/01/28 22:08

岡垣町 高倉神社の境内社に志々岐神社があり、これは長崎県平戸市西端の志々伎神社である。

神功皇后は、
三韓征伐の前 ・・・・ 肥前松浦に出向いた。
三韓征伐の後 ・・・・ 産まれた応神天皇の禊をするために、越(高志) の角鹿の笥飯(気比)大神に出向いた。 一説に、応神天皇は住吉神との不倫の子という。 ならば禊が必要だろう。

角川ソフィア文庫 新訂古事記 平成13年 41版 の P128
御食津大神についての脚注で、「この地方から漁撈の産物が貢上されるに至った起源説話とみられる」 とある。

この場所は考古学より、長崎県 宇久島の宮ノ首遺跡である。
宮ノ首遺跡
宇久島の西端、南向きの入江に臨む貝塚。
平成2年 (1990) に発掘調査。
縄文時代前期から弥生時代中期後半、平安期・鎌倉期の遺物が発見されているが、主体は古墳時代末期から奈良期にかけての玄海灘式製塩土器などを含む須恵器・土師器類である。
貝塚では大型のアワビ貝の純粋貝層がみられ、「肥前風土記」 値賀島の条にみえる干鮑の貢納を裏付けるものといえよう。
また中国製陶磁器片(青磁・白磁)も出土。

『長崎県の地名』 (平凡社の地名辞典)  P570下

まさに、万葉集366 の場所だ。
角鹿の津に船に乗りし時に、笠朝臣金村の作りし歌一首
越海之 角鹿乃浜従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 安倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 独為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎

※ 万葉集の本では原文の漢字に「ふりがな」 が振ってあるので、訓み下し文よりも情報が多い原文のほうが読みやすい。 ひらがなの訓み下し文は難解で、関西人流の解釈だ。

万葉集366 からは角鹿は平戸市の志々伎神社と思える。
手結ヶ浦は宇久島の宮ノ首

旦浜 ― 宇久島 平郷 旦ノ上

Google 画像 で検索せよ。  【  志々伎山  】
志々伎山は「角鹿」形の山そのものである。

宇久島の沖に舟を出せば、海流で一晩で対馬に到着するという。
遣唐使船は宇久島から渡海したという。



日本書紀 仲哀天皇2年3月15日
岩波文庫 日本書紀(二)  P124
天皇、南国を巡狩す。

越の角鹿が長崎県佐世保市 宇久島 本飯良の宮ノ首 または平戸市の志々伎神社なので、仲哀天皇が巡狩した南国は長崎県 〜 熊本県である !!!!!

勒津宮の「徳」 の字の地名は、佐賀県・長崎県・熊本県・鹿児島県、いずれもあるので、未詳。

穴門豊浦宮の場所は住吉神に関係するので、佐世保市 早岐瀬戸の住吉神社近くである。 佐世保市の住吉神社は「古くは西海総社住吉宮と称す」 で、格が高い。
穴門は早岐瀬戸と大村湾の出入り口である針尾瀬戸である。
※ 針尾瀬戸には志賀海神社がある。

穴門は関門海峡の山口県下関市ではなく、長崎県佐世保市だ。

角鹿出身の神功皇后は、宇久島の宮ノ首、または平戸市の志々伎の人である。

魏志倭人伝で台与は白珠5000孔の真珠を献上している。
真珠は宇久島周辺で採れたものだろう。

宇久島では真珠貝でなくアワビ貝を使った真珠養殖が行われている。
宇久島はアワビの漁獲量が日本一である。

真珠養殖が盛んな場所は、九州西海の佐世保の九十九島と大村湾である。
神功皇后が三韓征伐前に出向いた松浦や三韓征伐の後に帰国にして出向いた越の角鹿は、魏志倭人伝で台与が献上した莫大な量の真珠の産地といえよう。




記事へトラックバック / コメント


邪馬台国はどこですか

2011/05/15 15:32

邪馬台国の位置は、万葉集1668〜1673 より佐世保市です。

万葉集1669 三名部(みなへ)之浦 ― 佐世保市船越町の小字「鍋之浦」

鍋之浦の場所は市立船越小学校の南側から海岸にかけて


渡来人という言葉は在日マスコミと考古学で使われるものである。
渡来人様の在日マスコミ。
日本書紀では渡来人は王仁ぐらいしかいない。

日本書紀では、朝鮮半島、中国、ベトナム、沿海州から渡来したボートピープルはみな逮捕されて、東国へ強制移住させられている。
倭国は排外主義であり、韓人との混血融合はあまりなかった。
このことから、日本書紀の国は関西ではなくて、縄文人的形質が濃い長崎県・佐賀県西部(西北九州型人骨)である。

北部九州型人骨である筑後川流域の弥生集落でも、朝鮮半島からの渡来人は集落の端の条件の悪い場所に住んでいた。
― 小郡市教育委員会の遺跡調査に基づく見解

邪馬台国(倭国)の所在地は肥前であり、話されていたのは肥前方言だった。

※ ただし上記の私見には、人骨研究の弥生時代と日本書紀の古墳時代・飛鳥時代は時代が異なるという考察欠陥がある。


倭国の朝鮮半島出兵
白村江の戦いなど、日本書紀には途中の寄港地や兵站の記述がない
地政学から、倭国は渡海の地である平戸市または基地の町佐世保にあった。


日本書紀
継体 24年9月 に、
「 (毛野臣は) 吉備韓子那多利・斯布利 を殺し、
大日本の人、蕃の女を娶りて生める子を、韓子(からこ)とす 」

吉備は韓人と縁がある ⇒ 隋書倭国伝の秦王国か
「大日本」という言葉が登場する。
※ 吉備の国は岡山県ではなくて、平戸市の中心街である木引田町か。
歴史的に平戸は中国貿易で栄えた町である。

雄略 9年3月
蘇我韓子宿禰


記事へトラックバック / コメント


宇久島の方言

2011/04/14 01:26

長崎県立図書館の蔵書検索 で、宇久島、小値賀島の古代に関する本はないか調べたところ、『 宇久方言で「魏志倭人伝」を読む 』 があった。月川雄次郎 という方が書かれた郷土史本で、平成9年9月の発行である。

さっそく入手して何が書いてあるか読んでみると、

宇久島から対馬に渡るには、夕方島の西の海に船を出し、エンジンを止めておくと、一晩の内に対馬の到着するといわれている。

宇久島の方言は日本語の起源を解明する最も重要な方言である。

従来の国語や言語学の研究はすべて古事記、万葉集以後の古典の研究に終始し、それ以前の日本語の原形が地方の方言に残っていることに全く無関心である。宇久方言の子音音節または閉音節は日本語の原形を示す唯一の資料である 。

宇久方言には朝鮮語の語彙はないが、漢字の字音語がとても多く、その発音は朝鮮語に近い。宇久島では西暦紀元前から漢字が導入されていたとみれる。日本語は関西で生まれたものではなく、朝鮮訛りの字音語を取り入れた宇久方言がルーツである。宇久方言を調べることによって現代語の語源までわかる。
日本語の研究をされる方は、まず宇久方言の研究をされることをお勧めする。

といった内容である。

宇久島には漢字の言葉がとても多い。
たとえば、
「おやおや」は宇久島方言で「おしゃん」であり、「大思案」から
「さよなら」は宇久島方言で「ざとえ」であり、「坐遠へ」から
「追いつく」は宇久島方言で「えとづく」といい、「追到着く」
宇久島の言葉「あとと」を漢字で書くと「嗚呼尊」
これらが朝鮮風の発音でしゃべられている。
漢字の熟語が日本語になり、発音は朝鮮風だという。

共通語の「よちよち歩く」は「幼稚・幼稚」から。日本語の語源に漢字がある。

倭人は朝鮮半島の市場とも取引していたし、伊都国には中国の役人も駐在していたのだから、魏志倭人伝の倭には漢字が地名をはじめ普及していた。漢字は朝鮮風で発音され、宇久島方言になった。通説のように漢字は西暦400年代に伝来したとみる説は誤りである。伽倻国の時代から漢字が伝来し、北部九州と伽倻は連合国だった。 ※ 伽倻は任那の古称

「卑狗」は副で 副官
「卑奴母離」は 船守 または 鄙守

「周施すること5千余里可りなり」 は瀬戸内海の状態

弥生時代の人口分布から、
邪馬台国は畿内
投馬国は島根県出雲地方

と著者は語る。
高天原は「高ハンパル」が語源で、場所は朝鮮だという。



記事へトラックバック / コメント


小値賀島 が伊都国

2011/03/30 01:50

当ブログは地名を第一に考えて、思いつき(あてずっぽう・ご都合主義)で邪馬台国の位置を推理する編集方針である。比定地をころころ変えることで、比定場所がそこでよいのかシステムを動かしてみる。「下手な鉄砲も数撃てば当たる」方法論を採るので、命中率よりも何発撃てるかが力量である。1000発撃って1発でも当たれば、既存の正統的な学問世界は崩壊する。
学術研究者の学会は福島原発と同じく、なれあい踏襲と事無かれ主義である。

学問のやりかた は、たとえば
Google で 「 京都大学 国文学 演習 」 で検索して、教授先生のメッセージ

国語学国文学というのは、皆さんよくご存じの、万葉集、源氏物語、平家物語、西鶴などの作品を研究対象としています。それらの古典がどのような世界を描いているのか、登場人物はどういう造形がなされているのか、作者はどんな人であったのか、外国文学の影響があったのかなど、文学にまつわる様々なことがテーマとなります。昔の人々の喜怒哀楽が描かれたのが古典作品ですから、そこでは人間というのはどういう存在かという、深い考察が必要となることもあります。

ただ、国文学の研究は、評論ではありませんので、実証的な研究、証拠を提示しながら論を立ててゆく必要があります。そういう方法は演習という授業で訓練します。テーマや理論、古典世界については特殊講義で学びます。国語学は、古典の中の日本語を分析して、古代日本語はどんな発音をしていたのか、どんな文法体系であったのかなどを研究します。国語学でも、演習で方法を学び、特殊講義でテーマや理論を学びます。

日本の古典には有名なものも多くありますが、一般には名前の知られていない作品も多くあります。そういう作品は、写真や原本に当たって分析する必要があります。ほとんど研究されていない古い資料を自分の力で発見し、分析してゆくことも、大きな喜びです。どの時代でも、高校時代に学んだ古典文学の世界よりも、はるかに広い言葉の世界があります。そのような言葉を学ぶことによって、古代から現代までのそれぞれの時代の人の心を知ることが、国語学国文学という学問の目標です。


学術研究の手法では邪馬台国を見つけるのは無理だと思う。
「白猫でも黒猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」(ケ小平)で、思いつきのあてずっぽうでも、邪馬台国の位置を見つけた者が偉い。

私自身の地名探究にあたり、「記紀の天の斑馬とは小値賀町の斑島産の馬である」が自説の原点(出発点)なので、天照大神がいた高天原は斑島付近にあると言いたい。もちろん、斑島から馬の骨は出土していない。

末盧国 ― 斑(まだら)島
伊都国(戸数 千余戸) ― 小値賀島

宇久島 本飯良 の宮ノ首遺跡から末盧国の記述と同じ潜水漁による大型アワビ貝が大量に出土している。5世紀の馬の骨も出土している。
宇久島は牛や馬の放牧に適した草原が広がっている。
宇久島を末盧国(4千余戸)に比定してもよいが、斑島を末盧国とする。戸数4千余戸や里程論は誤りとみる。


小値賀島については Google 「 小値賀観光情報 」 で検索してください。



記事へトラックバック / コメント


石川郎女 の家は光海中学のあたり

2011/03/24 05:18

(1) 久米禅師に求婚され、歌を贈答した。天智朝の人
(2) 大津皇子と歌を贈答した。持統朝の人。

(3) 大伴宿祢安麻呂の妻
大伴坂上郎女の母
石川(内)命婦
内命婦石川朝臣
大家石川命婦
佐保大伴大家
ともいう。
諱を邑婆、
安倍朝臣虫麻呂の母 ― 日野川下流の左岸に「虫太郎」の小字がある。
安曇外命婦と同居の姉妹。
※ 岩波 萬葉集別巻 人名索引 より
 

安曇氏は種子島〜東シナ海〜玄海灘 の貝輪文化の海人なので、安曇外命婦と同居する石川郎女が奈良県に居るはずがない。

赤アの畔岩川〜福石川が万葉集の中心的な歌場である。

都合よく解釈して、
白南風(白波江)町 ― 水郎
若葉町 ― 若=少 少彦名命
白木町 ― 新羅か


高句麗の広開土王碑の碑文 によれば、
「 倭は391年よりこのかた、海を渡りて百残(百済)□□□羅を破り、以て臣民と為す 」

倭の所在地は植民地獲得の基地の町 佐世保 である。


記事へトラックバック / コメント


タイトル 日 時
白縫 筑紫  箸墓を発見 !!!!!
しらぬひ 領(し)らぬ霊(ひ)が「付く」の意で同音によるか →筑紫の地名 336 794 4331 (岩波書店 新日本古典文学大系 萬葉集別巻 枕詞索引 より) ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/23 07:56
再び 出雲 淡海
佐世保で大穴といえば須佐神社の大洞窟 ― 大穴牟遅 佐世保は霧が多い ― 出雲 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/22 05:31
万葉のふるさと 佐世保
万葉集 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/21 07:17
佐世保の坂
平戸往還 ― Wikipedia より ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/21 02:14
近江  万葉集3236〜3241
淡海は候補地が10か所くらいあるあるけど、今のところ、第一候補は水銀鉱がある佐世保市 大潟町 に比定しよう。 根拠は万葉集3239 の八十島 を九十九島とみなす。 相坂は松浦市の地名である。大潟町は相浦川が流れるので、川の流域を相坂のいえないこともない。 「楽浪の志賀の韓ア」、大潟町の志田、松浦市の志佐。 ほかにもいろいろ考えられる。 淡海には八十島があることより大潟町とする。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/21 01:37
基地の町 佐世保
弩 ― Wikipedia より ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/20 22:10
佐世保市 天神 馬頭神社の「馬頭」
馬頭 − Wikipedia より ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/19 10:00
佐世保市 福石 ( ふくし )
昔の福石村 福石町 稲荷町 大宮町 東山町 大黒町 干尽(ひづくし)町 若葉町 潮見町 白南風(しらはえ)町 須田尾町 藤原町 山祇(やまづみ)町 木風(きかぜ)町 大和町 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/19 08:44
佐世保市の馬氏川
記紀では松浦は九州西端で、奈良県の都から最も遠い最果ての地である。 しかし万葉集の松浦は奈良の都の近くの場所として詠まれている。 万葉集1143 ・ 3173 では松浦船が穿江(ほりえ)をこいでいる。この穿江は難波の堀江かもしれない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/18 18:57
佐世保市 松浦町
万葉集853〜875 の松浦は奈良の都の近くにある。 松浦は佐世保市中心街の松浦町である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/18 09:03
対馬出身の大国主神
日本書紀 天武紀下 3年3月  岩波文庫 日本書紀(五) P118 対馬国司守 忍海造大国言さく、「銀始めて当国に出でたり。即ち貢上る」 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/17 17:35
伊都国
伊都国 は佐世保市の中心街で 高天町 のあたり。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/17 08:34
天石窟 発見 !!!!!!
今度こそ本当に天照大神の天石窟を発見しました !!!!!! 場所は佐世保市の中心街から少し離れた高梨町の  須佐神社の大洞窟 です !!! !!!!!!!!!!  !!!!!! !!!!!!!!!!!!!! ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/17 07:35
大伴坂上郎女
佐世保市 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/17 05:55
泉  阿都扉
佐世保市 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/17 04:54
葦北の野坂
万葉集246 長田王は日本書紀 神代上 にある天照大神の御田である長田 岩波文庫 日本書紀(一) P74 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/16 22:14
大陸進出の鎮守府 佐世保
大陸寸出の軍港佐世保観より、金比良町付近を中心に置いて、地名比定場所を再編したい。 合理的に考えて、軍船集結に最適な場所は米軍の佐世保港だから、淡海の大津は佐世保港になる。 石走る淡海国の場所 は 小島町−神島町−御船町−金比羅町−立神町−平瀬町−万津町−三浦町 で、佐世保重工がある所から佐世保中心街である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/16 08:10
隠居岳 (かくいだけ)
佐世保の隠居(かくい)岳  670メートル ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/16 01:02
葛城二上山
佐世保市 重尾町 金田川の上流に二ッ岳がある。 この二ッ岳が万葉集165題詞 の葛城二上山だ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/15 12:11
九州王朝の早岐瀬戸
天安河 ― 花高皆瀬の小川 天漢(あまのがは) ― 小森川または金田川 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/14 21:09
万葉集の熟田津は早岐温泉 (広田温泉)
万葉集7 明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇 ⇒ 重尾町 額田王 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/14 19:40
記紀・万葉は早岐瀬戸の郷土史
邪馬台国は大陸進出の 軍港佐世保 にあった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/14 05:13
邪馬台国 の位置
邪馬台国(記紀・万葉の場所)は佐世保市 早岐瀬戸の広田である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/13 21:29
佐世保市 皆瀬
@  皆瀬(かいぜ)町 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/13 17:37
佐世保市 広田の洞穴
Google  「 広田城 洞穴 」 で検索してください。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/13 14:56
佐世保市 三川内
万葉集1717 三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手潮(湖) 干兒波無尓 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/13 13:41
難波 ( 佐世保説 )
@案 龍田 ― 瀬戸越 桜木町 ? 大伴御津 ― 万津町 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/13 04:27
橘の小戸 ( 佐世保説 )
古事記で、速須佐之男命 ⇒ 速来宮(はやくぐう)の早岐(はいき)神社 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/13 01:19
「 あをによし 平山 」 は水銀山
邪馬台国 = 伊都国 で、陳寿は邪馬台国の戸数わずか千余戸とは書けなかった。 山海経の扶桑の地は縄文時代にカルデラが大爆発した鹿児島なので、陳寿はお咎めがないように邪馬台国を鹿児島に置いた。 ※ 扶桑の木は種子島に多いアコウである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/12 18:16
新たな大伴御津の候補地 と 軍港佐世保
美津 3593 3722 68 3627 3721 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/12 05:24
高天原の候補地
高天原の場所探しは天石窟と天真名井があることが条件。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/12 01:06
邪馬台国は伊都国だった
伊都国の位置は佐世保市 相浦。 水銀鉱がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/11 21:44
生駒山を発見
真(ほんとう)の生駒山は小佐々町の 足毛馬 (174メートル) だ。 小佐々町には地名の 葛籠(つづら)免 がある。 これが葛城。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/11 20:45
新たな難波の候補地
真(ほんとう)の難波 は平戸市 田平港だと思っていたが、新たな難波候補地が出てきた。 場所は水銀鉱がある佐世保市 相浦 である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/11 20:27
伊都国より先は不明
当ブログの編集方針は記紀万葉の記述を基に魏志倭人伝の邪馬台国の位置を発見しようとするものである。 伊都国は水銀鉱がある佐世保市 相浦で決まり。 それから先の 奴国 不弥国 投馬国 邪馬台国 狗奴国 は位置不明だ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/10 21:06
天智天皇の淡海国  佐世保市
佐世保市 相浦川下流 の水銀鉱がある場所は間違いなく魏志倭人伝の伊都国であるが、高天原でも出雲でもないとみていた私見はおかしい。 大局的に考えて、中国皇帝が最も欲しい物は朱と金である。 漢委奴国は朱または金を産するから金印を授受された。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/10 04:35
平群文屋朝臣益人 3098 左注  佐世保市
平群氏は佐世保の水銀鉱で真朱を採掘していた。 薦畳(3843) ⇒ 佐世保野球場の東(沖田免)の小字「畳石」にちなむ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/10 04:18
魏志倭人伝の伊都国 ?
魏志倭人伝の伊都国は水銀鉱がある佐世保市相浦〜下本山の遺跡になろう。 しかし高天原、出雲、日向高千穂の場所を考察すれば、私見では宇久島・小値賀島周辺になるので、魏志倭人伝の伊都国とは何かよくわからない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/08 01:15
邪馬台国 発見の大宣言!!!!!!!!!!!
Google で 「 野崎島 王位石 生石 」 「 王位石 」 で検索すれば、現地の人のブログで王位石(おえいし)を 生石 と言っていることがわかった。 これはもう、万葉集355 の生石村主真人の「生石」に間違いないと断定できる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/07 01:50
宇迦
天照大神の田 天狭田・長田 天垣田 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/05 20:25
宮ノ首遺跡 とは何か ( 佐世保市 宇久町 本飯良 )
伊勢 大量に出土した大型アワビ貝殻と製塩土器から伊勢の嗚呼見の浦 (= 讃岐の網の浦)である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/05 16:38
筑紫は宇久島の神浦
838年、藤原常嗣が乗る遣唐使船は宇久島から東シナ海を渡った。五島の福江島には行ってない。 神浦(こうのうら)に厳島神社があり、宗像三神を祀る。 万葉集446題詞より、筑紫は鞆の浦に近い。 万葉集の鞆の浦は小浜郷 下山の海岸のアコウの巨樹がある所だ。 浦島太郎伝説に似た話が伝わる。 宇久島北部の三浦が万葉集3869 左注 の美祢良久アである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/05 08:31
照島 と 邪馬台発見
古事記の天の斑馬、日本書紀の天斑駒 [ 岩波文庫(一) P74 ] は小値賀町の斑島の馬だとみて、「天」の場所は宇久島・小値賀島である。 宇久島の寺島は手羅島、照島とも書かれた。 寺島=照島 「照」の字より天照大神の地であろう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/04 22:51
高天原
「天」(あま・あめ)の位置 は古事記の天の斑馬、日本書紀の天斑駒 [ 岩波文庫 日本書紀(一) P74 ] からわかる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/03 00:49
漢委奴国  筑前朝倉橘広庭
漢委奴国の位置 @案 倭国の場所は平戸市。 倭国の極南界は平戸島の志々伎または野子。 A案 倭国を平戸諸島とみれば、南端は宇久島・小値賀島で、最南端(極南界)は小値賀島の笛吹−黒島郷になる。 検討した結果、漢委奴国の位置は宇久島の平(たいら)郷の海岸である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/03/02 12:58
真土山 と 石上振宮 の場所
まつち山 1019  又打山 古衣 石上振尊 手向為 恐乃坂  1680  信土山 ?     543  真土山 畝火 妹背乃山   −松浦市 境 から有田の陶土の山(皿山)へ向かう   3154  亦打山 −「速」より早福で、屏風岳の峠道   298  亦打山 −「盧前」(いほさき)は鮎川町の小字「山庵」 屏風岳の峠道 55  亦打山 調首淡海  屏風岳の峠道 3009  又打山 古人 −1019 に同じ ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/25 19:14
調首淡海
万葉集55  屏風岳と佐志岳の間の峠道が亦打山である ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/25 03:09
松浦市の不老山 が邪馬台国だ
松浦市 不老山には徐福伝説がある。 小字を調べると、不老山の小字は「平山」であり、万葉集29 の平山 に該当する。 不老山=万葉集29 の平山  これは天下の大発見である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/23 17:46
佐世保万葉集
万葉集 2702  飛鳥川 在勝申自  ⇒ 下本山の小字「真申」   2703  真菰苅 大野川原 ⇒ 大野町 2704  悪氷木乃 ⇒ 柚木付近 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/20 07:22
佐世保の水銀鉱 と 天の香具山 
佐世保市 大潟町の陸上自衛隊相浦駐屯地内に水銀鉱がある。 小字で「水銀山」。江戸時代に採掘していたようだが、原始古代に水銀を取っていたという物証や記録はない。 付近には江楯野鳥の森公園があり、高岳(85メートル)がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/19 12:18
高天原 ( =伊都国 ) の位置
天智天皇の淡海(近江)は五島列島(中通島以南)ではなく平戸諸島(小値賀島〜平戸島)であり、平戸諸島内で万葉集13〜15 が詠める場所は平戸市南端の野子にある志々伎である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/19 08:52
古田遺跡   小佐々町楠泊免  ― 難波宮 はここだ !
古田(ふるた)遺跡  『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P528中 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/15 07:07
平戸市周辺 〜 五島列島 ― 漢委奴国や難波・伊勢・筑紫 を大発見
平戸市は「旧唐書」倭国日本伝に「平湖島」とみえる。 『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P630下 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/15 06:27
松浦市の民話・伝説 ⇒ 出雲と高天原の大発見
松浦市のホームページ及び松浦市の民話を検索してみると、 不老山に徐福伝説がある。 志佐町横辺田免に八岐大蛇伝説がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2011/02/13 14:09
野生動物 はびこる
佐世保といえば、アライグマが増殖中で被害が増えている町。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2010/04/07 03:56

トップへ | みんなの「佐世保」ブログ

邪馬台国 下関 佐世保のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる