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zoom RSS 城野石棺の被葬者 香坂王・忍熊王 説

<<   作成日時 : 2017/02/12 06:51   >>

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『おもしろ地名 北九州事典』 増補総集版 
小倉北区 富野 P95
魚池・鳥池を作ったのが魚野鳥野で、鳥野がなまって鳶野、富野になったという説。

小倉北区 富野を熊鰐の地とする説があるようだ。


『福岡県の地名』 平凡社 日本歴史地名大系
P1234中 
萩ア村 (萩ア町、明和町、三萩野 1丁目) は博士(陰陽師)、占者が住んでいたので八卦アと称していたのが転訛したものという。
現在も陰陽師の子孫が住む。


萩ア町三萩野は易者の地、卜占の地だった。
  ↓
事代主命
神吾田鹿葦津姫
熊鰐 大倉主・菟夫羅媛 伊賀彦
裂田溝 の河 「儺」 は追儺・鬼遣らい。 橘の小門の禊ぎ
麛坂王・忍熊王 祈狩 仮庪 赤猪  文庫書紀A158-9
務古水門
などの占い場所はみな同じで、萩ア町である。 
仮庪 八岐大蛇
赤猪 大国主 古事記

吉備 和気清麻呂 安部山 温泉

播磨の赤石 赤坂  文庫書紀A158-6
淡路島の石 彦島の南端、彦島塩浜町4丁目の砕石場

万葉集から播磨国は下関市長府ではなく門司のようだ。


小倉北区 萩崎町 綿津美神社
ttp://blog.goo.ne.jp/noyamany/e/4d2c3dfadf8eccb77ed0064da2391f97
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/fukuoka-kitakyushu.htm
  ↓
八大龍王は八俣大蛇を連想させる。
私は萩ア町の綿津美神社を「山海経 海外東経」 の朝陽の谷に比定する。
集英社 全釈漢文大系 33 『山海経・列仙伝』 1975年
P430
朝陽の谷、神を天呉と曰ふ。 是れ水伯為り。 虫虫の北、両水の間に在り。 其の獣為るや、八首人面、八足八尾、皆青黄なり。〔大荒東経に云ふ、十尾なりと〕。


下関市 竹生山の山頂−竹生寺−稗田地蔵堂遺跡−小倉城(下屋敷遺跡)
が直線上に並ぶ。

小倉城は大宰府(遠の朝廷) で橿日も小倉城。 豊前国は宇佐町
(根拠) 万葉集959

香椎廟 ― 「廟」 は中国系 徐福祠か。


筑紫 ― 難波 の距離
http://44051510.at.webry.info/201104/article_5.html
  ↓
筑紫と難波は距離が近い。 難波は門司駅、下関の唐戸あたりか。

難波
門司港の 浪花町 ・・・ 筆立山の山麓 〜 老松公園北門に通じる通り
明治32年〜昭和42年

文庫書紀B96-2
難波の来目邑の大井戸の田十町
  ↓
井戸町
明治22年〜昭和42年
旧門司1、2丁目


文庫書紀B58-7 雄略紀
紀岡前来目連  ※ 紀=城(き)=木
文庫書紀B94-8 清寧紀
城丘前来目
 ↓
甲宗八幡神社
樹神社
祭神  句句能智 (句句廼馳、久久能智) 木の神
所在 甲宗社々峯


山口県風土誌(九)  P102
方角抄に、赤間関彼浦を硯海と云ふと見ゆ

仁徳紀 文庫書紀A250-11 歌謡
難波人 鈴船取らせ 腰煩み その船取らせ 大御船取れ

ここの長門関津にも鈴船の繁く往来せし故に、其海畔を鈴振浦と云ひ、其海を鈴振海と云ひけんが、終には布字を省きて須孺理 (すずり) の海と云ひ、硯字を借りたるなり。


胸方神 雄略紀 文庫書紀B54‐10
膳臣
小倉南区 長野角屋敷遺跡から物部今継・膳臣澄信と書かれた木簡が出土

壇所 壇之浦
香賜 舸拕夫 − 関門海峡の梶取り人
三嶋郡の藍原 長府の字「三島」
※「三島」 を地名でなく島とみれば六連島・蓋井島など。

雄略天皇の吉野宮は小倉南区徳吉、長野か?




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