邪馬台国 下関

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zoom RSS 下関市有冨の岩谷さん宅は斉明天皇の帝闕である。

<<   作成日時 : 2017/03/03 08:55   >>

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有冨上
邪馬台国の場所、すなわち記紀・万葉の飛鳥は下関市有冨の中村である。
集落では高い位置にある家が村長の格。

中村さん旧宅跡の空地に邪馬台国があった。
火事の後、下に移動した今の中村さんの家 小墾田宮、橘寺

儀万さんの家 飛鳥浄御原宮  文庫書記D148‐9 西門に射ふ。
岩谷さんの家 後飛鳥岡本宮

文庫書紀C340-7
秋7月の辛巳の朔甲申に、蝦夷200余、に詣でて朝献る。

「闕」 を漢和辞典で調べる。
岩谷さん宅の石垣が斉明紀の記述である。 重要文化財指定にあたいする。
有冨の岩谷の家は斉明天皇が造営した石造りの王城である。
中野さん宅横の細い道にある石組みの土手にも注目したい。

有冨の岩谷さん宅は岡本宮跡に比定されるので、日本書紀の記述は中国人流の白髪三千丈である。


綾羅木
綾羅木の若宮古墳  仁徳天皇陵
根拠 「若宮神社」 の多くが仁徳天皇を祭る。

JR梶栗郷台地駅の駐車場  百舌鳥土師連土徳
川北神社・上の山古墳  山ア・大坂。 北側の墓地は山背


室津上 字「山中」
昭和30年まで御崎は室津上に所属していた。 御崎は下関市有冨 中村にあった邪馬台国の筑紫島門・遠朝廷なので室津上も重大な場所である。
室津・黒井海岸の松林を「木ノ村」 というので紀伊国は室津
室津の光蓮寺の先祖は藤原鎌足・淡海公なので室津浦は近江国

万葉集
1664 小椋山 字「山中」 の西側 小倉ヶ辻(308.7 m)
以下、御崎・室津の歌が並ぶ。

室津下に「古殿池」 という池がある。
古人大兄皇子、大市皇子、吉野太子

吉野、近江の場所は複数か所ある。

室津下「松原」 に縄文遺跡がある。
古墳時代後期か、室津に忽然と人がいなくなった遺跡があると聞いた。


 奈良県は遺跡は超立派だけど天子南面や風水に合致しない。 福岡市板付の遺跡には幅10メートルの道があったが、風水では直線道は凶である。 古い時代の学・教養は漢字陰陽五行風水易経道家だから、これらに則った場所は「中国学の博士の連中がいた」 と見れる。 富夲銭の七曜に合致する場所は下関市有冨の中村のみ。 奈良県は日本書紀の陸奥である。

古墳から青銅の剣・鏡が出た所は古事記・日本書紀の人たちではない。


偽装社会
『日本古代貨幣の創出』 今村啓爾 著  講談社学術文庫 2015年
P19-5行目
本書で私がとった論理は、基本的に考古学データと文献記録の突き合わせである。 考古学データとは遺跡で確認される各貨幣の年代とか扱われかた、貨幣の形の変化とか重さ、残っている量的比率などの物的証拠である。 これらは積極的に何かを語るような性質のものではないが、けっして嘘をつくことはない。 人に読ませるために書いたものではないから嘘をつく意味はないし、嘘をつくことができない史料たちなのだ。 貨幣の重さ、金属量というものが、その貨幣に付与された性格を偽りなく話す。 その寡黙な一言には確かな重みがある。 粉飾に満ちて雄弁な『続日本紀』 の言葉の裏を見透かす重みが。 本書で長々と続く重量と価格の関係の退屈な議論は、貨幣をして、自分がどのような性格を与えられたものであったかを語らせる基本的で不可欠な作業なのである。

今村啓爾は馬鹿である。 奈良県の遺跡は "古代の偽装社会" であることを見破ることが出来ずに出土物を真に受けている。

奈良国立文化財研究所が発掘する藤原宮跡やキトラ古墳壁画は真の風水ではない。 関西圏、畿内の遺跡・遺物は古代人の偽装である。


真実 史実
高松塚古墳の「高松」 の場所は下関市有冨のハンドウ山の上であり、奈良県の高松塚古墳は有冨ハンドウ山の上にいた天女を描いたものである。

大日本豊秋津洲
大州 文庫書紀@32-5
大八嶋国 など。
これらは日本列島の本州ではなく有冨のハンドウ山〜その尾根である。

八嶋国 文庫書記B180‐7
「八嶋国」 は日本列島の本州ではなく有冨ハンドウ山。 ここでは登り口

忌寸八嶋
長府の小字「八島」 ではなく古事記の大八嶋国で有冨ハンドウ山上の尾根
邪馬台国は有冨ハンドウ山の尾根、大迫池の上、有冨墓地の東上の尾根

大州の「大」 は富夲銭の「夲」 の構成要素「大」
「大」 という字は五角形。 隋書俀国伝 俀国 → 「大国」
「十」 は天心十道、扶桑の10個の太陽

大口 ハンドウ山の登り口
大口の真神原
三輪君大口
社戸臣大口 




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