邪馬台国 下関

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zoom RSS 立ち位置を有冨のハンドウ山にとる  

<<   作成日時 : 2017/02/07 23:08   >>

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原始古代の倭国(邪馬台国、東海姫氏国、本当の記紀・万葉の都) は下関市有冨のハンドウ山(有冨竜王山) の周囲にあった。 有冨には中村という家が本家・分家で3軒ある。 中村本家さんは天御中主尊、高木神、天照大神、中大兄皇子らの直系子孫であり、儀万さんは天武天皇(大海人皇子) の家である。

万葉集4260
皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都
万葉集4261
大王者 神尓之座者 水鳥乃須太久水奴麻乎 皇都常成通
渟中原瀛真人天皇
白井さん宅前にあった蓮池または儀万の池で、皇都は中村本家さん宅。
  ↓
天武天皇は天文・遁甲の方術士だったので、中村本家さん宅の入り口に風水の羅盤を置いて方位を見れば皇都があったことを確認できる。

『やすおか史誌』 P779 「儀万の話」

下関市有冨の儀万さんは天武天皇の直系である。
天武天皇は中国哲学である陰陽五行を重視した。
富夲銭の七曜思想=「儀万」 という陰陽五行・易経に基づく名前
  ↓
富夲銭は儀万銭である。

天渟中原真人天皇
「瀛」 の場所 土井ヶ浜(海人族)、向津具(楊貴妃伝説)
トンボ玉 土井ヶ浜、田耕の甲殿遺跡 2ヵ所

土井ヶ浜の中世 祭祀
牛を殺すミトラ神 土井ヶ浜に牛を殺した祭祀遺跡あり。
土井ヶ浜にある広田遺跡は中世の仔ウマの埋納

有冨の儀万さん 天武天皇の家系
吉見船越の儀満さん 額田王の実家か

下関市有冨の「儀万」 という名前の家は富夲銭の七曜思想の表明である。
この「儀万」 という家は天武天皇の家である。 儀万=七曜。 等号である。


有冨内で首都 平城京があった場所
A考
遠山運送裏の字「金鋳ヶ谷」 に古代の産銅・銅精錬の言い伝えがある。
大賀さん(大神の転訛か) 宅の奥の平田さん畑が「平」 の字より平城京跡。
この場所には侍の家 「土井」 の溝が掘られている。

B考
万葉集の寧宮の「楽」 を風水の楽山と見れば、寧宮はハンドウ山の頂である。 種子島 広田遺跡の貝札に彫られた「山」 について考察すれば、山=仙(仙人、仙境)、六十四卦の「艮為山」。 大型漢和辞典で「山」 をひけば「墓」 「墳墓」 の意味もあるので陰宅風水が想起される。 卑弥呼の鬼道=中国古代の鬼神(祖先・死者の霊魂など) を操る者。

有冨のハンドウ山の頂は卑弥呼の冢であり、前方後円墳デザインのモデル。

有冨のハンドウ山 登山道入口付近を立ち位置にすれば、奈良県・大阪府の「ヤマト王権」 「前方後円墳体制」 勢力は蝦夷の親玉 大墓公阿弖流為である。 下関市後田町5丁目の椎の木原墳墓群(古墳時代初頭) から出土した庄内式・布留式土器は幡生の秦氏。 あるいは蝦夷すなわち佐伯部を示す。 前方後円墳を尊んで「古墳時代」 を広めたのは秦氏と蝦夷の佐伯部である。

記紀・万葉の「東国の兵」 は関西蝦夷であり、甲冑・武具を持つ者は蝦夷である佐伯部である。 首都があった下関市有冨上の蓬莱島に身を置けば甲冑・武具は蝦夷である佐伯部の物である。

『角川 大字源』 で「平」 の熟語「平城」 には
漢代の県名。今の山西省大同市の東。 高祖が匈奴を討ったとき、7日間包囲された地 〔史・高祖紀〕
という意味が載り、天武紀の「灰零れり」 文庫書紀D162-4 を連想させる。

万葉集4506
高円の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御世遠そけば
いにしえ、ハンドウ山の頂には松が生えていた。 高松塚=高円野。


浮囚郷 山口市
『山口県の地名』 日本歴史地名大系 平凡社
P42上
「大日本地名辞書」 は「えみし」 と読んでいる
「防長地名淵鑑」 は山口盆地を貫流する椹野川左岸にあたる現山口市の平川・大歳地区(黒川・平井・朝田・矢原) 辺りを比定している。


山口大学 考古学 田中晋作
[PDF] 山口県域に投影された畿内政権の動静
petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/file/.../D160009000008.pdf
(反論)
邪馬台国の位置を下関市有冨 字「中村畔」・ハンドウ山 にとれば、関西の甲冑が出土した天神山1号墳、赤妻古墳の場所は蝦夷(えみし) の浮囚郷に比定できる。

古代関西の 朝鮮カルト
http://44051510.at.webry.info/201305/article_36.html





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