邪馬台国 下関

アクセスカウンタ

zoom RSS 任那、火葦北、野島  吉母の大河原

<<   作成日時 : 2017/03/01 08:53   >>

トラックバック 0 / コメント 0


魚介類・アワビの献上 考古遺跡
『長崎県の地名』 日本歴史地名大系 平凡社
P570下
宮ノ首遺跡
宇久島の西端、南向きの入江に臨む貝塚。 平成2年 (1990) に発掘調査。
縄文時代前期から弥生時代中期後半、平安期・鎌倉期の遺物が発見されているが、主体は古墳時代末期から奈良期にかけての玄海灘式製塩土器などを含む須恵器・土師器類である。 貝塚では大型のアワビ貝の純粋貝層がみられ、「肥前風土記」 値賀島の条にみえる干鮑の貢納を裏付けるものといえよう。 また中国製陶磁器片(青磁・白磁) も出土。


宗像市 神湊
浜宮貝塚、新波止貝塚  5世紀〜7世紀末

角島
角島の後浜遺跡 場所 夢ヶア 角島灯台の駐車場北
古墳時代後期の貝塚では大型アワビの選択がされた。

土井ヶ浜遺跡 人類学ミュージアム の本
※5年前に書いたものなので、半分は今と考えが異なる。 
http://44051510.at.webry.info/201203/article_58.html


嶋曲、美佐祁
『日本書紀U』 現代語訳 中公クラシックス  2003年
P198  継体紀
23年の春3月に、百済の王は下哆唎国の国守穂積押山臣に、
「日本への朝貢の使者は、嶋曲 〔海中の嶋の出入りのア岸(さき) をいう。 人々は美佐祁(みさき) という〕 を避けようとしていつも風波に苦しみ、貢納の物を湿らせたり、こわしてしまったりしております。 なにとぞ加羅の多沙津(蟾津江河口の地) を賜わり、私どもの朝貢の路にしたいと存じます」
と言った。 そこで押山臣は、この要請を天皇に奏上した (以上7年条参照)。

この月に、物部伊勢連父根・吉士老らを遣わし、津(多沙津) を百済の王に賜わろうとした。 すると加羅(大加羅=高霊加羅) の王は勅使に、
「この津(多沙津) は官家(みやけ) が置かれて以来、私どもが朝貢するための津渉(つわたり) としております。 そうたやすく隣国に賜うということができましょうか。 統治せよと定められた、最初の領域を違えることになります」
と言った。  勅使の父根らは、その場で津を百済に賜うのはむずかしいとみて、大嶋(南海島か) にもどり、別に録史(ふびと 文書・記録をつかさどる下級の官人) を遣わして扶余(百済) に賜わった (以上9年条参照)。



宗像三女神 「海の北の道の中、道主貴」 を連想させる。
福岡市博多区の官家、宗像、門司、豊北町、向津具・油谷などではない。

記述から下関市西端の御崎と見れる。

大嶋
御崎にあった遠朝廷・伊都国 ・・・ 戸数が少ない
または
皇都有冨 ハンドウ山上の尾根 ・・・ 鏡王女の大嶋嶺

雄略7年 大嶋 文庫書記B48-7
私見 以前は大嶋を彦島の福浦と見ていたが、今は御崎と考えている。

万葉集
91 大嶋嶺
3638 大嶋鳴門

水城は吉母の明見(みょうけん) さんの池。 窪田さん宅の上にある。
吉母港には宗像という家があるので、筑紫の水沼君はこの池か。


とりあえずの仮説 加羅の多沙津は室津の交番あたりか?

阿利斯等(任那の王) は黒井・吉永に在住か。
中公クラシックスの日本書紀は加羅と任那は別で阿利斯等を任那の王とする。
文庫書紀C32-11 敏達紀 火葦北国造 阿利斯登が子 達率日羅 の場所を解明することが鍵となる。

以前の私見 都怒我阿羅斯等がいた場所  
・ 「田舎」 は日本語なので地名の「田舎」 を探して対馬と見た。
意富加羅国は対馬。 魏志倭人伝で対馬は官ではなく大官である。
・ 意富加羅国の「意富」 という地名表記は倭風であり朝鮮風の表記ではない。
都怒我阿羅斯等は宗像市の光岡八幡宮にいた人と見ていた。


垂仁紀 都怒我阿羅斯等
文庫書紀A20-3 浦  御崎
出雲国 御崎 〜 福江
纏向 有冨上の東側。 有冨古墳がある所

風土記
御魚家 文庫風土記下169
任那は様々の魚物多き国にて毎度日本の朝廷に献上す。
  ↓
涌田漁港 養殖場の料理屋

立ち位置 大王家は有冨上の字「中村畔」
魚を献上してくる地域は涌田になる。 任那の御魚家は涌田である。

マリンレスト恵美寿 - 黒井漁業協同組合
ttp://www.kuroi-gyokyo.com/rest/rest.html

任那は魚が産物という記述は記紀・万葉にはない。
淡路の野嶋の海子がアワビの御調を難波朝に献上している。 万葉集933

問題点
涌田の心光寺古墳は新羅系であり、百済・加羅系ではない。


火葦北国造
火の国 吉母浜埋葬遺跡から出る火の玉
葦 吉母
葦北 吉母の北、大河原(おおこら) は意富加羅の転訛と考えられる。
野坂 字「野地ノ下」 万葉集246
水島 蓋井島、水島
姫島 字「姫畠」
吉備児島 吉母の黒嶋
吉備海部 吉母漁港

文庫書紀C36-3
火葦北国造 刑部靫部 阿利斯登 吉母の大河原の人

また、室津のヨットハーバーに入る所を流れる小川は河原(こうら)川である。
この場所は加羅か。

吉母の大河原(おおこら) は意富加羅の転訛である。
淡路の野嶋も大河原の小字「野地ノ下」 である。

長い間探してきた「葦北」の場所は下関市吉母の大河原と判明した。
葦北の坂の浦(万葉集246)=淡路の島(万葉集933) 字「地ノ下」

加羅の多沙津の位置は吉母の大河原。 または室津浦の河原川。


白雉
文庫書紀C88-6 推古紀
秋9月の癸亥の朔に、百済、駱駝1匹、驢1匹、羊2頭、白雉1隻を貢れり。
文庫書紀D112-7 天武紀
3月の丙戌の朔壬寅に、備後国司白雉を亀石郡に獲て貢れり。

穴戸の麻山の白雉=百済の白雉=備後国司の白雉
吉備国は吉母である。 吉母の大河原は百済の領地だった。

白雉の生息地
吉母 大河原の字「仙堂」 (不燃ゴミ埋立地へ上る急坂)〜不燃ゴミ埋立場内
  ↓
穴門館の候補地

敏達紀 文庫書紀C24-11
戊戌に、船史王辰爾が弟に詔して、姓を賜ひて史とす。
斉明紀 文庫書紀C338-1
西海使小花下阿曇連頬垂・小山下臣傴僂

「津」 の地名
角島は「津の島」 とも書く。
吉見 古宿の国道 七曲 どさんこラーメン店がある所を「津の地」 という。
吉母の大河原 私見によれば「加羅の多沙津」 の場所

津島、津臣、津史、津守など「津」 の名前は吉母の大河原の可能性がある。
都怒我阿羅斯等の黄牛は角島かもしれないが吉母 大河原の方が可能性大だ。


出雲
斉明5年 是歳 文庫書紀C354-末
郡 おうのこほり
  ↓
田川で安岡は出雲

纏向は有冨古墳がある所





月別リンク

任那、火葦北、野島  吉母の大河原 邪馬台国 下関/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる